牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ご飯論法

2019-01-12 09:06:25 | Weblog
ご飯論法=さっきご飯食べてないって言ったじゃないか?
うそじゃないよ。だってご飯じゃなくってパンだったんだもん。
屁理屈をご飯論法と言います。
いま日本は嘘がまかりとおり、うそを正当化するために、ご飯論法がまかり取っているように思います。
憲法で戦争放棄が定められているのに、戦争に向って憲法改正が声高に主張されています。
日本がまた第二次世界大戦のように,戦争の先駆けになるかもしれない。自衛隊の完全軍隊かが目指され、空母も計画され、ご飯論法で空母じゃないと強便がまかり通っている。
嘘八百の辺野古度土砂投入も,沖縄県の反対を無視し、いずれは日本軍基地になる布石かも知れない。
やがて日本も世界も,終末戦争に引き込まれるかもとの思が去来する新年。
聖書のことば=
こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

生まれ変わり

2019-01-12 07:36:11 | Weblog
聖霊様と新生の教え
ヨハネ3:5ー8 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
新生とは,神様が神様のいのちを与えてくださることです。
人間として生まれ,肉体のいのちはあります。寿命の限り生きることができます。
聖書の教えをアーメンと信じる時、聖霊様の働きにより、神のいのち=永遠のいのちが与えられ霊的な誕生です。
Ⅰコリント12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
ローマ 8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
テトス3:4-6 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。

聖霊様と信仰生活
新生で触れたように、クリスチャン生活は,イエス様を主として心に迎えるところからはじまります。聖霊様がアーメン信じますと、聖書に書いてあるように救ってくれました。
聖書は霊感を受け書かれた啓示の主=聖霊様のことばです。しっかり聖書を愛し、読み続けましょう。
テトス3:3-8 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
かし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。
これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。