牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

希望があれば

2018-09-07 20:49:40 | Weblog
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
, ローマ人への手紙10:11-13
失望のない人生。どんなときでも、信仰と希望と愛のある人は、うまくいきます。
アウシュビッツ収容所には、絶望しかありませんでした。わずかの食糧だけで重労働を課せられ、次々ガス室送りになるような極限状態。
衰弱したな身体でも生き抜いた人々が、支えにしていたのは、信仰と希望でした。
必ず出られる日が来る。ここを出て愛する家族に会いたい。恋人に再会したい。
希望があるからギリギリのところで、自暴自棄にならず二、極限状態で生き伸びたのです。
だれでも、災難や不幸の暗黒に出会います。試煉は世の常です。夜があり、今夜のように星も見えず、黒雲におおわれる闇夜もあります。しかし、朝の来ない夜はなく、一寸先は光なのです。人生の夜を希望があればくぐり抜けることが出来ます。
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。コリント人への第一の手紙10:13
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ人への手紙5:1-5
ありがとうございます。
今日もまた天国の一日でした。感謝します。

洗われて雪よりも白く

2018-09-07 05:44:04 | Weblog
主よ。あなたはご自分の地に恵みを施し
ヤコブをもとどおりにされます。
あなたは御民の咎を担い
すべての罪をおおってくださいます。
確かに、御救いは主を恐れる者たちに近い。
それは栄光が私たちの地にとどまるためです。
恵みとまことは、ともに会い
義と平和は口づけします。
詩篇85:1-2&9-10
神は愛です。同時に神は義です。
神は人を愛され、すべての良い物で満たし、幸と平安を与えます。
しかし、最初の人アダムは罪に落ちました。祝福のエデンの園から追放されました。
それ以来、人間は罪=原罪に支配され、生まれながらの罪人です。
神は愛ですが、義ですから、罪そのままの人と口づけしません。
子どもキャンプに、小学5年生の一人息子が参加しました。目に入れても痛くないほどの最愛の息子です。3日のキャンプが終わり、来るまで家まで送りました。
ズボンもシャツも、キャンプで着替えたりシャワーもしたが、遊び回ってどろどろで汗臭くなっています。
家に着くと、母親はその姿を見て、そのまま風呂に追い立てました。そして洗い立ての下着とシャツに着替えさせ、部屋に入れました。楽しい夕食で彼は満足しました。
愛の神様は、それ以上に人を愛して、イエス・キリストの十字架で、人の罪を贖い、十字架の血できれいに洗って、雪よりも白い心にしてくれました。
毎日、シャワーを使い身体を洗うように、御子イエスの血によって毎日清めてくださいます。
クリスチャン生活は、覆いを取り除けられた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(Ⅱコリント3:18)

今日も義と平和が口づけした、十字架の救いの中で、幸と平安に守られ空く福の日です。アーメン。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日。感謝です。ハレルヤ!

義と平和とは口づけし

2018-09-07 04:53:45 | Weblog
詩篇85篇
指揮者のために。コラの子たちの賛歌

主よ。あなたは、御国に恵みを施し、ヤコブの捕われ人を、お返しになりました。
あなたは、御民の咎を赦し、彼らのすべての罪を、おおわれました。セラ
あなたは、激しい怒りをことごとく取り去り、燃える御怒りを、押しとどめられました。
われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ、私たちに対する御怒りをやめてください。
あなたは、いつまでも、私たちに対して怒っておられるのですか。代々に至るまで、あなたの御怒りを引き延ばされるのですか。
あなたは、私たちを再び生かされないのですか。あなたの民があなたによって喜ぶために。
主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。
私は、主であられる神の仰せを聞きたい。主は、御民と聖徒たちとに平和を告げ、彼らを再び愚かさには戻されない。
まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは、栄光が私たちの国にとどまるためです。
恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。
まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。
ことに、主は、良いものを下さるので、私たちの国は、その産物を生じます。
義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。