牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ちょっと変えるだけで

2016-11-28 18:16:09 | Weblog
間は外見や姿形で判断したり、判断されたりしてはいけないことは良く分かっています。内面を変えると、人は幸せになります。しかし、同時に内面を変えることの難しさも、多くの人が悩み苦しんでいます。
反対に、外見やことばつかい(日々の口ぐせ)を変えると、内面も変わります。
生駒聖書学院は創立者がイギリス人です。聖書学院に来て驚いたのは、ネクタイを着用していないと、食事のテーブルに着くことも許されませんでした。現在はネクタイをしていなくても食べられます。フリースタイルの時代になりました。
しかし、生駒聖書学院は礼拝時のチャペル、授業中の教室ではスーツとネクタイ着用です。イギリスの良い習慣がいまも連綿として続いています。
生駒聖書学院には、少年院や、刑務所を出所した入学生を迎えることもあります。暴走族で少年院から入学してきた青年がありました。学院入学と同時にスーツにネクタイの生活。またことば使いも、前向きで明るいことばを口癖に。聖書のことばを朝の目覚めから、ベッドでも口ずさむ。3年間の学び、卒業時には見違えるようになり、今では新聞やNHKでも紹介されたり、数年前の姿からは想像もできないような立派な牧師になっています。
もちろん、イエス・キリストの十字架と復活、聖霊のお働きにより、そのような変化をもたらしました。しかし同時に、生活態度と外見を変えました。刑務所や少年院も、受刑者を紳士になれるよう、神の子として内面も外形も生まれ変わらせるような法律ができればいいですね。
悪い習慣から離れられないときは、生活のスタイルを変えて見ると、不思議に奇跡のような変化が起こります。
お酒の好きな方は、酒の匂いや賑わいのある場所を通らないで真っすぐ自宅へ帰るだけでクリアできます。パチンコが好きならその音のするところを通らない。覚せい剤や快楽に直ぐ誘惑を感じるなら、そんな交わりや店、薄汚い場所へ近づかないだけで解決されます。
今年はもうすぐクリスマス。近くのキリスト教会の礼拝の聖なる場へ行ってみるだけで、人生は美しく清らかになります。
生駒聖書学院教会は、午前10時から、大坂新世界のエリムキリスト教会では午後2時。ぜひ、新しい年に向かって、新しい変化を体験し、平安で幸せに満ちた新しい人生を体験ください。
ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日でした。感謝します。

あだ名つけ名人

2016-11-28 18:10:34 | Weblog
ヨハネの福音書1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
1:42 And he brought him to Jesus. Now when Jesus looked at him, He said, "You are Simon the son of Jonah. You shall be called Cephas" (which is translated, A Stone).
バプテスマのヨハネに紹介され、イエス・キリストと語ったアンデレは、自分の兄弟シモンを連れてきました。
シモンに目を留めると、その目は何と慈愛深く、心の中まで見通す眼差しだったことでしょう。かれは3年後の夜も、そのまなざし=ああ、主の瞳まなざしよ=に愛され赦されましたが・・・。
どんな眼差しで見るかで対人評価は雲泥の差になります。
イエス様は、ニックネーム名づけの名人。うわべの評価だけでなく、皮肉やお世辞でもなく、その人の魅力を最大限に引き出すあだ名です。
見短く粗暴にさえ見える、自分が親分えなければ収まらないガリラヤの漁師シモンを、ケパ=ペテロ名づけました。
You shall be called Cephas" (which is translated, A Stone).
現在もローマカトリック教会は、そのペテロの上に教会は建つと主張します。バチカン市国のローマ法王はペテロの後継さyと名乗っています。
キリスト教会は、イエス・キリストをアーメンと信じる信仰こそ、どんな人生であっても、イエス・キリストによって新しくされます。
今日、イエス・キリストを信じ心にお迎えし。岩のように揺るがない人生を、平安と幸せに過ごし、天国の道を歩みましょう。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

まさかの坂

2016-11-28 06:47:45 | Weblog
聖書のみことば
詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
当時は文語訳聖書で、その為すことは皆栄えんから、娘にみさかと名付けた教え子があります。三坂と栄えの名前からという人もありましたが、詩篇から、その子が何をしても、みな栄える幸せを願った名前です。
人生には、坂があります。書斎は坂の上にあります。毎日、院長室まで下り坂、帰宅は上り坂です。
生駒聖書学院は丘の中腹にあり、それこそ下り坂、上り坂です。若いママたちが自転車でスイスイ上るので、すごいと思ったら電動ですよとニッコリ。
人生や伝道牧会、教会生活にも上り坂、下り坂の連続ですが、どんな坂でも天国への上り坂です。
でも同時に、みさか=全部栄える坂です。
まさかという坂もあります。まさか自分にこんなことが起こるなんてという、「まさか」は、誰にでも起こります
牧師でも例外ではありません。57歳まで健康そのもの、風邪なし、肩こりも経験なし、頭痛、腹痛、睡眠障害もなく、薬も病院も知らない元気でした。
何と右脳内出血、左脳内出血、小脳内梗塞、2度の交通事故にまで。まさか自分にこんなことがと思っても、まさかが真さかで起こりました。
ところが、まさかは自分次第で、下り坂にもなり、上り坂にもなります。イエス・キリストをアーメンと信じると、すべてがプラスになり天国への上り坂です。
具体的には向きを変えるだけです。上を向いていますか。下向きですか。上を向いていれば、まさかの坂を真っ直ぐに天国への道を上って行けるのです。
まさかに出会ったら、ありがとう。感謝してますと挨拶です。その瞬間、まさかは奇跡の坂になり、平安と幸せの波が押し寄せます。波乗りサーファーのように、喜び楽しみに変えられます。アドナイ・エリエゼル=主は助け主。世の終わりで、見捨てず見放さず、ともにおらあれるインマヌエルの主。イエス様。助けてくださいと素直に祈れる日々です。
上を見上げてまさかの坂を上り続けましょう。幸せを祈ります。
ありがとうございます。きょうもまたまさかの天国の一日です。感謝してます。