牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

説教学授業の朝です

2012-09-13 08:25:58 | Weblog
木曜日朝の授業は説教学です。キリスト教会では、礼拝説教があります。あるいはさまざまな所で説教する機会があります。

 説教やメッセージ、使信、宣教など表現を変えても、神のことばを仕える事実に変更はありません。

 ところが、一生懸命話しているのに、分かってもらえない。聖書の教えが伝わらない。

 祈って準備してきちんと伝えているつもりなのに、誤解されてしまうこともあります。

 すばらしい救いの良い話、世界一すばらしキリストの十字架の愛を、うまく伝えられないなど、神学生も若い牧師たちも説教で苦しみます。長年牧師を続けていても同じ経験をします。

 どうしたら良いのか。ということがあるなら「伝える力」を身につけることが正解です。 

 伝える力があれば、余計なトラブルを防ぎ、コミュニケーションが円滑になり、福音がよりスムーズに伝わり、「なんで伝わらないんだろう」と言うストレスが、伝わった!と言う喜びに変わります。日常生活でも同じだと思います。

 答えは単純で、三つだけです。

1. 話す内容をしっかり把握していることです。

2. 熱意に燃えていることです。本音でどうしても伝えたい情熱です。

3. やはり 伝え方・書き方を工夫することも大切です。習うよりも習う。

Good news.を Good smile!で。

今日もまた天国の一日です!感謝します。

ローマ10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。

10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。