牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

喜びと感謝を敏感に感じ取る能力

2012-09-03 07:36:40 | Weblog
退院8日目の朝を、今日もまた天国の一日です!とさわやかに迎えています。

 聖書には、いつも喜びなさい!絶えず祈りなさい!すべてのことを感謝しなさい!とあります。

 どうしてそんなに喜んだりできるんですか?と詰問されるときもあります。感謝についても同じです。絶えず祈りなさい!そんな時間がありませんという場合もあります。

 喜びの感度が高い人、感謝の気持ちが多い人、そんな人々には、悲しみや悩みの数よりはるかに多くの喜びの人生が用意されているのです。そして感謝が広がります。

 そしてまた、喜びを敏感に感じと取る能力が与えられ続けるのです。苦しもの中でさえ喜びを見出す能力を与えられているのです。

 聖書には喜びなさい!という言葉が800回以上もあるそうです。神様は無理強いなさるお方ではなく、子どもの喜びを親が喜ぶ以上に、あなたの喜びを喜んでくださいます。

 少女パレアナ( エレナ・ポーター 定価480円 角川文庫)を読むと、どんな試練や悲しみ、不幸せの中にも喜びを見出す少女パレアナ(ポリアンナ)の姿に感動します。パレアナ青春もあります。

 貧しく何もない孤児になったパレアナは、いつも「何でも喜ぶ遊び」をします。

 それは、父親が聖書の中の言葉から考え出した遊びであり、パレアナが両親からもらったただ一つの財産でした。

 粗末な部屋をあてがわれたパレアナは、「鏡がないのもうれしいわ。鏡がなければ、ソバカスが見えませんものね」と言ってにっこりと笑います。鏡がないことに喜びを見つけるのが、「何でも喜ぶ遊び」でした。

 パレアナは、この「何でも喜ぶ遊び」で町中の人気者になります。意固地で誰とも話をしなかった老紳士から、ひねくれ者でねたみばかり言っている寝たきりの病人に至るまで、みんなパレアナと友達になり・・・・と物語は続きます。

 喜びなさいとおっしゃる愛なる神様は、苦しみにさ中にも、喜びを見出す能力を与えてくださっています。困難の中でも喜びや感謝をできるようにいのちを与えられているのです。

 短い入院生活でしたが、書ききれないほど多くの喜びを与えられた感謝の日々でした。

完治しましたが、年内安静ゆっくりと言われています。愛する方々の祈りと協力に守られています。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。午前9時より9月入学・始業式です。生駒聖書学院を感謝します。ご支援を感謝します。

詩篇

35:27 私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。

35:28 私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。



36:7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。

36:8 彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。

36:9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。

36:10 注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。