牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

足のしびれが抜けないまま

2012-09-10 07:55:20 | Weblog
退院後、安静にゆっくりとの医者のことばの十分な理解がないまま、退院の日に完治宣言が嬉しく、一ヶ月余り外を歩いていなかったので歩きまわりでした。

 3日後

、所用もあり16,000歩も歩いてしまいました。血豆まででき翌日からは5000歩ほどにしましたが、一週間後には1000歩も歩けないほど右足にしびれがあり、近くの主治医を訪ねました。

 完全に直っていますよ。足のしびれはほっとけばしびれはなくなるとのこと。祈った時も時間がしびれを無くすとの答え。

 歩く歩数を少なくし、2学期スタートもスタート。

 先週は北海道旭川市の教会集会に招かれて楽しみにしていました。脳内出血入院でいやされましたが、お断りし迷惑をおかけしました。旭川へ行っていたら今日午後帰り(飛行機便がなく)でした。

 今日から3日間、創造の7日間に学ぶ=成熟したクリスチャンモデルへの道=と題しての特別講義が予定され、京都市から講師が来られます。

 チャペルも月曜日は院長メッセージですが、今学期から三年生メッセージ担当になり、出席だけの月曜日朝です。

 食事に制限もあり今学期は講師接待も変更し、ともかくアドバイス通りに、安静を中心とした二学期になりそうです。

 幸い食欲も進み、昨夜は教会員からマツタケご飯の差し入れがあり、初物を美味しくいただきました。そんなこんなの9月の日々を過ごしています。

 お祈りありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

コリント人への第二の手紙

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。

4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。