牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

愛と赦しと感謝が輝く天国

2010-01-30 09:25:30 | Weblog
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。

 朝の目覚めから安眠のときまで、今日もまた天国の一日です!が口癖になっています。天国は死んでから行く所と考えられています。それは間違いではありません。

 3月8日(月)出国、13日(土)昼に帰国する6日間に聖地旅行へ行きます。まだイスラエルには行っていませんが、気持は聖地旅行を楽しんでいます。

 でも気持だけでも聖地ですが、旅行社から切符が届くと、それは確実な喜びに変わります。中にはイスラエルに着くまでは信用いできない?と言う、変わった方もありますが、それは例外。普通には予約を入れた段階で間違いなく聖地へ行く保証が与えられ、料金を支払い航空券が届けば確実です。

 今日もまた天国の一日です!と毎朝、毎夕告白しています。それは天国に行く気持があるからです。同時に天国行が保証されているからです。

 旅をするときはホテルや宿を予約します。フロントで予約をしていますと言うと、お待ちしておりました。・・・様.お部屋へご案内しますと、歓迎されます。一夜の宿へ止まる時さえ予約をしている方が間違いありません。行き当たりバッタリもスリルはあるかもしれませんが、良いホテルであればあるほど予約が必要です。そして時には旅に出る前に、今度はあそこに予約したんだよと自慢します。

 来週は2日(火)ー5日(金)まで、掛川市ヤマハリゾートで大会があります。昨日遊びに来ていた4歳の孫が嬉しそうに、じいも行くの?今度遊びに行くんだ。いっしょの遊んでねと大騒ぎをしていました。

 まだ現実には行っていなくても、パパが申込み登録したから大丈夫!とのことばで安心し、何も心配しなくて大喜びです。

 イエス・キリストを信じるとき、それは地獄行の道が封鎖され、天国への道が開かれたことです。人は罪を持つ限り天国行くことは出きません。この世でどのような豊かな(天国と思うほどの贅沢三昧)生活をしていても、死ねば終りだけではなく、地獄へ行かなければなりません。

マルコの福音書 9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
9:45 もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
9:47 もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
9:48 そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

 その地獄行の罪人を救うために、イエス・キリストは全人類のすべての罪を十字架の上に引き受けてくださいました。罪だけだはなく病も呪いも貧乏も、そして死を全部引き受けてくださったのです。

 墓に葬られましたが、すべての地獄行の問題を処理し終わり、三日目に復活し今もなお生きて働いておられる救い主となってくださいました。聖霊によりイエス様をアーメンと信じ、自分の心にお迎えするとき、イエス・キリストは心にお入り下さり、天国行の切符となられるのです。

 そのことを聖書に書いてあるとおりに信用するなら大丈夫です。「この奥義はあなたがたのうちにおられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:27)

 イエス・キリストが聖霊により子頃の中に住んでおられるので、そこは天国です。もちろんこの肉体が死ねば地上でのいのちが終わるので、天国へと目されます。永遠に肉体も死なない天国です。ソの日を待ち望みながら、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と、愛と赦しと感謝死あふれながらの毎日を過ごせる幸い!ハレルヤ。感謝します。

ルカの福音書

17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。

17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」