牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

神にお委ねする平安

2010-01-06 08:37:24 | Weblog
すべての生きとし生けるものは呼吸をしながら生息しています。
 狭義には好気呼吸(こうきこきゅう)、酸素呼吸(さんそこきゅう)など酸素を用いる呼吸となります。

 呼吸は心身に大変な影響を与え、呼吸の仕方によっては、その人の人生まで変えてしまいます。しかしほとんどの人は、生まれてから今日まで、呼吸の仕方を教わることなく、自己流に呼吸しながら生きています。スポーツ選手や音楽家、宗教家たちや丹田呼吸法などの指導をする方たちは別ですが。私も腹式呼吸などやったことはありますが、なかなか上達せずでした。

 わずか30秒の祈りで世界が変わる!と言うと、そんなに簡単にいくんだったら苦労はないと怒られたりします。しかし、祈りは世界を変え、祈る者の人生を変えることは事実です。

 結婚して12年目に長男が産まれました。結婚5年目に産婦人科で「子どものできにくい体質です。手術をすれば五分五分ですが、できるかもしれません」との診断でした。

 開拓伝道中で手術に支払う経済的余裕もありません。そのままにしていた所、アメリカから来た著名な牧師が、集会の中で2人を前に呼び出し、「男の子が与えられるから心配しないでよい」という預言をしてくれました。私たちの状態をまったく知らない牧師でしたが、そのようにことばを語りました。

 その後、長男が産まれて8カ月目に、腸重積と言う幼児特有の病にかかりました。小児科医が救急車を手配し、県立病院へ急ぎました。子どもを抱いたまま祈りました。「神様、この子をお委ねします。助けて下さい。アーメン」と。普段は、祈れば平安になり答えられますと説教していたのですが、アーメンと言った途端、不安になり恐れに支配されました。

 委ねるということは、お任せする、全面的に委ねるということです。生きることだけでなく、召されることも含んでいることに祈りつつ気がつきました。必死になって祈るうちに病院に着き、手術室へ向かい、いっしょに中へ入ろうとしました。

 看護師が「ここからは私たちにお任せください」と、手術室のドアが閉じられました。
 その瞬間、医師や看護師の手に委ねることができれば、全能の愛の神にお任せできないことはないと示され、幸い手術は成功し、現在は牧師として奉仕し、四人の子どもに恵まれています。孫たちが遊びに来るとじい、じいとにぎやかになり、まごまごしているこの頃です。

 どんな祈りにも4つの答えがあるようです。
 一つはNo(否)です。私たちの人格を損ない、神の栄光を汚すような祈りに、神は明確にNoと答えられます。

 もう一つは、Wait(待て)です。まだ必要ではない、時期が来たら与えるという答えです。子どもが何かを求めるとき、まだ必要ではないと判断したら親は待ちなさいと忍耐を学ばせます。そのように神は必ず答えてくださいます。

 3番目には、Grow(成長)を答えとしてくださいます。長年の信仰生活で様々なことを祈り願いました。願ったとおりにならないでよかったと思うこともたくさんあります。しかし、それを得なかったので大きな人格的成長を遂げたことがいっぱいあります。結果的に願いや思いをはるかに越えて答えられていたのだと感謝しています。

 4番目はYes! Go!(明確で具体的な答え)です。何とそのような具体的な祈りの答えが多く与えられることでしょう。

 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイ7:7〜8)

 イエス・キリストの約束は、30秒であろうとなかろうと、素直に率直に、単純明確に求める祈りに、必ず答えをくださり、その結果として神の栄光輝く人生を歩むことができるのです。

 「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」(ヨハネ15:7)