牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

三拍子そろった幸

2017-08-09 18:08:40 | Weblog
;ヨハネの第三の手紙1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得=恵まれ、繁栄し、成功しているようにすべての点でも幸いを得=恵まれ、繁栄し、成功し、また健康であるように祈ります。
三拍子そろった祝福人生を、聖書は約束しています。人間は、三位一体の神の御姿に似せて造られました。
霊と魂そして肉体を持っています。健全な精神は健全な肉体に宿ると言います。しかし、霊的に満たされないと、心の中は空っぽです。思想や主義主張、高級と思われるような趣味、生き方、宗教や道徳的修養を積んでも、創造者である父なる神を持たない霊はむなしく孤独です。
イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じるとき、聖霊が死んでしまっていた霊に、新しい息吹を与え、人は新しく生きることができます。アバ父と呼ぶ霊です。
ローマ書8:9-11 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
アーメン。信じます。心にイエス・キリストをお迎えすると、三拍子そろった平安と幸せを体験できます。
ありがとうございす。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

今日も天国

2017-08-09 08:07:43 | Weblog
豊かな恵みの 今日も天国
まことの幸い 平安満ちて
みことばたくわえ 口ずさみつつ
流れのほとりの 植木のように


日照りのときにも 枯れることなく
たされ続けて 生気にあふれ
ありがとう感謝で賛美を口に
豊かな実りの恵みの日々を

主イエスの十字架信じた日より
復活の主イエスは世の終わりまで
聖霊注がれ輝く笑顔
福音語れば救いはあふる
アーメン

愛は赦し。赦しは愛

2017-08-09 08:02:05 | Weblog
マタイの福音書18:21-22 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
人間関係は愛です。そして愛は赦しです。愛のあるところに赦しがあり、赦しのあるところに愛があります。
ルカの福音書17:3-4 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
ペテロは、覚えてますよ。7度まででしょうかと言いました。聖書で7は完全の意味があるので、イエス・キリストは完全に赦しなさいと教えました。7度までは赦すけれども、8度目は赦さいぞ、という意味ではありません。七度を七十七倍するまで、完全な徹底した赦しです。
教えただけでなく実行された尊い愛の姿を、十字架上に見ます。ルカの福音書23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
全人類のすべての罪や呪い、病や貧しさ、死と滅びを赦し引き受け、死なれました。その神の愛の赦しをアーメンと信じているのがクリスチャンです。
愛は赦し、赦しのあるところに愛があります。赦しのあるところに平和があり、平安、喜び、希望、すべての幸せが輝きます。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

長崎原爆の日

2017-08-09 07:46:58 | Weblog
長崎市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分]に、アメリカ軍が長崎市に対して投下した人類史上実戦で使われた最後の核兵器である。アメリカは長崎に投下した原子爆弾のコードネームをファットマン(Fat Man)と名付けていた。制式名称はマーク3(Mk.3)核爆弾。この原爆で当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊。
人類史上最初の原爆投下は、8月6日の広島市。何と最後の核兵器の投下が、8月8日午前11時2分の長崎市です。
被爆国として、平和憲法を順守し、地球を完全に破壊してしまう核廃絶の先頭に立つ国になるよう願う朝です。原子炉も早く廃炉にし、経済優先先走りで、原子炉輸出、武器輸出、戦争立国にならないように、政治家がしっかり憲法を守るように祈ります。
手元に、濱田龍郎詩集=浦上の丘に登ればがある。1945年の今日、爆心地に近い浦上天主堂も壊滅的な被害を受けた。再建された天主堂からは、被爆の事実を疑い知ることはできない。今は、被爆の傷跡をさらす写真に出会うこともない。実は、池松経興撮影の写真に、種子島出身の濱田龍郎は1967年、その写真の撮影者に出会い、浦上の丘に登ればの誌を書いた。

もう一つの太陽
あの山も この川も その日見たであろう 晴れた昼 もう一つの太陽を
一瞬炸裂する刺すような光を あの山も あの川も その日全身で見たであろう

山よ川よ 今日も朝から上天気 あの日の今日だ 昼も近いが 
時にはふっと意識もせずに 不意の恐怖に震えはせぬか 遠くの雲さえ怖くはないか

炎天下 緑の芝生に人々は集い 見て来た者も聞く者も
熱っぽく平和を守れと呼びかける 高まる熱気で熱くなる
山よ 川よ 二度と輝く太陽が 二つ有ったりなどはもうしない
人の叫びを子をヨブ声を 二度とその耳に届けはしない
そのためにこそ8月8日 人々は集い確かめ合う
長崎の 声なき声を聞きに集まる


*詩集は絶版ですが、著者濱田龍郎=090-8402-264へお問い合わせください。