牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

今を生きる幸

2017-08-06 18:19:35 | Weblog


今を生きる恵み=神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。コリント人への第二の手紙6:1ヨハネの第一の手r紙3:3愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
ローマ8:1こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ローマ5:9ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

クロノス=過去から未来へと一定速度で流れる連続した時間=時刻
past=過去  future=みらい present=現在 
カイロス=一瞬間や、人間の主観的時間=永遠の今=瞬間

過去は現在の意識が創り出している=想像し=という過去と言う現在
明日=未来も、現在の意識が創り出し=想像=ている明日であり未来です。
永遠のいのちは永遠の現在です。永遠には過去も未来もない。永遠のいのちに生きるとは、永遠の今=現在=プレゼントとして生きているのです。カイロスを主観的時間として生きているので、2000年前のイエス・キリストの十字架も復活も。現在のこととして体験し、現在は大きなプレゼントとなり、すべてのことに感謝できるのです。クロノスの流れの中で起こったすべてのことが、神の永遠の計画であり、すべてが益となり感謝となるのです。ハレルヤ。

クロノスの過去も
詩篇119:67今こそ主が事をなさる時です。彼らはあなたのおしえを破りました。
創世記22:26イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、それをレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」
Ⅱコリント4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

クロノスの今日は
詩篇121:8主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
イザヤ書43:19見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
イザヤ48:6あなたは聞いた。さあ、これらすべてを見よ。あなたがたは告げ知らせないのか。わたしは今から、新しい事、あなたの知らない秘め事をあなたに聞かせよう。
ローマ8:18今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
Ⅱコリント4:17今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
Ⅱコリント8:11ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。

クロノスの明日も
マタイの福音書6:25-34 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。なたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
第一ペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。




原爆の日

2017-08-06 06:25:33 | Weblog
広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用した日である。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる[]。原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被曝したとされる。残った被爆者たちは今もなお苦しんでいる。
人類はこの日を忘れてはならない。そしてこの地球からすべての核を廃絶すべきである。核を所有している国々、核実験を繰り返す北朝鮮。内よりも原子炉再開を繰り返す我が国こそ、核廃絶の先頭に立ち、広島と長崎を忘れず、平和憲法を護持し、戦争のない世界を願い、地球の存続と平和の道を走るように願い祈る。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。