牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

奇跡はいまも

2017-08-31 18:39:23 | Weblog
詩篇77:11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

人生をどうにもならない定め=運命とせず、すべての現在に神の定め=摂津があることを感謝しよう。

現在=puresentが文字どおりプレゼント=贈り物となり、すべての事が益となる結果を見なくても、ありがとうございます。心からの感謝になります。

旧約聖書、新約聖書の奇跡の数々。2000年のキリスト教会の歴史、現代のクルスチャンたちの経験。自分の75年の人生、いや今年の経験だけでも、神の愛の奇しいわざに、心からの感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。

天国の門

2017-08-31 18:19:46 | Weblog
ヨハネの黙示録21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。
大好きな聖書のことばです。
天国の門は、イエス・キリストの十字架=ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。"I am the door. If anyone enters by Me, he will be saved, and will go in and out and find pasture.
その救いの門は、東西南北の3×4=12の門があります。どの門も一つの真珠から出来ていて、光り輝く門。
東に3つとは母の胎内や青少年期に救われる人々。私も16歳でアーメンと信じたので、東の門からの救いと思っています。牧師となる人々は、ほとんど10代でクリスチャンになったと言われています。昨日来訪の牧師は、65歳で牧師になり、生駒聖書学院には、40代以上の神学生もたくさんいますが・・・。若い日に救われることを祈ります。
西の門は、死の不安におびえる高齢者の備えられた救いの門。臨終の床でアーメンで安らかに笑顔で天の門へ。
南の門は心優しく、素直にアーメン信じます。幼子のような柔らかな心の持ち主が大勢います。沖縄への旅5連泊。握手し幸せを祈りアーメンと言ってくれた多くの出会い。フロントマンやレディたち。市場の売り子。中学校の校長や教頭、幼稚園や小学生。太平洋に沈む夕日を見ながら、アーメン信じます。まさしく南に大きく開かれた門。
北の門は、理知的で賢く、納得できなければ何も信じられえない人々、しかし、すばらしいことにキリスト教会には英知にあふれた医者や科学者、ノーベル賞受賞者も多くいます。その鋭い知性が、天地創造の造物主をアーメンと信じるとき、偉大な人生が展開して行きます。
こざかしい理屈を捨てて、真の知性を与えられ、真の救いをアーメン人生です。
ヨハネの福音書14:16 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。