昼食が終わり、今日はほとんど歩いていなくて、晴れ間のをぬって山道をゆっくり歩いて見た。
聖書学院の裏は小学校と幼稚園。その間を縫うように水路があり、田植えも近いのできれいな水が流れている。
この道を散歩するのはほとんど一年ぶり。右脳内出血の影響がまだあり、左足がしびれている。立っていると誰にもわからないが、歩くとやはりしびれが来る。それでも毎日少しは歩き、駅まで3000歩、近くのコンビニやスーパーまで2000歩くらいは、時おり歩くようにしています。
今週は、病院へのお見舞いついでに外へ一度出かけただけで、院内だけのい一週間でした。それでも出会った方数名が、イエス様を心にお迎えする祈りをともにしてくださった。神学生たちは木曜日ピクニックだったが、生駒山頂が雨だったので院内で楽しい時を持ちました。
散歩から帰ると人工透析を長年続けていた80歳の教会員が、入院先の病院で天に召された電話が入り、家族の平安と慰めを祈りました。
「主の聖徒の死は、主の御前において尊い」(詩篇116:15)を覚えつつ、もはや苦しみもない、その労苦から解放されて、永遠の天国へ召されたことを主の御前で祈りました。
主に召される日まで、今日もまた天国の一日です!と、与えられているいのちを大切に活き活きと生かされ、ゆっくりゆっくりですが、福音を伝え続ける平安の日々です。
黙示録
21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
聖書学院の裏は小学校と幼稚園。その間を縫うように水路があり、田植えも近いのできれいな水が流れている。
この道を散歩するのはほとんど一年ぶり。右脳内出血の影響がまだあり、左足がしびれている。立っていると誰にもわからないが、歩くとやはりしびれが来る。それでも毎日少しは歩き、駅まで3000歩、近くのコンビニやスーパーまで2000歩くらいは、時おり歩くようにしています。
今週は、病院へのお見舞いついでに外へ一度出かけただけで、院内だけのい一週間でした。それでも出会った方数名が、イエス様を心にお迎えする祈りをともにしてくださった。神学生たちは木曜日ピクニックだったが、生駒山頂が雨だったので院内で楽しい時を持ちました。
散歩から帰ると人工透析を長年続けていた80歳の教会員が、入院先の病院で天に召された電話が入り、家族の平安と慰めを祈りました。
「主の聖徒の死は、主の御前において尊い」(詩篇116:15)を覚えつつ、もはや苦しみもない、その労苦から解放されて、永遠の天国へ召されたことを主の御前で祈りました。
主に召される日まで、今日もまた天国の一日です!と、与えられているいのちを大切に活き活きと生かされ、ゆっくりゆっくりですが、福音を伝え続ける平安の日々です。
黙示録
21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。