牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

,ことばは不可能を可能とする

2012-06-28 09:23:52 | Weblog
知っていたのはダー、ニュット、スパシーボの三つのことばだけで、旧ソビエト連邦を2週間旅したことがあります。もう35年前のことですが・・・・。

 字も読めないし、ことばは発音も良くできない三つだけでした。幸いナホトカ、ノボシビリスク、ソビエト、レニングラードとソビエト人ガイドが着いてくれました。

 ガイドがいないとき、特にホテルで食事をする時は大変でした。適当にメニューを指で示して、何が出てくるか分かりませんが、なんとかお腹を空かせないで旅を続けました。

 レニングラードのホテルの最後の夜を迎えました。ソビエトのお金もまだ残っているし、レストランで最高の値段が着いたメニューを示すと、ダーと返事しながらウエイターが何か言いました。ダー(はい)と返事すると変な顔をして行ってしまいました。

 長い間待たされて(一人旅はソビエトのレストランでは忍耐です)、ウエイターが近づいてきます。パンと小さな上品な器に、黒い粒粒が乗っています。最高のメニューだったから前菜だと思ってパンと一緒に食べましたが、何も出てきません。

 聞くこともできず日本に帰ってその話をすると、聞いてくれた神学生が、ああ、わかりました。黒ダイヤですよ!さっぱり分かりません???・・・・。レニングラードはキャビアの産地。何とキャビアを思い切り注文していたのです。恥ずかしい話ですが、37歳までキャビアを見たことも食べたこともない牧師生活です。それからも食べたことはないのですが・・・・。

 ことばがないとは何と悲しいことでしょう。言葉を使えばたいていのものは買うことができます。また不可能を可能にすることもできます。

 ヨハネ福音書には、

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(1:1-3)とあります。

 すべてのものは言葉によってできたのです。ことばによらいでできた物は、何一つないと聖書は宣言しています。

 言=ロゴスは神なのです。聖書のことばは神のことばです。人間は神の似姿にに創造されました。その最高の似姿がことばを使用できることです。ことばはその人の意思の表明です。

 日ごろ使っていることばによって人格が形成されます。品性を輝かせるためには、言葉使いを変えるだけで変えられていきます。上辺だけの上品言葉と言うよりも、心のきよい思いを語り続ける時、あなたがたはわたしの語ったことばによってきよめられたのですと言う、イエス様の宣言もわかります。

 ことばを美しく、やわらかく出すことだけで、あなたの回りが変わってくるでしょう。

 辛辣な言葉は矢が身体に刺さるように、心に突き刺さります。甘い言葉やさしいことばは、バラの香りのように香気を放ちます。

 聖書のことばは最高のことばです。しっかり覚えて、やさしく愛のことばを語る時、御霊の実に満たされてた品性が輝くのです。

マルコの福音書

11:22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。

11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

11:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。

11:25 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

 

11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」