牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

老害か、それとも高貴に輝く日々か

2012-06-13 09:44:54 | Weblog
1870年代にドイツの宰相ビスマルクは、自分の強力な政敵のほとんどが65歳以上であることに気づいて妙案を思い付きました。

 議会を説得して、65歳以上を強制的な退職年齢とする法案を作りました。65歳を越えたら精神的や能力的に衰えるとか、生産力が低下したり、もの覚えが悪くなったりするというのは、後でくっつけたへ理屈なのです。

 それはビスマルクが65歳以上の人々が持つ知恵、経験や影響力、人をまとめて行く統率力など、ポジティブな資質を恐れて作成された法律だったのです。

 でもそれ以来、ヨーロッパ諸国はドイツに倣い、アメリカもその道を踏襲しています。当然日本では老害ということばや、後記高齢者ということばまで作ってしましました。

 ほんとうは後期ではなく、香気で幸喜な好奇にあふれる、好機で光輝に満ちた高貴な人生なのです。

 生涯かけて築いてきた知性、知恵、影響力、経験、人脈や交友関係が絶頂期を迎える、頂上の輝くときなのです。

 論語には

十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず

とあります。年老いるだけでなく、欲得を越えた輝く人生で、仕える最高の時なのです。

詩篇92篇には

正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。

彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。

彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。


ダグラス・マッカーサーは

 たとえ何歳になろうと、どんな人の心の中にも不思議なことを愛する気持ちや、不屈のチャレンジ精神、そして人生のゲームの中で、「次には何が起こるだろう!」という子どもの様な果てしない好奇心があるはずだ。

 人は、信仰を抱くほどに若く、疑いをもつほどに老い、希望を抱くほどに若く、絶望を感じるほどに老いるのである。

 あなたの心の奥深くには、受信機がある。それが愛、美しさ、希望、喜びそして勇気のメッセージを受け取っている限り、あなたは決して老いることなどない。

 イエス・キリストのあって天国に召される日まで、今日もまた天国の一日です!と、輝いて生き続ける恵みの日でありたいものです。

コリント人への第二の手紙



3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。