牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

求めているものはすでに手に入れたと信じる喜び

2012-06-09 08:41:44 | Weblog
 昔、アメリカのテキサス州で、ひとりの男が油田を探していました。掘っても掘っても石油は出てきません。

 男は息子に、「いくら頑張っても石油なんか見つからない。もうこんなバカなまねはやめるぞ」と言い捨ててあきらめました。

 今までの労苦が忘れられ無い息子は、父親があきらめた平原を再探査しました。すると父が探査した同じ場所で石油を掘り当て、短期間に一財産を築きあげました。

 かれはいつも「父はあきらめたのが早すぎたのです」と人々に語るのでした。

 巨万の富を手に入れた息子と、父親の違いはなんだったのでしょうか。単なる忍耐の問題ではなく、この違いは、考え方=心の持ち方でした。

 息子は神に祈りつつ、神に導かれているという信じる心がありました。ところが父親も祈りながらでしたが、父親は、石油を掘り当て巨万の富を手に入れた人々を、非常にうらみ嫉妬心をもっていたのです。

 自分がもう少し早くあそこへ行けば今頃は・・・・と思ったり、彼にそんな富は似合わないとか、いろいろと愚痴ったりしていたのです。

 父親の目は嫉妬とねたみのために曇ってしまっていたので、自分の足元にある石油を見つけることができなかたのです。

 それは石油だけでなく、私たちの毎日の生活でも同じなのです。人の成功や祝福を羨んでも何の得にもなりません。

 イエス様は、許ししなさい。そうるれば赦されると教えてくださいました。許さないなら赦されません。

 裁くな。そうすれば裁かれませんとも教えました。

マタイの福音書 6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。


マルコの福音書11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

  人を羨んだり嫉妬心や許さない気持ちを持っていると求めていることとと逆のことが起こります。

 求めたことはもうかなえられているのに、心の目が曇り気がつかないで、人々の幸せを羨んでばかりではないのか、立ち止って考えることも良いと思います。

 祈り求めることはかなえられます。

マルコの福音書

11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

 純粋な素直な心で、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメンと真実込めて求める時、すでに答えが与えられていることに感謝できるのです。

 ありがとうございます。答えは与えられました!感謝します。そのように信じて告白し、行動する時に次々に開かれていく恵み驚くことでしょう。

 神のことばは生きていて力のある真実のことばです。アーメンとその通りになると信じて、祈り告白し実践して行く、今日もまた天国の一日です!感謝します。

ヨハネの第一の手紙

5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。