牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ケニアでの通訳はいつもオウマが・・・

2005-09-09 18:38:54 | Weblog
パラダイスの責任スタッフ。ラバンとオウマの二人が孤児院設立時から9年間、子どもたちの世話をしながら孤児院を運営している。これからは資金面でも自立できるよう、オウマと孤児院で成長したラウンディが3ヶ月間、仕事の研修をしながら準備している。ケニアではいつもオウマが通訳をしてくれる。

ヤコブの手紙より
  2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、
2:16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
2:20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、
2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
2:25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。
2:26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。

ケニアの訪問者

2005-09-09 11:23:51 | Weblog
11日(日)午後2時45分、大阪エリムの礼拝でケニアの孤児院スタッフ
オウマさんと、孤児で成長したオモンディ君(19歳)の二人が、話をしてくれます。
 オウマは日本語が上手です。オモンディはスワヒリ語で話します。アフリカのことやパラダイス孤児院のことをレポートしてくれます。
 アフリカへは16年前に初めて行きました。
 それ以来16年、毎年欠かさずのケニア訪問を続けています。何回も書きましたが、パラダイス孤児院の働きを続けています。
 来年には学校も開校予定です。アフリカに愛の手を!