牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

命に輝く人生

2005-09-03 08:13:54 | Weblog
いのちに輝く人生 2005年09月03日
 4年前胃がんで全部を摘出した55歳の教会員が、再発で入院したので病院を訪ねた。
 医者は家族でなければ病状を背説明しないが、本人も牧師に説明することを了承したので、医務室で詳しく説明を受けた。4年間一度も入院せず元気で過ごしたのは奇跡に近いとのこと。
 また現在も食事を取れるのはフシギだと話してくれた。非常に厳しい状態であるけれども、礼拝に出席することも許可してくれた。
 病院と教会は車で10分くらいの距離で、本人も礼拝出席を楽しみにしている。
 人間である限り必ず死ぬ。だが案外その事実に目をつぶり、死を無視して暮らしているのが人間である。
 牧師として多くの末期に方々との出会いを経験してきた。臨終の床でアーメンと告白し、安らかに召された方々も多くいた。
 聖書はハッキリ死後の世界を教えている。
 「一度だけ死ぬことと、死んで後に審かれることが定まっている」とヘブル人への手紙9章27節にある。
 一度だけ死ぬことに反対する人はいない。死んで後に審きがあることも定まっている。このことも真実なのだ。
 イエス・キリストが十字架の上で死んだのは、人間に定まっている死を経験し、同時に人間の持つ罪(原罪や実際の罪)の審きを受けて死なれたのだ。
 だから、イエス・キリストの十字架の救いを信ずる者の審きは終わったのである。聖書は、全人類の罪は十字架によって贖われたと宣言している。
 その十字架の事実を、アーメンと信じるだけで救われるのだ。このブログを読みながら、「アーメン。信じます。自分の罪はイエス・キリストの十字架によって赦されていることを感謝します。イエス様、私の心にお迎えします。どうぞお入りください。信じます。アーメン」と言うなら、あなたは救われ神の子となり、永遠のいのちを持ち、天国へ行くことができるのです。
 天国行きを確信すると人生は変わる。早く天国へ行きたいというあきらめの人生ではなく、永遠のいのち(神のいのち)を与えられたので、輝きに人生を生きることができる。
 死を自覚すれば、その後の人生の生き様も変わってくる。ほんとうにやりたいことを命のある間にやりたい!と実行に移すとき、残された人生はさらに充実するのだ。
 今、健康であれ、病んでいたとしても、若くとも高年齢でも天国に希望を持つ人の生き方は輝きはじめる。
 若くても高齢でも、健康であっても病んでいても、貧しくても豊かでも、学齢があろうがなかろうが問題ではない。
 本当のいのちに生きているかどうかが大切なのだ。


 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。ヨハネ5:24

 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
                    ヨハネ10:28

 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6