枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

八せん始まり・中潮・皐月

2024年06月17日 | Weblog

 今朝の気温は、網戸にしていたら寒い感じがする。早朝から、枇杷の果実見回りつつ唐辛子を軍手に容れて下げた。寒冷紗を掛けず路地としているが、何故かこの樹には寄り付かない。ブロ友さんに聴けば、長物に危険を感じるとも。

 青大将の抜け殻あり、苦手意識と放置しているが有効利用には好いかも知れない。円筒の物を見つけて、枝から渡しては良かったようである。相変わらずの、鵯の騒ぎに閉口しては止まずだが。野鳥の観察?最適、煩く気分は平行線。

 枇杷葉は、最初は生葉の使用と種を植えたもの。偶然か4年目に花芽がつき、結実していたと知る。馥郁とした香りが何処からともなく漂い、それが枇杷葉とは気づかないでいたのも迂闊。枇杷狩りにも行き、丹精籠める訓えに覚醒。

 その頃は、鬱に塞ぎ肌荒れに悩み明日を慮る日々であった。自律神経失調症は、医者の見立てに非ずと螺旋階段を行き来した。長くも短い年数、命への感謝等持ち合わせなかった。先ずは、自らを愛せることへ想い至らず迷路彷徨。

 枇杷葉から何と多くの方々に支えられ、繋がってのこと。自らの命が尽き果てるまでに、与えられたる使命。森羅万象の訓えを、糧と想える歓びは心に亘らせば努る為り。闇に、光注ぐを観るとも。

コメント (2)
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