枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

遅かりし由良之助に

2024年06月25日 | Weblog

 気づくことの大切さには、個人差は否めなく範囲も異なる。拘りの違いもあろうし、環境や国柄にも依る処が多く大きい。森羅万象・宇宙の広がりや繋がりに、無関心だと自分しか見えない。言葉にて一人では生きれぬと言うが、建前と。

 枇杷葉からの導きと学びには、自然からの訓え多く有。自らが気づかねば判らぬ事象増え、思考へと至れる為り。慢心や驕り・自惚れ避け、初心に還る素直さ一途のことと励める。文字の間に隠れる真意あるを、瞳をみひらきて覚醒也。

 沖縄の慰霊の日、各々の思い綴りしを読みながら上っ面の表現みる。あの悲惨さが、今以って続き終わりのない差別を生み出す。戦争は、庶民への強制であり殺戮は容赦ない。何方へ味方しても、犠牲になる人々に命令止まずにて。

 枇杷葉の果実やエキス届けて、季節の野菜戴くを感謝。李は青空市へ向けずなのを受け取り、キャベツ・ピーマン等有難い。何だか、海老で鯛を釣る心境にうれしく心の温かさ感じる。自然からの恩恵、亘らせつつ繋がり往く不思議。

 枇杷葉と旧暦の暮らしあれば、体内時計狂わずとも。あるが侭の素直さ崩さず、学びの姿勢怠る勿れと聴こえ視えるを心して。自らの意志違わず、森羅万象疑うこと非ずと弥勒菩薩祈る為り。

コメント (2)
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