狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

スバル360

2005-10-07 21:10:21 | Weblog
 朝日新聞今日のコラム「天声人語」(10/7付)は、次のようなものであった。
ボクには、特に思い出のある「スバル360」の名前が出ているので、この新聞記事を大事に切り抜いてとっておいた。 

《星にちなむ全国アンケートで、好きな天体の第1位に「すばる(プレアデス星団)」が選ばれたことがある。昔から日本人にはなじみが深く、清少納言も「星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ」と「枕草子」でうたっている。▼おうし座にあり、六つの星が見えることから六連星(むつらぼし)ともよばれた。この六つの星をデザインしたマークが「スバル車」をつくる富士重工業の商標だ。そのスバル車の先行きが気になる動きがあった。▼トヨタ自動車が富士重工と業務提携し、これまでの提携先の米ゼネラル・モーターズ(GM)が持っていた株の一部を買って筆頭株主になる。国際的な再編を繰り返してきた業界だが、今回は日米関係を映しているような面がある。▼業績がめざましいトヨタは、米国での販売価格の値上げを発表している。トヨタは否定しているが、値上げも今回の動きも 、経営不振に苦しむGMへの支援とみられている。▼19世紀に欧州で生まれた自動車は20世紀に米国で巨大な産業となった。戦後もGMなどのビッグスリーの時代が続いたが、やがて、トヨタなどの日本車が米国の多くの消費者の支持を得るようになった。その流れは激しく、米国のメーカーは窮地に追い込まれている。▼58年に発売された「スバル360」は、丸くて小さい形から「てんとう虫」とも呼ばれた。富士重工の前身の中島飛行機の技術が凝縮されていた。小さくともきらりと輝く。そんな願いと誇りとが感じられた。そのスバルのマークが、今は、国と国のきしみの緩衝材に使われているように見える。》 

 ボクはかつて、この「スバル360」を2台(輌)も持っていたことがあった。1両はスポーツタイプ型で、部品保持の為のものである。走行は不能だった…。走行可能というか、全く実用に使って走っていたスバル普通型は、わが家の車庫(青空車庫だったが)から盗難に遇ってしまった。

 当時の警察は、届けても殆ど問題にしなかったばかりか、この盗難車が、然る所にばらばらに分解されて放棄してあったのを、こちらが見つけて警察に届けでたら、
「んだら持っていったら良がっぺ。(そうなら、そうと、自分でさっさと持って行け!!バカ)=tani 標準語訳」と担当平巡査は平然と言ってのけたのである。それで通った世の中だった。

 当時スバル360「てんとう虫」は、ホンダN360(通称イヌコロ)とともに、プリミア付の車種だったのである。20万円ぐらいが通り相場だったように記憶する。

 このスバル360の製造元の富士重工は、前記「天声人語」にもある通り、前身は中島飛行機にさかのぼる。そういっても今の人には分からないだろうけれど、旧日本海軍航空機ゼロ戦の発動機(エンジン)を作った会社とでも説明すべきか。それとも、旧陸軍戦闘機の「隼」の製造元とでも云った方が早道になるだろうか。
ゼロ戦(零式艦上戦闘機)は三菱で作った機体に、中島製のエンジン(栄発動機)を装備したのである。

 ボクが悪名高い三菱のトラックを評価するのは、あのゼロ戦(零式艦上戦闘機)のイメージがまだ抜けきらない事による。
実際、今でもいいトラックだったと断言できる。

 実はこのスバル360については、もっと大きな思い出がある。
それは隣村に住んでおられた、富豪でもあったI氏がその製造番号No1を所有していたことだ。
I氏はこのスバル360の1号車を引き取る為、わざわざ群馬の太田工場まで行ったそうである。今では全く考えられないことだが…。

 あるスバルマニアが、せめてその残骸でもと、捜し求めて歩いた時、当時I氏と懇意だったボクに語った話である。もちろん何一つ見つからなかったのはいうまでもない。