狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

Mさんへの手紙

2005-10-01 08:57:54 | 反戦基地
Mさんへの手紙
親愛なるMさんへ。
秋が深まって参りました。貴方さまの御意見は、感銘しながら毎回拝読いたしております。また、小生のブログを度々読んでいただいていることを感謝申し上げます。

貴方さまが何の専門家であるのか、現在何をなされているのか、プライベートなことは、一切分かりませんけれど、貴ブログを通じて、また「プロフイール」中の、御著書の題名・解説などから、非凡、かつ異彩の学究のお方であるということだけは詮索いたしております。尊敬の念禁じ得ません。
年齢だけが、凡そ同時代の誼と思し召し、今後尚一層の御交誼、御指導のほどをお願いいたします。

さて小生、先日「長崎市長への7300通の手紙」について拙文で触れましたが、何せ1989年、約17年も前の話です。話題にも賞味期限もあることでしょう。とうにその期限は過ぎておりますが、今尚重要な問題を抱えておると思われますので、若干補足いたします。

この本島市長に宛てた手紙の内容は、
支持、激励するもの約7000通弱、
批判抗議するもの381通となっており、小生のはがきは、もちろん前者であることは言うまでもありません。その返信が岩波の「ブックレット」にもなりましたが、小生宛にも届いておりますので紹介いたします。

 <  感謝のことば
山は青葉、小鳥のさえずりの楽しい頃でございます。
お元気で毎日をお過ごしでしょうか。
さて、私が昨年十二月に、天皇と戦争について発言してから今日まで、全国各地や世界中の方々から激励と抗議のことばをたくさんいただきました。それらの電報、はがき、手紙を、昼も夜も読み続けました。
一つひとつに、長い年月のさまざまな深い思いが綴られて、私は感激で圧倒されました。また、抗議のすさまじさに眠れぬ夜もありました。
本当にありがとうございました。
今、昭和を送るに際して、あの戦争で犠牲となった、内外2千数百万人を思い起こして、今日、我々が反省し、なすべきことは何かということを考えることは、最も必要であり、大切なことだと思います。
いつの日か、私の考えを申し上げる折もあろうかと思いますが、とりあえず、心からのお礼を申し上げます。              敬具
平成元年7月      
                  長崎市長  本島 等  >

この初版本は、僅か一ヶ月余の間に、5回の増刷を重ね、3万6千部を製作したとあります。
ところが、大阪にある解放同盟から、次のような社告にあるような理由を挙げて、書中に掲載した1通の手紙を削除するよう求められ、絶版となりました。

 <「長崎市長への7300通の手紙」初版の増刷を中止するにあたっての社告

 89年5月15日発行『長崎市長への7300通の手紙』を、89年6月26日付初版第六刷を最終版として、以降、絶版といたします。
 去る6月23日、径書房は、解放同盟から、本書に掲載した手紙、『議論を封じる行為は人間否定』について、「この内容は、解放同盟とその運動に誤解を与え、被差別に対する差別と偏見を助長、拡大するものだ。これ以降増刷するものについては、本書より削除することを要求する」旨、口頭での抗議と申し入れを受けました。
右申し入れにもとづいて、私どもはさまざまに考えた上、初版の増刷を中止することを決めました。

 そして新たに、解放同盟の見解と、それに対する私共の見解を申し述べ、この間のいきさつを明らかにするページを付け加えた、増補版を早急に刊行いたします。

天皇ないしその戦争責任を問うことは、言論、表現、出版の自由の拡大と分かちがたく一体の問題です。そのことを改めて確認すると同時に、天皇、天皇制の存在、その本質と表裏をなす被差別の問題に私たちの視野を広げ、差別をなくし、乗り越える道を、いっそう多数の読者の皆さんと共に、真摯の探る手がかりとするために、この増補版『長崎市長への7300通の手紙』が役立つことを、切に願うものです。
1989年6月26日    径書房 >

その解放同盟が削除を要求した『議論を封じる行為は人間否定』(大阪府にお住まいの野々山志郎さんという方からのお手紙です)とは、どういうことなのか、事実無根の内容なのかどうか、小生には読んでも容易には判りませんでしたが、野々山さんは、この手紙の中で、ご自身の先祖が被差別の出身であったことを書かれた上で、組合役員の選挙にからみ、解放同盟から差別者だとして糾弾されてことを書いておられます。そして解放同盟の糾弾行動を、右翼の街宣車による威嚇と同列において非難している内容でした。

径書房の見解は、<非難されている野々山さんの文は解放同盟にとって、快いものではなく、とうてい素直に受け入れることのできるものでないだろうことは、一読明らかである>とした上で、

①野々山さんは、ご自分が被差別地域出身を持つことを知って、その自分に正面から対処していかれたことを書かれ、また現在、教育相談事業に取り組まれているなかでの、苦衷の語り口は、筆者のそれなりのお人柄を想像させている。
②解放同盟の抗議を正しく受け止めたい。
③解放同盟の意向にもかかわらず増補版では、野々山さんの手紙も含め、初版のすべてのページに何らの訂正加除を行わず、解放同盟の意向を併せて明らかにする文章を、初版巻末に付して読者にお届けしたい。
というようなものでした。そして増補版に付け足す16ページに及ぶ『増補分』としたパンフレットを緊急刊行しました。

なほこの頃、岩波書店の「ちびくろサンボ」や、内容が同列の講談社、小学館、学研などの本が、抗議を受け次々絶版になった記憶を思い出していただけるでしょうか。

この問題は、当時解放同盟と、日本共産党との対立や、さまざま異見が持ち上がったように覚えておりますが、その後の結果や、更に現在の解放同盟の動向は小生には全く分かりません。

ただ長くなっただけで、意を伝えられぬ惧れのある、拙文となりましたが、貴方さまには理性的ご判断でお読みいただけるものと信じます。

当方は今宵恒例の花火大会があります。これはT市のJ寺の先代住職が、旧海軍航空隊殉職者の慰霊を目的として始めたれたと聞いています。新しいナショナリズムが、刻々と押し寄せてくるような気配の方今、平和への願いが大空を彩ることを期待しております。
末筆ですが貴方さまの益々の御健筆、御健康を祈念いたします。
尊敬するMさま御机下