木曽三川公園の中に水郷農家が展示されている、今回はこれを
紹介したいと思います。
この地域は木曽川・長良川・揖斐川が集まり昔から毎年のよう
に水害を受けていました、ここに住む人たちは周りを堤防で囲み
(輪中提)水害を防ぎました、これでは防ぎきれないため、いろ
いろ工夫をして生活して来ました、現在では河川の改修がすすみ
水害もほとんど見られなくなりました。
上げ舟、洪水の時の運搬用にほとんどの農家が持っていました。
上げ仏壇大切な先祖が祀ってある仏壇、洪水の時は滑車でつるし二階
に引き上げていました
洪水の時の避難所として生活できるよう、各農家は水屋という、
小高く積み上げた上に蔵のような離れをつくっていました。
この地域約3.000haの農地は長良川、揖斐川にはさまれた低標高で
河川より低い土地のため洪水に弱く、農民の知恵で田んぼの田面を
高くするために、くし形にクリークが出来、運搬はもっぱら舟運で
極めて効率の悪い農業を強いられてきました、昭和30年代に入り、
このクリーを河川に堆積した土砂を浚渫しながら、配管により土
砂を水流で運搬しクリークを埋めました、平地となった農地を土
地改良事業を実施し道路・水路を整備し大型機械農業が可能な高
生産農地として生まれ変わり、岐阜県一の農業近代化が図られた。
輪中の農家、豪華な装備はリスクと共に蓄財も・・
相当肥沃な農地に恵まれて・・よかったんですね~
たぶんリスク以上の魅力の農家経営だったようですね
学校の教科書になりそうな 写真と解説に・・
素晴らしいものを感じました。
た土で肥沃ですね、少しでも土地を高くと嵩上げ
した結果くし形のクリークと称する池が出来まし
た、耕作面積は減り運搬は舟に頼ることになり効
率の悪い営農でした、これを埋め立て土地改良す
ることにより、広大な土地と効率の良い岐阜県を
代表する近代農業団地として生まれ変わりました、