気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン8の5 「街なか食べ歩き」

2016年12月16日 | 倉吉巡礼記

 続いて大岳院に行きました。その山門も被災で軸部に相当の負荷がかかったらしく、柱が内転び状態になってやや西側に歪んでいました。倒壊を防ぐための応急処置として補強材が添えられていますが、屋根の木組みにもかなりの負担がかかっているようなので、いずれは瓦を一端下ろすぐらいの修理が必要になるものと思われます。


 なので、参道は立ち入り禁止となっていました。山門を横に見つつ、駐車場から斜めに楼門前へ入るしかありませんでした。


 本堂前にあった山形まり花のパネルも無くなっていました。地震で損傷したのではなく、もっと以前から撤去されていたそうです。どうもイタズラを受けたらしく、パネルがひん曲がり、折れたような形になってしまっている状況を、既にTさん撮影の写真で知らされていました。とりあえず修理しているらしい、ということでした。


 引き返して、上図の「くだものや」で一服しました。このお店のスムージーを一度味わってみたかったからです。


 メニューはこんな感じです。三種のスムージーがあり、ナッツ類を中心としたメープルグラノーラのトッピングも用意されています。


 で、リンゴにメープルグラノーラのトッピングでオーダーしました。普段のおやつが素焼きナッツ類なので、こういうスタイルの飲み物は個人的に好きです。


 「くだものや」から見た風景です。屋根にブルーシートが掛けられていますが、建物本体にはさほどの影響が無かったようです。


 イベント中なので、他にも色々なお店でおやつ的なメニューを提供していました。ちくわを取り入れた品が多かったのですが、これは何だ、というような初めて見るものも少なくありませんでした。
 食べたい、という気持よりも、これは何だろう、という疑問の方が先に立ってしまいがちなので、もう少し説明というか、どんな食べ物であるかの案内がワンステップ必要ではないか、と思いました。


 あちこち回りましたが、行列が出来ていたのが「ここなつ」の姉妹のいる「新来軒」でした。


 ここでもちくわ関連のメニューでしたが、中華料理店らしく、春巻きのコラボで勝負していました。これは分かり易いし、どんな味か大体想像がつきますので、食べてみようか、食べたいな、といった気分になりやすいです。「倉野川市民」および「ちくわ軍」の若者たちが並んで買っていたのも当然でした。


 Tさんも私も列に並んで、女将さんの手慣れた品捌きぶりをしばらく見守りました。


 今回いただいた「ちくわ春巻」です。ちくわ入りの春巻ですから、味もそのまんまです。

 聖地巡礼における楽しみ方として、よく「食べ歩き」が挙げられます。ガルパンの大洗でも既に一定の食べ歩きコースが定着して人気を呼んでいますが、食べられるメニューの豊富さという点では、大洗よりも倉吉の方が勝っているように思います。現時点では「ひなビタ」イベント期間のみの限定品が多いのですが、それ以外でも幾つかの定番グルメがあり、かつその種類も多いです。

 ですが、こういう食べ歩きの元になる参考情報の発信というものが、倉吉は大洗に比べて大変に少ないです。食事処のガイドや案内は数多く出されているのですが、それは大洗も同様です。大洗ではさらに、実際に食べたものの写真や味の感想がリアルタイムでブログやSNS等で毎日のように流されているので、それを見て食べたくなった人が現地へ向かう、という好循環を生んでいます。
 ガルパンファンは、このグルメ情報のアピール行為を「飯テロ」と呼ぶようです。夕食後しばらく経って次第に空腹になってくる深夜の時間帯にネットをやって、前述の実食情報の波にさらされるわけですから、こんな食べ物があるんだ、食べたいなあ、よし大洗へ行こう、という気持になり易いです。

 これに対して、倉吉の場合はそういったリアルタイムでの食べ歩き情報がものすごく少ないです。そういう情報を発信している方があまり居ないようです。
 ファンの方々のツイッター等を見ていても、食べ物の写真よりも「ひなビタ」やパネルの写真が多いです。なので、倉吉へ行って白壁土蔵群エリアで具体的に何が食べられるのか、というキャッチーな情報群がほとんど構築されていません。倉吉の代表的フードである牛骨ラーメンすら、ガルパン大洗のアンコウ鍋ほどに多数の実食写真が投稿されていません。
 些細な事のようですが、これは地味に重要かつ決定的な差異だと私自身は思っています。人気が高くてリピート率の高い観光地の最も人気ある要素が「グルメ」であることを考えると、いまの倉吉の総合的な観光情報において何が不足しているのかが、よく理解出来ます。

 例えば、ガルパンの大洗では、ファンの方々だけでなく、地元住民やお店の方が自ら発信して「これを食べにおいでよ」とアピールするのが日常茶飯事になっています。食事処や店舗の案内をするのではなく、いま何が食べられるのか、何が美味しいのか、という重要かつ基本的なアピールをネット上で盛んにやっています。だから、大洗には、連日のように多くの巡礼者が訪れていて、しかもリピート率が上がっています。
 しかし、倉吉の現状はまったく逆です。「ひなビタ」イベントの期間でさえ、地元住民やお店の方が自ら発信してアピールしているケースを、少なくとも私自身はネット上で見たことがありません。当日に現地へ行って初めて知った、というケースばかりです。

 逆に考えると、倉吉の場合はそのカテゴリーにおいてもまだまだ「伸びしろ」があると思います。問題はその「伸びしろ」を具体的に理解して対応するだけの気構え、体制などが出来ているかどうか、ということに尽きると思います。 (続く)
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プラウダ高校 BA-64 装甲車 作ります!! その3

2016年12月15日 | ガルパン模型制作記

 ステップ5では上部車体を組み付け、上面および右側面各所のパーツを取り付けます。ステップ6では左側面および背面の各所のパーツを取り付けます。劇中車はキットに一致するようなので、ガイドの指示通りに進めてゆきます。


 上部車体を組み付けました。パーツがやや反っていたので、まず前半分を接着し、それから後ろ半分を接着しました。精度は良いので、丁寧に接着していくと、ピッタリと合いました。


 ハッチ開口部から操縦席が見えますが、後でハッチを接着固定しますので、車内の様子は殆ど見えなくなります。


 上面および右側面各所のパーツを切り出しました。


 上面および右側面各所のパーツを全て取り付けました。


 ステップ6に進み、左側面および背面の各所のパーツを切り出しました。


 左側面および背面の各所のパーツを全て取り付けました。


 ステップ7では車輪を組み立てます。今回の制作においては塗装段階で組み立てます。ステップ9で車輪を取り付けるのも、塗装後に行ないます。
 したがって、ここではステップ8の工程のみを進めていきます。


 関連するパーツを切り出しました。


 全て取り付けました。上図右端の予備車輪パーツは、塗装後に組み付ける予定です。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン8の4 「地震の爪痕」

2016年12月14日 | 倉吉巡礼記

 正午近くになったので、Tさんが「モダンへ行きますか」と提案し、そこへ向かっている途中で上図の新しいお店の前に着きました。「扇雀食堂」というお店ですが、Tさんも私も知らない所なので、試しにこっちに入ってみますか、ということになりました。


 定休日は日曜および祝日、というのが珍しいです。週末に遊びに行っても土曜日しか入れないわけです。地元住民を主な対象客層に絞っているのかもしれない、と思いましたが、店内には地元の方や高校生らが居て、まったく予想通りの状態でした。


 営業時間は11時から21時ですので、ランチもディナーも楽しめるわけです。


 定食メニューを見ますと、メインは中華料理っぽい感じがしますが、何でもあるようです。


 こんな感じで、何でも食べられます。町並み散策の食事処としてはなかなか良いんじゃないか、と思います。


 で、今回はカツカレーを頂きました。鳥取市に住んでいた頃はよくカレーを食べていまして、カレーそのものが鳥取市のオリジナルフードというか、近年は「鳥取カレー」とも呼ばれています。

 なにしろ鳥取県は、一世帯あたりのカレー消費額が全国トップクラスと言われ、その中心的エリアとなる鳥取市には、食堂や喫茶店やパン屋にそれぞれのオリジナルカレーが存在し、それを食べ歩いて楽しむ層が昔から大勢居ました。
 かつての私もその一人で、職場の帰りに鳥取駅近くの「喫茶ベニ屋」でカツカレーを、湖山町の下宿の近くでは「レストラン仏区里屋」で鳥取牛ステーキカレーをよく食べていました。あと「喫茶五島」や「スノーラスカル」のカレーも好きでした。

 ところが倉吉市には、あまりカレーの人気店が分布しておらず、私自身も倉吉で美味しいカレーを食べた記憶が殆どありません。倉吉では牛骨ラーメンの方をよく食べていましたから、カレーを食べようという発想が乏しかったのかもしれません。
 なので、今回のカツカレーは、久し振りの「鳥取カレー」でした。一口食べて、ああやっぱり鳥取の味付けやなあ、と懐かしい気持ちになりました。地震があっても鳥取はめげないだろう、カレーも昔からずっと変わらないんだ、と思いました。


 お店の斜め向かいにある喫茶店「モダン」です。今回は機会を得ませんでしたが、次のチャンスには行ってみたいです。


 午後は、Tさんと白壁土蔵群エリアの被災状況を見て回りました。もともと地震に弱い木造建築の集合体なので、地震の爪痕は各民家の至る箇所に散見されました。最も多いのが建物が揺れた際の一時的な歪みによる壁体の損傷ですが、上図のような、一部の漆喰壁の剥落、という形で表面化していました。壁体の大半が剥離して落ちる、というような被害は稀だったようです。


 建物が地震によってそれぞれに揺れると、その間にある門や土塀などの簡易建築や付属施設に相当の負荷がかかることはどの地方でも共通しています。古建築、新築を問わず被害を受けやすい部分で、瓦屋根の場合は木組みが曲がったりしますので、瓦がズレるか、ヒビが入るかして損傷します。
 上図の「くら用心」の裏門も、同様の損傷を受けていて、通行禁止になっていました。


 「元帥酒造」さんの北側の土蔵ギャラリーの壁面の大半が崩落し、上図のように白いシートで応急処置がなされていました。この処置はなかなかうまくいっており、白壁の雰囲気をうまく維持するのに役立っています。玉川沿いの土蔵群のなかで最も被害が大きかった建物ですが、それでも、この程度で済んだのだ、と私なりには感じました。むしろ、大部分の古建築に関しては、よく耐えてもってくれたほうだな、と思います。


 建築一棟単位での被害が最もひどかったのが、上図の「白壁倶楽部」の建物でした。石積みを用いているため、石がずれたりして建築の骨格にも相当の歪みが生じているようです。その歪みからくる一時的な衝撃によって、各所で漆喰壁の表面部が剥落しています。


 ですが、玄関部分の左右では壁体そのものが大きく歪んで外側にズレています。その下の石組みにも隙間やズレが多く認められ、それによるヒビ等が基壇化粧石にも認められました。石造建築の場合は、こうなってしまうと部分修理では対応出来ず、ある程度は解体して石を積み直す必要があります。数年やそこらでは、たぶん終わらないかもしれません。

 地震直後の文化庁の緊急調査においても、最も被害度が高いとされたようですが、国の登録文化財でありますので、その修理復原については、おそらく国が事業主体になるものと予想されます。 (続く)

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プラウダ高校 BA-64 装甲車 作ります!! その2

2016年12月13日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3およびステップ4では、下部車体の内外のパーツを取り付けます。このキットはインテリアもある程度再現されており、操縦席などが作れます。私の制作においても、操縦席などを一応組み立てますが、完成後はハッチ類も接着するため、ほとんど見えなくなります。


 ステップ3にて取り付けるパーツ類です。


 操縦席を取り付けました。


 下部車体をシャーシ上に組み付けました。


 斜め下から見ると、こんな感じです。


 底面は、こんな感じです。


 ステップ4では、まず排気管を組み立てます。


 組み立てた排気管です。


 排気管を車体に取り付けました。


 ハンドルや鋸などのパーツです。


 全て取り付けました。


 操縦席は車体下部のスペース中央に位置しており、左右にハッチがあるのでどちらにも乗り降り出来ます。BA-64装甲車は2人乗りで、操縦手と上部砲塔の機関銃を操る機関銃手、です。ガルパンではおそらくノンナが操縦すると思われるので、カチューシャは砲塔内に居たことになります。 (続く)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン8の3 「福庭古墳と「倉野川」イベント」

2016年12月12日 | 倉吉巡礼記

 波波伎神社の境内地にある福庭古墳の案内板です。古墳は本殿に向かって右側にあり、案内板の横から道をたどります。


 墳丘は円形ですが、現状では形がよく分からなくなっています。石室は南に向いて開口しています。羨道部分は長さが4.7メートル、幅が2.2メートルありますが、現状では大部分の天井石などが無くなっています。


 羨道部分と玄室とを区切る玄門は、板状に加工した巨石を左右にはめ込んで造られています。山陰地域の古墳ではよく見かける構造です。


 玄室の壁も大きな板石を組み合わせ、隙間なくピッタリと配置されています。古墳時代の終末期に属する遺構ですが、当時はすでに各地で仏教寺院が建設され始めていました。堂塔伽藍の基壇などを構築する際の切石加工の技術が古墳の石室にも応用されたのでしょう。


 上部では切石を壇状に重ねて巨大な天井石を支えています。先日の地震にも耐えて全く異状を見せていないあたりに、その優れた石組み技法がうかがえます。見事なものだな、と感心しました。以前に見た三明寺古墳の石室も同時期同工の出来です。


 玄門から外を見ました。黄泉の空間から現世へ戻ります。


 そして白壁土蔵群の町並みに戻ると、雰囲気は一気に「倉野川市」ムードに転じました。ひなビタイベントが既に始まっていました。


 全国から集まった「倉野川市民」および「ちくわ軍兵士」たちが行列を作って物販コーナーを目指していました。先日の地震にも希望を捨てず、宿のキャンセルもせず、震災復興応援にと駆けつけた若者たちでした。
 これが全国に数個師団を数えるとされる「ちくわ軍」のパワーなのか、と感心させられました。


 物販コーナーは、桜まつりや打吹まつりの時と同じく、東仲町公民館に置かれていました。この形がどうやら定着したようですが、行列が出来るのは毎度の事なので、一ヵ所とせずに三ヵ所ぐらいに分けて販売を行ない、行列待機時間を減らす方向にもっていった方が良いように思います。
 その方が、ファンの皆さんも時間をもっと自由に使えて町中散策やパネル巡りなどを楽しめるだろうと思います。


 元帥酒造さんの山形まり花パネルをとりあえず撮影して、それから近くの「集」の店先を見ていたら、偶然にもTさんと出会いました。以前に大洗へ一緒に行ったこともある、倉吉在住の知人です。
 その後はそのまま一緒に街中巡りをやりました。


 新しいパネルがありますよ、とTさんに導かれて「くら用心」の中庭へ進むと、まず「ここなつ」の姉妹がチャイナドレス姿で並んでいました。ついに公式設定の「中華料理店ロンロン」のバイト姿が実現しましたか・・・。


 その横には、倉吉絣をまとった日向美ビタースィーツの五人が揃っていました。ラッピングバスで見かけたのと同じデザインです。これはイベント後より赤瓦一号館の入り口内に置かれています。


 土蔵ギャラリーにて「ひなビタ」関連の展示品を見物しました。上図は日向美ビタースィーツの五人の声優さんたちの寄せ書きです。


 個人的には、やっぱり纒お姉さんが良いと思います。この時は市役所のデスクから「くら用心」の入口内に「出張」してきていました。
 ファンの方々が入れ替わり立ち代わり撮影しているので、その隙間をぬってパネルを撮りましたが、とにかく天気が良かったこともあり、大勢のファンで賑わっていました。後日に聞いたところでは、約1000人ぐらいが今回のイベントに集結していたそうです。 (続く)

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プラウダ高校 BA-64 装甲車 作ります!! その1

2016年12月11日 | ガルパン模型制作記

 前回、黒森峰女学園チームのSd.Kfz.222 四輪装甲車を作りましたが、他チームの装甲車輌も作ってみたくなりました。すぐに思い浮かんだのは、プラウダ高校チームのBA-64装甲車でした。テレビシリーズの第11話に登場しています。


 このBA-64装甲車も、全容が出ておらず、上図のように車体の前部と左側面の一部のみが描かれます。実車では装備されている7.62ミリDT機関銃が外されてプラウダの校旗が掲げられています。おそらくカチューシャとノンナが移動用に使用しているのでしょう。


 キットは、日本のメーカーからは出ておらず、台湾のビジョンモデルやウクライナのミニアート、ロシアのEASTERN EXPRESSから出ています。このうち、ビジョンモデルやミニアートの製品は大阪や京都の量販店や大型専門店で割合に見かけます。

 上図は、半年ほど前に購入しておいた、ビジョンモデルのキットです。初回限定仕様として、女性兵士のレジンフィギュアが追加されています。このメーカーのBA-64装甲車は、軌道車タイプや雪地型タイプのキットもあって楽しいです。


 パッケージの中身です。小さな車輌なのでパーツ数も少ないです。真ん中に見える黄土色のパーツが、女性兵士のレジンフィギュアですが、これは今回の制作では不要となります。
 このキットの制作ガイドには誤記があり、その訂正表が付せられていますが、残念なことにその訂正表の一部にも誤記がみられます。制作時によく注意して確認する必要があります。

 今回のキットにおいては、ガルパン仕様への工作は、車載機関銃を付けない、の一点のみです。劇中に全容が示されていないため、全ての細部の状況が不明ですが、描かれている範囲だけを観察しますと、実車との相違点はありません。そのまま素組みで組み立てても良いだろう、と判断しました。


 ステップ1でトランスミッションとシャーシを組み立てます。ステップ2では車軸部分を取り付けます。


 トランスミッションのパーツ類です。その前方のエンジン部分はパーツが見当たらないので、省略されているようです。車体を組んだ際に、車内に見える部分のみが再現されている形です。


 トランスミッションが組み上がりました。


 シャーシのパーツ類です。


 シャーシが組み上がりました。台湾製のキットは、AFVクラブの製品もそうですが、日本製のキットとあまり差が無いので、組み立て易く、仕上がりも良いです。


 小さな車輌なので、各パーツが繊細で組み立てづらいように思えますが、実際には逆で、スラスラと進みました。トランスミッション本体の取り付けは、前端の左右のみで接着するので、後ろは宙ぶらりんになっています。次第に垂れてくるので、接着剤が固まってパーツが固定されるまでは、上図のように横にして持ちました。


 ステップ1の組み立てが終わりました。


 続いて、車軸部分のパーツを切り出しました。


 全て取り付けました。ステップ2の組み立てが終わりました。


 下から見ると、中央のトランスミッションの前後でシャフトをかませて車軸に動力を伝えている様子がよく分かります。四輪駆動のシステムはこうなっているのか、と納得しました。


 トランスミッションには二つのレバーが付きます。トランスミッション上部に付く斜めのレバーは変速用で、右側に付く短いレバーは2駆と4駆の切り替えレバーであるようです。 (続く)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン8の2 「波波伎神社の杜」

2016年12月10日 | 倉吉巡礼記

 ラッピングバスを見た後、国道179号線を北上して清谷町2丁目の倉吉青果・魚市へ移動し、そこの「すずや食堂」に行きました。


 この日は自宅を早朝に出てずっと走りっぱなしだったため、ここで朝食にしました。メニューを見ると、大体の品が揃っているようでした。先客が三人居ましたが、みんな牛骨ラーメンを食べていました。倉吉の朝ラー、というやつらしいです。


 そこで、今回は私も朝ラーを楽しんでみることにしました。物流センター等の施設内にある食堂のメニューは、どこの地域でも美味しいと言われていますが、ここ倉吉の「すずや食堂」も例外ではないようで、牛骨ラーメンの味も独特の旨さに満ちていました。


 白壁土蔵群エリアに戻る前に、久し振りに近くの波波伎神社に立ち寄ってみました。境内地付近の曲がりくねった道を進んで、鳥居前を少し過ぎた辺りの道端に車を停めました。向かいの家の方に挨拶して駐車の許可をいただきましたが、その際に「神社には東の山から回っていったら車でも入れますよ」と教えられました。

 実は、その道は20年前に一度だけ通ったことがあります。神社の北側の宅地内の路地道からいったん東の山中に進み、ぐるりと回り込む形で神社境内地の東側に着いたのですが、大部分が未舗装の泥道で、当時の愛車エテルナZR-4がやっと通れる幅しかなく、時にドアミラーをたたまないといけない箇所もあり、ものすごく緊張したことを今でも鮮明に覚えています。
 しかも、神社境内地の段差で車の底部をこすってしまい、鈍い音にドキッとしたのもつかの間、今度は向きを変えるのに充分なスペースが無く、本殿の横で苦労してUターンしたのでした。


 なので、この神社には車で入らない方が賢明です。南の鳥居から参道を歩いていった方が楽です。


 一帯は、倉吉市の保存林に指定されています。広い社叢の中心部にはスダジイの老木が数本聳えて神域を護るかのように並び立ちます。この神社には何度か来ていますが、建物よりもスダジイの印象が強いので、今回は木の写真は撮りませんでした。


 長い参道の右手には広い空き地があって、かつてはなんらかの施設があったように思われますが、詳しい事はよく分かっていません。
 社名の「波波伎」はハハキと読み、伯耆国の「伯耆」の古字体とされますが、史実であればこの神社が古代における伯耆国造の祭祀拠点であった可能性が考えられます。伯耆国造の祖は天穂日命ですが、波波伎神社の祭神は、かつて伯耆国造が祀っていた事代主命であるからです。境内に福庭古墳があり、七世紀に属する終末期の遺構である点から、伯耆国造氏の奥津城であった可能性が高いです。

 したがって、本来はこの波波伎神社が伯耆国の中心的な古社であったものと思われます。延喜式神名帳にも記載がある式内社であり、その由緒は古代に遡ると推定されますが、神階の授与がなされたのは平安期に入ってからです。承和四年(837)に従五位下に叙されたのが初めで、極位の正五位上に達したのは貞観九年(867)のことでした。つまりは平安期の初め頃にこの神社の位置付けが確定したものと理解されます。


 境内地は一段高い台地に設けられ、幣門が石段の上に見えますが、先日の地震によって多少の被害を受けたとみえ、屋根にブルーシートが懸けられていました。


 拝殿です。神社の拝殿建築にしては、どこか寺院建築のような趣をただよわせています。江戸期までの神仏混交の状況を色濃く残しているようです。


 本殿です。地震の被害がどこかにあったもののようで、周囲の玉垣には黄色の立ち入り禁止テープが巻かれていました。


 一般的に、伯耆国の神社、といえば、まずは一宮の倭文神社、二宮の大神山神社などが思い出されますが、それらの序列は多分に中世から近世にかけての信仰の蓄積にもとづいており、古代に遡ればむしろ波波伎神社の方が上位もしくは古社として崇められた形跡がうかがえます。前述のように、祭神が事代主命であるので、古代の伯耆の国づくり、まつりごとを担った伯耆国造氏との関わりが知られるからです。

 その場合、境内地にある福庭古墳の石室の造りが、倉吉市域でも大規模な古墳群である向山古墳群の盟主的存在の三明寺古墳のそれと共通するのが興味深く思われます。向山古墳群は約380基を数える群集墳で、その最終段階は八世紀に含まれるようなので、古代伯耆国の墓地的なエリアであったとみても間違いではないでしょう。
 そして、波波伎神社の周辺にも幾つかの古墳があるようです。未調査未解明の部分が大きいので確かなことは分かりませんが、古墳が多いのであれば、周辺一帯がかつては伯耆国造氏の本願地であった可能性が指摘出来るでしょう。

 伯耆国造氏は、先代旧事本紀収載の「国造本紀」によれば、成務天皇の治世期に出雲系の兄多毛比命(えたもひのみこと)の子の大八木足尼(おおやきのすくね)を国造に定めたことに始まるとされています。当時の伯耆は、古事記では「伯岐」と表記されていて、古くは表記が統一されていなかったことが察せられます。
 現在の「伯耆」に表記が統一されたのは、律令政府が七世紀に国を規定して国府を整備してからのことでした。その国司に山上憶良や淡海三船らが任じられたのは、周知の通りです。


 戻る前に、幣門両脇の狛犬を再び見ました。いずれも地震の被害が最も顕著で、向かって左側の吽形は、御覧のように基台の石が横ズレを起こして崩壊寸前の状態になっています。


 右側の阿形は、さらにまずいことに獅子像の台座が割れてしまっています。基台石の横ズレは少ないものの、このままだと獅子像が倒壊する危険があります。早急な修復措置が望まれるところです。 (続く)

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ローソンの「ガールズ&パンツァー 劇場版 キャンペーン」

2016年12月09日 | ガールズ&パンツァー

 2016年11月29日より、全国のローソンにて「ガールズ&パンツァー 劇場版 キャンペーン」がスタートしています。販売期間を三期に分けて段階的に展開し、2017年1月2日までのお年玉企画「オリジナルポスター」抽選をもって完了するようです。
 ローソンの公式サイトでの案内はこちら

 これまでのスポンサーであったサークルKサンクスが、今年よりファミリーマートに吸収合併されるため、それに代わる形で出てきたような感じです。今後も公式スポンサーとしてガルパン関連の企画を実施していただきたいところです。


 とりあえず、第一段階として11月29日より上図のクリアファイルセットが販売されています。取扱い店舗は私の近所にも幾つかありますので、そのなかで一番くじやアニメグッズ等の取り扱いを常時やっている店舗を選んで行き、普通に買ってまいりました。ローソンの通販システム「Loppi Web」でも12月15日から取り扱いますので、店舗での購入が出来ない方にもチャンスがあります。

 このキャンペーンの取り扱い対象店舗は、一応公式サイトの方で全て紹介されていますが、その全ての店舗でガルパングッズが買えるとは限りません。なぜかというと、キャンペーンを実施するかどうかは、取扱い対象店舗それぞれの判断、裁量に委ねられるからです。
 普段からその種の催事に積極的な店舗だと「ガールズ&パンツァー 劇場版 キャンペーン」も展開してくれますが、そうでない店舗は「ウチはやりません」と決めてしまいますから、行っても何も買えないことになります。そのあたりをよく見きわめた上で、取り扱い対象店舗のなかで、ガルパン関連もやってくれそうな所を選んで行ってみるのが良いでしょう。

 このキャンペーンがスタートした直後の12月初旬にガルパン仲間を倉吉に案内したのですが、その折に倉吉市内の取り扱い対象店舗四ヶ所を全て回ってそれとなく調べてみたところ、扱っていたのは一ヵ所のみで、あとの三ヵ所は最初からやらないと決めて発注もしなかったということでした。

 これは、サークルKサンクスでも同様でしたから、コンビニのキャンペーンというのは、必ずしも取り扱い対象店舗の全てで展開されるわけではないということです。あらかじめ問い合わせたりして、事前に調べておいたほうが、無駄な店舗巡りをやらずに済みます。その店のスタンスを日頃からよく観察して、一番くじやアニメグッズ等の取り扱いに積極的かどうかを見定めておくのも良いでしょう。

 劇場版に続いて最終章が展開されると決まった現在、この種のコンビニでの関連企画は今後もあると予想されますので、今回のローソンの出方と取扱い店舗の動向をおさえておくことも、一つの目安に繋がり得るのではないかと思います。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン8の1 「ひなビタラッピングバス」

2016年12月08日 | 倉吉巡礼記

 2016年11月12日、ひなビタイベントの秋バージョンとして予定されていた「もみじ祭」が、地震のために内容を縮小して開催されることを知り、その一日目分の見物を兼ねて倉吉に出かけました。朝7時に家を出て、9時17分に倉吉の鉄道記念館前に着きました。


 当日は晴れ、記念館横の蒸気機関車C11型の車体にも陽光が当たり始めていました。


 とりあえず、鉄道記念館内に進んで、ベンチに腰かけて少し休憩をとりました。持参したお茶を飲んで、喉を潤しつつ、展示機関車のデッキに立つ芽兎めうのパネルを見ました。


 芽兎めうは、今日も元気でした。がんばれ倉吉、地震に負けるな「ちくわ軍」、めうー。


 さてこの日の最初の目的は、鉄道記念館の向かいの明治町観光駐車場での、ひなビタラッピングバスの披露展示でした。


 今回のイベントの目玉の一つとして、計2台のひなビタラッピングバスが、日ノ丸自動車さんの協力によって初公開展示となったのでした。右手前が市内路線用の乗合バス、左奥が長距離路線用の大型高速バスでした。


 長距離路線用の大型高速バスは、車体も大きいので、ラッピングデザインも大きくゆったりとレイアウトされています。


 車体左側には、日向美ビタースィーツの5人が並びますが、山形まり花、春日咲子、霜月凛の3人は二体ずつ描かれてありました。


 車体右側には、5人がそれぞれ二体ずつ配置されています。いずれも倉吉の街中に配置されているパネルと同じデザイン画です。先頭には、先ほど鉄道記念館で見たパネルと同じデザインの芽兎めうが元気な笑顔を輝かせています。


 背面には、倉吉絣をまとった5人の姿が大きく描かれます。今回のイベントで新たに加わった5人のパネルと同じデザインです。


 市内路線用の乗合バスです。これのラッピング車はもう1台あるそうで、同じ仕様になっていると聞きました。共に倉吉市内の路線で運行される予定なので、今後は運が良ければ乗ったり見かけたり出来ることでしょう。


 こちらも日向美ビタースィーツの5人が並んであでやかさを競っています。多くはCDジャケットのパッケージデザインと同じ図柄なので、ファンにはどれも馴染みである筈です。


 背面のデザインは御覧の通りです。確か「乙女繚乱、舞い咲き誇れ」のジャケット画でしたかね・・・。


 設定では、戦国期の舞御前を和泉一舞、舞御前の側近の橘姫を春日咲子が演じて、倉野川市の「倉野川時代祭り」のパレードで活躍したことになっています。
 舞御前は、いちおう武家の武装姿になっているようですが、甲冑は最低限以下なので、どちらかというと足軽クラスの軽装に近いです・・・。と言うか、こんな武装姿は、実際の戦国期には有り得ません・・・。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く26 その14 「ラストはアキバです!!」

2016年12月07日 | 大洗巡礼記

 旧上岡小学校での見学は、校庭一周にて締めくくりました。時間もあまり無いので、ゆっくりしていられないのが残念でしたが、劇中登場スポットは全て見ましたので、満足感の方が大きかったです。


 最後に、全景を撮影しましたが、校舎が長いのでカメラのファインダー内におさまりませんでした。


 校庭から校門を見ました。この景色も劇中に登場しています。右の門柱の下にカモさんチームの三人がしょんぼりとうずくまっている横を、サンダースギャラクシーの飛来に気付いた面々が勢いよく駆け抜けてゆくシーンが、印象的でした。


 校門の外から改めて撮りました。なんとか全景を切り取ることが出来たようです。


 大子商店街に戻って観光協会に自転車を返却した時点で、まだ少し時間がありました。それで曲松商店街の出店に立ち寄りました。相変わらず大忙しの大里さん達でした。


 私も「つみれ汁」を頂きました。アツアツで美味しかったです。


 常陸大子駅に戻り、朝に知り合った東京のガルパンファンの方と同席の形で11時23分発の列車に乗り込み、ガルパン談義を楽しみました。
 その方は、私と同じような、大洗「みとや」特製のガルパンキャップを被っておられて、朝に駅前でそれとなく挨拶し合って少し話をしていたのでした。名刺を渡すと、出たー、とか言っていました。拙ブログを御存知のようでした。私よりも大洗訪問の頻度が多くてあんこう祭等のイベント類にも積極的に行っているそうで、色々と興味深い話を伺いました。その方はその日は大洗に泊まるということで、水戸駅で握手して別れました。

 後で知ったことですが、ガルパン仲間のナガシマさんが長女とこの日に大洗に遊びにきており、その東京の方と同じ宿「あんばいや」に泊まって語らったそうです。当然ながら私の名前も出たそうで、ナガシマさんはびっくりされたそうです。世間は狭い、とか言っていましたが、ガルパンファン同士の世間が狭い、というほうが当たっていると思います。


 水戸駅で特急に乗り換えて、秋葉原へ移動しました。埼玉戸田の知人Kさんに連絡して、秋葉原駅の電気街口にて合流しました。
 Kさんとは以前に大阪でガルパンピンバッジを共同で箱買いし、9月の訪洗時に「タグチ」の店先で再会して以来、ガルパン戦車プラモデル制作の仲間として交流が続いています。それで今回の機会に秋葉原で模型ショップ巡りを楽しもう、ということで予定していたのですか、私の予定に常陸大子行きが加わったため、時間を午後にずらして合流しました。


 時間があまり無いので、Kさんの提案でラジオ会館と模型店一ヵ所に絞り、まずはラジオ会館内の各ショップを回りました。プラモデル以外も色々見て回り、アニメ中古グッズコーナーにガルパングッズがかなりあるのに驚かされました。
 上図のように、豊富に揃えている店舗もあり、Kさんはカラコレやスイングなどを色々と買い漁っていまたが、私は企業系のガルパン缶バッジを二個買ったにとどまりました。


 模型店一ヵ所、とは上図の「レオナルド」でした。ここでは相当の時間をかけてパーツ類を購入しました。Kさんは、「星野さんのブログ見てて戦車以外の車輌も作り始めてるんですわ」と笑いながらその系統のキットを探し回り、四点を購入していました。

「星野さんは、装輪車輌とか支援車輛も全部作るんでっかね?」
「今のところは、そこまでは考えてませんね・・・。キット化されてないのも幾つかあるんで、全部を作るいうのがそもそも無理ですから」
「ああ、それはそうですな。僕もやっぱりそういう感じに落ち着くかな」
「戦車は全部作られるんでしたね」
「一応はその積りでして・・・。星野さんは大学選抜とかを外しとられますけど、自分はとりあえず全部取り組んでみたい気分ですよ」
「カールもですか?」
「いやあ、ははは、それなんですがね、場所的にきついものがあるんで、これは無理っぽいかなと。キットも高えしね」
「ですな」
「せやから、全部を作るぞ、って考えるよりは、星野さんみたいにチーム毎に絞って段階的に揃えていって、余裕が出てきたら残りの分に手をつけていく、ってのがええかなとは思っとるんですわ」
「そうですか」
「あと、ちょっと気になっとるんですが、継続のBT-42、あれ星野さんは途中で中断してますよね。まだ情報待ちなんですか?」
「そうなんですよ。パロラ博物館にメールで二度問い合わせたんですが、それの返事がまだ頂けないんですよ。忘れ去られている可能性が高くなってきているんですが、念のためにフィンランドの知人にも連絡してそちらからの交渉もお願いしておいたんです。それの返事も全然無いわけでして」
「うーん、そうでしたか。それ、もう半年ぐらいは経ってるんでしたよね?」
「それ以上ですよ・・・」
「それ、大丈夫なんですか?」
「いやもう、何というか、自分は諦めかけてますよ・・・」
「そうすると、BT-42の制作は中断のままになると・・・?」
「現時点ではそうです。進めようがありませんのでね。新たにインテリア無しで作るという選択肢もあるんですが、折角インテリア付きで作ってきてますんで、時間がいくらかかってもいいから、一通り作ってみたいわけですね・・・」
「まあ、それは確かにそうですね」

 Kさんとはその後、駅前の喫茶店で雑談を楽しんで模型のジャンクパーツ類の交換も約束し、16時前に東京駅にて別れました。11月下旬に倉吉へ行きたい、と言うので、その案内をすることも決めました。


 今回持ち帰ったガルパン缶バッジの数々です。新規に出ていたものが少ない時期でしたので、全部で9個にとどまりました。上図右の「大洗マーク」と「西住姉妹雛祭りバージョン」の2個が、秋葉原にて購入した中古品です。

 以上にて「ガルパンの聖地・大洗を行く26」のレポートを終わります。
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く26 その13 「あの場所とあの小屋です!!」

2016年12月06日 | 大洗巡礼記

 校舎内の見学コースを最後まで回って、正面中央玄関に戻り、外に出ました。


 木造校舎の外観が懐かしいです。というのも、私自身が通っていた小学校にも木造校舎があり、雰囲気的には似たようなものであったからです。普段の教室は鉄筋コンクリート校舎に入っていたのですが、理科室とか音楽室とかが木造校舎のほうにあって、そちらで授業を受ける機会も多かったのでした。


 いまでは登録文化財に指定され、外観もそのまま保たれています。改修されがちな窓枠部分などが古くからの状態をとどめているのが貴重です。そして外壁の黒っぽい板と白く塗られた窓枠とがコントラストを成して印象に残ります。


 校舎の右手に回る道があったので、試しに歩いてゆくと、上図のような場所に着きました。講堂などを含めた奥の校舎の脇でした。既視感のある景色でした。ああ、あの場所だ、とすぐに思い出しました。


 劇場版で、あんこうチームの面々が夕方のひと時をぼんやりと過ごしていた場所です。上図右の校舎端の倉庫の脇で、秋山優花里だけが臨時の炊事場を設けて楽しんで夕食の準備をやっていた場面がリアルに思い出されます。
 その際のシチューみたいなのが、劇場版に登場していた唯一の食事メニューではなかったかな、と考えました。あとはポテトチップスとか干し芋とかのおやつ類だった筈です。


 戻る途中で表校舎の脇の流し場を見ました。これとよく似た設備が私の小学校にもあり、手洗いや清掃作業でよく使用したことを思い出しました。横の教室は広くて共同学習室のような趣がありました。


 校庭に出て、東側に小屋のような施設があるので近づいて見ました。これまた、どこかで見たような感じのある建物でした。


 小屋を囲むフェンスの出入り口に回って中に入ると、小屋の様子がよく分かりました。ああ、あの小屋だ、と気付きました。劇場版にて、カモさんチームがやさぐれて引き籠っていたウサギ小屋、でした。遅刻を取り締まってくる、と言って冷泉麻子が講堂からここにやってきたわけです。


 内部もそのままでした。カモさんチームの三人が座り込んでいた位置が、そのまま廃タイヤの位置に示されていました。そしてキュウリをかじっていたわけです。そういえば、金春希美がキュウリの短い方を園みどり子に渡していましたね・・・。


 実際にウサギやニワトリの飼育小屋として使用されていたようで、動物の名前を記したプレートも、劇場版にてそのまま再現されていました。折り畳み椅子が積み上げてあるのも、そのまま描画されていた筈です。


 とにかく、何から何まで忠実に劇中にて再現されているので、見ていて楽しく過ごせました。時間的には一時間に満たないコースでしたが、劇場版の各シーンと重ねてリアルに見られるので、濃厚かつ感動的な聖地スポットであると思いました。ガルパンファンならば、なんとかして行くべき価値のある場所です。 (続く)

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ガルパン戦車道各校チームの戦車とプラモデル

2016年12月05日 | ガルパン模型制作記

 2017年冬から公開予定とされるガルパン最終章には、新たな戦車も多く登場するということです。水島努監督の言葉を借りれば、「もちろん、たくさん出します。強いのから弱いのまで」ということです。


 新たな戦車が何であるか、ということに関しては、既にテレビシリーズで明らかになっている戦車道各校チームの戦車のうちの、未登場戦車がまず考えられます。月刊戦車道にて紹介される公式試合設定資料に記載される各チームの戦車を、以下に並べてみました。このうち、赤字が未登場戦車です。

1 ヴァイキング水産高校
  ソミュアS35、オチキスH35、Ⅰ号B型、Ⅱ号B型、Ⅲ号N型、NbFz
2 コアラの森学園
  センチネルAC1、マチルダⅡ、M3スチュアート、M3リーまたはグラント
3 プラウダ高校
  T34/76、T34/85、IS-2、KV-2
4 ボンプル高校
  TKS、7TP単砲塔型および双砲塔型、9TP
5 マジノ女学院
  ソミュアS35、B1bis、FT-17、R-35
6 アンツィオ高校
  P40、M41、CV33
7 サンダース大学付属高校
  M4、M4A1(76W)、M4A6、シャーマンファイアフライ
8 大洗女子学園
  Ⅳ号D型⇒F2型仕様⇒H型仕様、38(t)戦車⇒ヘッツアー、八九式中戦車甲型、Ⅲ号突撃砲F型、M3リー、
  三式中戦車チヌ、B1bis、ポルシェティーガー
9 BC自由学園
  オチキスH39、M5、B1bis、M4A1(76W)
10 聖グロリアーナ女学院
  チャーチルMk.Ⅶ、マチルダⅡ、クルセイダーMk.Ⅲ、クロムウェル
11 ヨーグルト学園
  38(t)戦車、ヘッツアー、CV33、オチキスH39、Ⅲ号突撃砲F型およびG型、Ⅳ号H型、ラング、パンターD型
12 ワッフル学院
  M4(105ミリ榴弾砲)、AMC35、ヴィッカースT-15
13 黒森峰女学園
  ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、パンターG型、ラング、Ⅲ号J型、
  ヤークトパンター、ヤークトティーガー、エレファント、マウス
14 知波単学園
  九七式チハ(旧砲塔)および(新砲塔)、九五式軽戦車
15 青師団高校
  T-26、BT-5、BT-7、ヴェルデハ、Ⅱ号E型、Ⅲ号J型、Ⅲ号突撃砲G型、Ⅳ号H型
16 継続高校
  Ⅲ号突撃砲G型、Ⅳ号J型、T-26、BT-5、BT-7、BT-42、T34/76、T34/85


 先日の模型サークルの定期会合にて、これらの戦車について話をした折、モケジョのレイコさんから「これ全部プラモデルで作れるんですか?」との質問がありました。すかさずタダ氏が「全部は無理や」と即答、アンドー氏が「ヴェルデハとかセンチネルとか、キット化されとらんのがかなりある」と応じていました。
 確かに、上記の戦車の全てをプラモデルで揃えるのは不可能です。ヴェルデハとセンチネル、AMC35の3車種がいまだにどのメーカーからもキット化されていません。
 つまり、コアラの森学園、ワッフル学院、青師団高校の3チームに関しては、保有戦車の全てをプラモデルで再現出来ないわけです。

 では、あとの戦車はプラモデルが簡単に買えるのか、というとそうでもありません。特に未登場戦車の大半は海外メーカーの品が多く、入手も楽ではありません。店頭在庫はもともと少なく、中古品も少ないものが多いです。
 なので、仮に幾つかの戦車が新たに登場したとしても、これまでのようにプラモデルを買って、作って、というわけにはいかないと思われます。現時点でさえ、色んな模型専門店を回ってなかなか見かけないキットが多いです。

 参考までに、今回紹介した未登場戦車の主なプラモデルキットを紹介しておきましょう。キットのメーカー名に商品情報へのリンクを貼りましたので、クリックすれば詳細を知ることが出来ます。

 ソミュアS35  タミヤエレール
 オチキスH35  エレール
 オチキスH39  ブロンコモデル1ブロンコモデル2
 Ⅰ号B型  イタレリドラゴンサイバーホビー
 Ⅱ号B型  タミヤドラゴン
 Ⅱ号E型  D型とほぼ同型なのでブロンコモデルのキットを利用して改造(履帯が主)
 Ⅲ号N型  タミヤドラゴンサイバーホビー
 Ⅲ号突撃砲G型  タミヤ1タミヤ2ドラゴンサイバーホビードラゴン1ドラゴン2
 Ⅳ号J型  タミヤドラゴンサイバーホビー1ドラゴンサイバーホビー2
 パンターD型  タミヤドイツレベルイタレリドラゴン
 NbFz  ドラゴンサイバーホビーアミュージングホビー
 M3スチュアート  タミヤアカデミーAFVクラブ
 M3グラント  タミヤアカデミー
 M4(105ミリ榴弾砲)  タミヤドラゴン
 M5  タミヤAFVクラブ
 T-26  ズベズダホビーボス1ホビーボス2ホビーボス3ミラージュホビー
 BT-5  ズベズダ
 BT-7  タミヤ1タミヤ2アークモデルズズベズダ
 TKS  ミラージュホビーRPM1RPM2
 7TP単砲塔型  ミラージュホビー
 7TP双砲塔型  ミラージュホビー
 9TP  7TPと外見はほぼ同じなので、ミラージュホビーのキットを利用して改造
 FT-17  モンモデル1モンモデル2RPM
 R-35  エレールホビーボス
 ヴィッカースT-15  レトロキット

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く26 その12 「通廊と講堂です!!」

2016年12月04日 | 大洗巡礼記

 旧上岡小学校の校舎内部は、大部分が公開されていて、自由に行き来出来ました。芸術祭の展示を見に来た一般観光客が大勢居たので、その邪魔をしないように心掛けて移動しました。


 教室棟は、展示室として開放されていました。本来は机や椅子が並べられているそうですが、全て片付けられて芸術祭の展示品が陳列されていました。


 正面中央玄関から入って真っ直ぐに進むと、上の校舎に通じる階段状の通廊に入ります。劇場版で、ギャラクシーの飛来に気付いたアヒルさんチームおよびウサギさんチームの面々が駆け下りてゆく場所です。


 劇中シーンそのままですね。


 通廊の窓からみた光景です。この建物部分に職員室や校長室や放送室などが入っています。


 通廊を登り切って左に折れると講堂に入ります。劇場版では角谷杏生徒会長から全員に重大発表がなされ、大学選抜チームとの試合が決定、それに勝利して学園艦を取り戻そう、と全員で気持ちを一つにした感動のステージです。
 床面に大きく敷かれた黒いアクリル板は、芸術祭展示品の一つでした。


 作品の解説を読んでも何だかよく分からないのが、講堂の施設を大きく使って展示されています。私自身、京都の芸大に学んで芸術学や美術史を学びましたが、いまだに現代芸術とか前衛美術といったジャンルがさっぱり理解出来ないでおります・・・。
 本質的な美術とは、全ての人がまっすぐに向き合って理解し得るものであるべきですが、一部の芸術家や学生にしか分からないようなのが、今では堂々と「ゲイジュツ」「アート」と呼ばれているのです。よく分からないですね・・・。


 黒い物体の上には白熱電球が光っています。これも「作品」の一部らしいのですが、何を意味しているのか、これらの発するメッセージとは何か、ということが分かった見学客はあまり居ないようでした。


 気を取り直して、再び通廊を下りました。


 最後の在校生たちの似顔絵と自画像が貼られています。上段の似顔絵は、たぶん美術の先生が描かれたのでしょう。下段の自画像は、生徒それぞれの描いたもののようですが、女の子三人はそれぞれに自身の特徴をふまえて描いています。右端の男の子の自画像は、ものすごいですね・・・。真面目に描いたのか・・・?


 玄関の下駄箱の上に並べてあったチラシや案内資料のなかに、上図の「ベジイレ」がありました。噂には聞いていたのですが、実物を見るのは初めてでした。
 これは、JA茨城県中央会が発行しているコミックリーフレットで、正式名称は「がんばれベジタブルイレブン」です。最近にガルパンとのコラボがスタートしており、この第16冊目でコラボは四回目を数えているそうです。
 この号ではプラウダ高校チームの面々が登場していますが、以前の号では大洗女子学園チームや聖グロリアーナ女学院チームの面々も登場しています。農協さんの冊子にもガルパンが出てくるとは大したものです。
 ちなみに上図は16冊目ですが、バックナンバーの13冊目、14冊目、15冊目もあったので、一緒に貰ってまいりました。ガルパンとのコラボは12冊目、13冊目、14冊目、16冊目に入っており、これがガルパンファンの間では大変な人気グッズであるそうです。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く26 その11 「旧上岡小学校です!!」

2016年12月03日 | 大洗巡礼記

 大子市街から20分ほどで、旧上岡小学校に着きました。台地の上にあるので、校地までの登り坂が長く、自転車で進むのがしんどくなって、降りて押して登りました。その分、帰りはものすごく楽で、15分ぐらいで戻れました。
 グラウンドは訪問客の駐車場になっているようでしたが、車の数がやけに多かったので、何かのイベントでもあるのかな、と思いました。


 校門の校名プレートは外されていました。劇場版にて、カモさんチームが校名プレートを記念に外していった件の元ネタでしょうか・・・。


 劇場版に登場した、二宮金次郎の石像もありました。


 実物には、アンコウの提灯は付いていませんでした。当たり前ですね。現在では、こういう二宮金次郎像を置く小学校は少なくなってきているのではないでしょうか・・・。


 校舎正面中央の入口です。時計はいまも現役で、そのまま私の到着時刻を示していました。大勢の見学客がいるようで、靴が沢山並んでいました。みんなガルパン劇場版の聖地の巡礼者なのかな、と少し驚きましたが、実はそうではありませんでした。


 去る9月17日より、茨城県北芸術祭の作品展示のために毎日開校となっていて、この日は土曜日であったために一般観光客の来訪も多かったのでした。ガルパン巡礼らしき人は、二人ぐらいしか見当たりませんでした。みんな大子町の百円商店街でのスタンプラリーのほうに熱中しているようでした。


 劇場版でお馴染みの、校長室の応接フロアです。劇中では生徒会室となって戦車道全国大会の優勝旗が左側の壁に懸けてありました。


 角谷杏が腰かけていた生徒会長席のモデルとなった、校長席です。窓や机のしつらえも、全く同じです。


 劇中で、角谷杏らが見上げていた柱のお面もありました。劇中のお面は、鼻が少し長めに描かれていたと思います。


 これまた劇場版でお馴染みの、放送室です。左手のガラス窓に河嶋桃が貼りついて、風紀委員三人衆を叩き起こすシーンが鮮やかに思い出されました。


 こんな狭い空間に、カモさんチームの三人が寝ていたわけですか・・・。
 そして園みどり子が、「もう学校もないのに、きちんとしたからってどうなるっていうんですかあ、意味ないじゃないですか、私たちがいる意味すら」とのたまいますね。


 職員室の様子も、劇中で小山柚子や河嶋桃らが生徒たちの訴えを聞いていた場面そのままでした。
 解説ボランティアの方の説明によりますと、上岡小学校は、廃校後もそのまま保存される前提で全ての調度や備品をそのまま残したため、学校運営当時の状態がずっと保たれているそうです。職員たちが戻ってくれば、そのまますぐに業務が再開出来そうな感じでした。


 劇中で、生徒たちが河嶋桃に色々と訴えを持ってきていたシーンが思い出されます。

「虫刺されの薬が無くなりました」
「わかった、すぐに手配する」
「給食用のお米が足りません」
「分かった。農家の人に手配してもらう」
「廊下の電球が切れました」
「電気屋さんに頼んでおく」
「大変です!風紀委員の3人が地元の生徒とケンカしてます」
「ちょっとケンカの仲裁に行ってくる!」

 いやー、カモさんチームが地元の生徒とケンカ、というのは笑えましたね・・・。というか、地元の生徒、というのは大洗町の生徒でしょうから、学園艦の大洗女子学園とは別の高校があるという設定なんでしょうね・・・。


 そして、小山柚子や河嶋桃は、この視点で無人の生徒会長室を見やり、「会長はどこ行っちゃったんだろうね」「会長には会長のお考えがあるはずだ」等の会話を交わしていたのですね。
 実際には、上図のように、校長席自体が見えませんので、厳密には劇中のようなアングルにはなり得ませんが・・・。 (続く)

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黒森峰女学園 Sd.Kfz.222 四輪装甲車 完成です!!

2016年12月02日 | ガルパン模型制作記

 塗装工程に進みました。まずサーフェイサーを薄く吹きつけて下地を作りました。


 本塗装は、タミヤのミニスプレーのTS-46ライトサンドを使用して、軽く流しての吹き付けを三度繰り返しました。装備品がジャッキのみで、あとはタイヤを塗り分けるだけで済みます。


 劇中車の車体色にほぼ一致するカラーで仕上がりました。


 ジャッキ部分はミスターカラー28番の黒鉄色、タイヤ部分はポスカの黒で塗りました。


 ジャッキを取り付けました。


 車輪を取り付けました。


 塗装後の組み立てが終わりました。


 砲塔内の座席は55番のカーキで塗りましたが、砲塔をセットすると殆ど見えなくなります。


 足回りの細部は色が分かれる可能性がありますが、ガルパン仕様では車体色に統一されている場合が多いので、全て車体色にしました。


 ドイツ軍仕様で作ると、車外装備品や臨時の積載品も色々と付くでしょう。そして20ミリ機関砲が砲塔から突き出して空にも睨みをきかせるでしょう。ガルパン仕様というのは、色々と省略してしまいますから、出来上がりの印象はシンプルになりがちです。


 ねんどろいどぷちの西住まほに登場願いました。逸見エリカもあれば、劇中の雰囲気に限りなく近づくことでしょう。
 ちなみに今回は、車体に校章マークは貼りませんでした。劇中シーンを見る限りでは、貼られていないように思えるからです。


 以上で、テレビシリーズ第5話に登場した、Sd.Kfz.222 四輪装甲車が完成しました。製作日数は、2016年11月13日から17日までの五日間で、組み立てに4日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。

 今回は入手し易いタミヤのキットを使用しましたが、海外メーカーのドラゴンやホビーボス等からもキットが出ています。いずれを使っても、改造や修正のポイントはほぼ同じになります。全体としては作り易く、気軽に楽しめますので、戦車作りの間の息抜きに選んでみるのも良いかもしれません。

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