車に戻って北の市街地へ向かい、厳城橋を経て天神川の西側のルートを目指しました。橋から見える河原一帯は、中世戦国期に伯耆国第一の街地として栄えた「見日千軒」の推定範囲地域です。江戸初期までは川の各所に家の残骸や柱などが残っていたと伝わります。
厳城橋から田内城跡のある仏石山を見ました。城跡の頂上にある模擬櫓は樹木に覆われて全然見えませんので、城跡であることをアピールする効果もありません。模擬櫓そのものが城跡の年代観および史的背景と乖離していますので、思い切って撤去するのも良いでしょう。
その前に、田内城跡そのものに対する従前の認識も図面も実際とは異なります。冬が来るまでに城跡の様相だけでも実測し図化しようと思いましたが、その機会はなかなか無いので、来年の春以降に持ち越すことにしました。
今回は、倉吉市にある唯一の模型専門店「ねねね」を訪ねるのも目的の一つでした。今どき地方都市にて模型店が営業していること自体が珍しく、鳥取市でも同様の店は少なくなっています。
倉吉市では、かつて駅近くに二軒の模型店があって、私も何度か買いに行ったのですが、いずれも閉店して久しく、場所すら記憶が曖昧になっています。
以前に同道した湯梨浜の知人K氏が、倉吉に最近模型店が出来たらしいよ、と教えてくれたのが、今回訪ねた「ねねね」です。もとは喫茶店か何かの施設だったようですが、その跡地に新たに入って営業している形です。
店先のショーウインドーには、WWⅡドイツ軍車輛を中心とするAFVモデルの完成品が陳列されていました。この種の陳列をやっている模型店というのも、最近はあまり見かけないので、新鮮でした。
当時、私自身がガルパン車輌仕様に制作中であったSd.Kfz.222 四輪装甲車も展示されていました。こうした完成品を見ておくと、自身の制作イメージもより明確になりますので、じっくりと見学しました。
店内には若い客が5人ぐらい居て、店長さんと楽しそうに談笑していました。いずれも常連客のようでした。その一人は女性で、一番賑やかに喋っていました。私のサークル仲間のミカさん、ユキさん、レイコさんもそうですが、モケジョというのは概して賑やかな方が多いように感じます。
とりあえず、初訪問の記念として塗料など3点を購入しました。大体の品は揃っていますので、ツール類も気軽に調達出来ます。倉吉に泊まった場合は、夜にプラモデルを楽しむのもアリかと思います。
続いて、K氏が良く行っているという、イタリア料理店「カッティーナ」に立ち寄りました。食べるのが目的ではないので外観と店先の案内メニューを見るにとどめましたが、サイトで見る限りでもなかなかの品揃えがあるようです。K氏と同じく私自身もイタ飯は好きなので、次の機会にこちらで食事をしてみたいです。
お店の公式サイトはこちら。
あちこち回っているうちにお腹が少し空いてきたので、途中で「幸雅」に寄っていつもの牛骨ラーメンを楽しみました。
帰るまでのひとときを、再び町並み散策でのんびりと過ごしました、20年前に鳥取市から毎週通っていた時期にも、のんびりと気儘に歩いて古い町並みを満喫し、その歴史的風情の奥深さに安らぎと知的好奇心とを覚えて心行くまで楽しんだものです。あのころの自分に戻ったような気分になります。
20年前は汚れて雑草も多かった玉川も、町並み景観復原事業にともなう浄化事業を経て綺麗になりました。
各所に地震の影響が少なからず散見されるものの、全体的には地震前とあまり変わらない状況が保たれています。江戸期にも幾多の地震を経験してその都度対策が講じられてきていますから、ある程度は揺れに耐えられるような街造りが積み重ねられている筈です。数年前の地震にも大して被害が無かったのですから、今年の地震があったからといって町の状況に大きな変化が生じているわけではありません。
テレビや新聞での報道は、被害の度合いを殊更に誇張する傾向がありますが、現地を回ってみれば、実情は全く異なることが分かります。
とりあえず、倉吉の状況は、ほぼ従来通りです。地震被害の最も多いパターンが屋根瓦のズレですので、それらが修繕されてブルーシートが外されていけば、街の景色はいずれ旧に復します。それは、時間の問題に過ぎません。
ということで、ひとまず安堵の息をつき、大山白バラコーヒーを飲みつつ、帰路につきました。
以上にて「倉野川」の倉吉をゆく シーズン8」のレポートを終わります。