
この日は、オカアキさんもホシノもそれぞれの予定があるため、別々に行動する計画でした。それで宿にてオカアキさんと別れの挨拶を交わして出発し、リゾートアウトレットへ移動して「ベリークルーズ」さんのレンタサイクルを利用しました。今回は38t戦車のデザインにしました。

当初は登城遺跡の状況を見に行く積りでしたが、道路工事の完成が3月下旬なので、その後に行って新道と残存遺跡の状態を見たほうが良いだろうと考えて次回に回しました。それで大洗町の中央公民館の図書室に行って、一時間ほど歴史資料の検索に費やし、幾つかの参考情報のコピーを取りました。その後、役場の観光課に行って、町内の地図と要覧資料を貰いました。
そうこうしているうちに、水戸の知人から電話があり、良かったらいつもの店(栗崎屋支店のどちらか)で昼食を一緒に食べようとの誘いがかかりました。快諾して水戸駅で合流する旨を取り決めました。そのあと、大洗磯前神社、「ウスヤ精肉店」を回りました。
曲松エリアに戻って「肴屋本店」さんに行って大里さんに挨拶し、以前に左衛門佐パネルの件で拙ブログに御見解および指導を頂いたことについて、御礼とお詫びを申し上げました。少し話をして、最近の大里さんのガルパンに関するスタンスをうかがうことも出来ました。

それから「国井屋」さんに行って「しいたけ茶」を購入し、行動記録のメモを取ろうとしてシャーペンを無くしたのに気づき、急いで「坂本文具店」へ立ち寄って買い求めました。
その後、「鳥孝」に立ち寄って稲石さん夫婦としばらく雑談を楽しみました。

「鳥孝」に寄贈している自作ガルパン缶バッジの未完成分の残り全部を渡し、全てが揃いました。稲石さん曰く「ようやく全部が並んだけど、まだ余裕があるんだな、何か無いかな」と。もう何も無いですよ、あとは劇場版での新しい戦車とキャラクターしかありませんが、もうあんまり作る気が無くなってきました、と話しました。
正直言って、缶バッジを作るのは楽しいですが、半面疲れるしそれなりに費用もかかるので、長く続ける積りはありません。それよりも、プラモデルの方を作りたいのですよ・・・。
それで、次に玩具店「タグチ」に立ち寄りました。幸運なことに、塗料のガルパン黒森峰カラーセットが販売されていました。黒森峰カラーセットは、まだ一つしか持っておらず、通販でも在庫切れの場合が多いので、この機会に二つ買いました。
ちょうどティーガーⅠを作っている最中で、その後も黒森峰チームの戦車を作る計画でしたが、みんな車体が大きいので、塗料もそれなりの量が必要だろうと考えたからです。店主の田口さんは微笑しながら「全部作るんだろうね」と言いました。その積りです、と応えると、大きく頷いていました。
正直言えば、黒森峰カラーセット三色のうちの「黒森峰ゲルブⅡ」だけが欲しかったのです。これでティーガーⅡ、ヤークトパンター、ラング、エレファントを塗装するので、一、二個では足りないのです。ですがバラ売りは無いので、セットで買うしかありません。それで「黒森峰ゲルブⅠ」と「黒森峰ロートⅠ」が幾つか余ることになるので、いずれ模型サークルの仲間に譲ろう、と考えました。

予定よりも忙しく立ち回りましたが、12時過ぎにはリゾートアウトレットの「ベリークルーズ」に戻りました。早めにレンタサイクルを返却し、まいわい市場へ行って幾つかお土産を買いました。

当初の予定では水戸へ午後に移動してアニメイトなどをのぞくことにしていたのですが、水戸の知人との昼食に切り替えたので、列車の時刻も繰り上げました。まったく慌ただしいことでした。

大洗駅構内の旧アクアワールドガルパン看板です。久しぶりに撮影しました。

駅の待機線には、ガルパンラッピング車輛の2号車が駐機していました。

ガルパンラッピング車といえば、最近では高速バスの方で新規に登場が相次いでいるようで、後日に聞いたところでは3月15日の海楽フェスタの際に4号車まで登場したということです。列車の方でもそろそろ3号車を出せばいいのになあ、と思いました。
水戸駅にて知人と合流し、栗崎屋支店の「海鮮どんどん」に行きました。寿司ランチの昼食をいただきながら、これまでの鉾田および大洗の城跡巡りの経緯を報告しました。知人は徳宿城にも興味を覚えたようで、今度の休みに集落とあわせての歴史的景観を見に行く、と宣言してきました。それで行き方や見どころなどを地図で細かく教えておきました。
その際に、こう聞かれました。
「徳宿城が落城して徳宿氏が滅んだ時、城下の集落の人々も全滅しちゃったんだろうか」と。
そのとき、脳裏を「撫切(ナデキリ)」と表記される中世戦国期特有の現象がかすめたのですが、それを口にするのは憚られました。城跡に建つ供養碑にも、子孫末裔とおぼしき方々の氏名が並んでいるので、歴史にいう徳宿氏の滅亡は、必ずしも悲惨な結末だとは限らなかったであろう、と思うことにしました。
それで、「意外に無血開城だったかもしれんな」と応えました。相手は、チラリと思惑ありげな視線を向けてきましたが、しばらく間を置いて、ウンと頷いていました。
大洗やその近隣にいまも歴史を刻む城跡の数々の真実は、知られない方が良いこともあるのだ、と改めて思ったことでした。
以上にて「ガルパンの聖地・大洗を行く15」のレポートを終わります。
なお、今回の大洗行きに関しては、同道していただいた二人の仲間がそれぞれのブログでも報告しておられます。それぞれに、ホシノとは違った視点、個性による楽しい大洗レポートを綴っておられますので、どうぞ御覧下さい。あわせて、それぞれの以前の同道時のレポート記事もリンクして紹介します。
オカアキさんのブログ 「けんごぶ!(武術とアニメと他いろいろw)」
今回の同道時の記事
1 2015年 初大洗の1
2 2015年 初大洗の2
3 2015年 初大洗の3
4 2015年 初大洗の4
5 2015年 初大洗の5
6 2015年 初大洗の6
7 2015年 初大洗の7
8 2015年 初大洗の8
9 2015年 初大洗の9
10 2015年 初大洗の10
11 2015年 初大洗の11
以前の同道時の記事 (「ガルパンの聖地・大洗を行く9および11」と同じ日)
1 ☆一号作戦
2 ☆一号作戦の2
3 ☆一号作戦の3
4 ☆一号作戦の4
5 大洗だよ、おっかさん。その4
ナガシマさんのブログ 「ナガシマの玩具なブログ」
今回の同道時の記事
1 大洗聖地巡礼レポート(2015年2月)その1
2 大洗聖地巡礼レポート(2015年2月)その2
以前の同道時の記事 (「ガルパンの聖地・大洗を行く5」と同じ日)
1 大洗子連れ巡礼レポ(2014年4月)その1
2 大洗子連れ巡礼レポ(2014年4月)その2
3 大洗子連れ巡礼レポ(2014年4月)その3
4 大洗子連れ巡礼レポ(2014年4月)その4
5 大洗子連れ巡礼レポ(2014年4月)その5
楽しい大洗行きの記事を綴って下さったお二人の仲間に、改めて御礼申し上げます。またいつか一緒に楽しみましょう。
怖い人だった
ですが、城主徳宿氏の血筋が現存しているという話も聞いたことがありませんので、城主家のみは滅亡、その係累は生き残った、という形なのかもしれません。確かな史料も残っていないらしいので、細かい史実はもう分からなくなっていると思います。
全国各地の在地武士が似たり寄ったりのケースで語られていますので、同じように捉えておいてもそんなに間違いではないでしょう。