茨城空港ターミナルビルに向かって右手には公園があり、百里基地でかつて飛んでいた2機の自衛隊機が固定展示されています。これこそが、アンドー氏がここを見学地に選んだ一番の目的だったのでした。
「いやあ、これやでこれ。やっぱしファントムやねえ。百里基地のこれはとにかくグッとくる」
「新谷かおるの「ファントム無頼」の舞台ですもんね」
「そう、そうやで。せやから百里飛行場の基地には行きたかったのに、どういうわけか行けなくって、今日が初めてなんや・・・。せめて2010年の航空祭だけは行っておきたかった・・・」
「なんで2010年なんです?航空祭は毎年やってるんでしょう」
「2010年の時はな、第302飛行隊のF-4EJ改がな、「ファントム無頼」の680号機の仕様でイベント飛行やってんやで・・・」
「えっ、あの新撰組の赤いダンダラ模様で飛んだんですか。それは凄いなあ、カッコよかったでしょうね」
「そう思うやろ?」
手前のF-4EJ改の説明板です。これにアンドー氏が色々と補足説明を加えてくれましたが、興味深かったのは、ファントムがそれまでのF86セイバーの後継として選定されたのが1966年であることでした。私の生まれた年です。
また、初回導入時の際の2機はマクダネル社セントルイス工場製、その鷺の8機は部品を輸入して三菱重工業で組み立てるノックダウン生産方式、それ以降の130機は全てが三菱重工業でのライセンス生産となったそうです。ライセンス生産は1981年に終了しましたが、その時点までF-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一であったというのでした。
「つまり、アメリカにとって日本は最重要な同盟国であるということやな」
それは私にもよく理解出来ました。海軍戦力の要であるイージス艦にしても、アメリカの信頼度が高い同盟国にのみに提供認可および保有が認められ、アメリカに次ぐ保有数をもつのが日本の海上自衛隊です。現時点で6隻、さらに2隻が加わる予定です。
F-4EJ改です。アンドー氏は双眼鏡も併用してあちこち観察し、しきりに左手の拳を振っては感激を示していました。私の方は、高校時代まで過ごした岐阜の実家の近くに航空自衛隊岐阜基地があり、当時は毎日のようにF4ファントムが自宅や学校の上空を飛んでいましたから、自衛隊機というのは日常の風景のなかの一部分だ、という感覚がいまだにあります。アンドー氏ほどに飛行機マニアではないので、今回も淡々と眺めるにとどまりました。
「子供の時に岐阜基地の航空祭で、これのコクピットに乗せてもらったことがあるんですよ」
「ああそうか、星野の実家は各務原飛行場の近くやったっけな」
「あれで飛んでもらったら、最高だったでしょうね・・・」
「一言だけいっとくがな・・・、お前がこれに入ったら、二日目で葬式が出るぜ・・・」
「うわ、今度はマッコイ爺さんですか」
「おうよ、金さえ出すならクレムリン宮殿だって持ってきてやる!!」
「そんなもの持ってきたってしょうがないでしょ、アンドーさんが欲しいのはこのF-4EJ改でしょ?」
「そうなんや・・・実はな・・・」
F-4EJ改の隣には、偵察機型のRF4-EJが展示されています。それを詳しく見ながらも、相変わらずエリア88のマッコイ爺さんになりきって楽しんでいるアンドー氏でした。
「ここには、ティッシュペーパーから核弾頭までなんでもある・・・」
「本当に核弾頭があったら、非核三原則違反の大問題ですよ」
「貧乏人がこれに乗りたかったらマッコイに頼め・・・」
「乗ったら離陸失敗であの世行きですね」
「うるさい、いちいち茶化すな」
RF4-EJの説明板です。アンドー氏の補足説明によれば、RF-4Eは1974年より14機輸入していて、そのうちの2機が事故で失われたため、初期型のF-4EJの15機を1990年よりRF-4EJに改修して補ったそうです。そして現在、この機種を運用しているのは、ここ百里基地の偵察航空隊である第501飛行隊のみです。
しかし、既に40周年をこえた古い機体であるので、その後継機としてF-15Jを偵察機型に改修したもので交替更新する予定になっているそうです。
RF4-EJには、機首下部にサメの歯のデザインが描かれています。それを言うとアンドー氏は「あれは百里基地の第501飛行隊のノーズアートやな」
「ああいうノーズアートは他の飛行隊にもあるんですか」
「あると言えばあるけどな、でもノーズアート自体は本来は公式命令で描かれるもんじゃなかったから、飛行隊ごとの私的なシンボル的な意味合いが強いかもしれん。ノーズアートを盛んにやったのは第二次大戦中の米空軍なんやが、それも軍の命令で描いたわけじゃなくてな、各部隊や各機のパイロットがそれぞれに勝手に描いて、それを軍も黙認してたって感じかな」
「ふーん」
「米空軍はな、だいたい一機の飛行機を定まった乗員やクルーで運用するシステムだったから、パイロットも整備員もそのまま固定されてるんや。同じ飛行機とともに戦って暮らしてたから、機体への愛着心もかなりある。これがオレたちの機なんだぞ、っていう気持ちの発露として機体に絵を描く。ノーズというから機首と思われがちやけど、主翼や機体上面や尾翼に描いたものも多かったんで、それ全部ひっくるめてノーズアートと呼んでるはずやな、今のところは」
「自衛隊機のノーズアートは、岐阜基地の飛行隊でもあんまり見かけた記憶が無いんですけど・・・」
「そりゃそうや、旧日本軍の時代からずっと、あんまり描いて無いな。陸軍航空隊はわりと洒落たところがあって、尾翼に模様や何らかのデザインをあしらってたのがかなりあるけど、海軍航空隊はそういうのがほとんど無い。ラバウル航空隊の搭乗員が、米軍機のノーズアートを見て不真面目やとか戦意が無いとか遊んでるとか酷評してたぐらいや。それに飛行機を複数の搭乗員で使いまわすシステムなんで、同じ機体にずっと乗るということが無い。最も定着性が高いとされとる航空母艦の艦載機でも、事前に搭乗員割が決められて誰がどの機に乗るかは上官の判断次第で変わるんやな・・・」
「そう言えばそうですね・・・」
「せやから、飛行機に対する愛着とかいうものが米空軍よりは希薄になるやろ。それに海軍航空隊じゃ飛行機はお国と天皇陛下のものであって、そういうのに何かの絵やデザインを描くということ自体が有り得なかったと思う。要するにノーズアートが生まれるべき文化的土壌というもんが無えわけや」
「そうですね、海軍機のマークは基本的に識別用でしか無いですもんね・・・」
ターミナル施設に戻ると、空から爆音が響き始めました。
「また訓練飛行が始まったぞ、二階のデッキへ行こう」
駆け出してエスカレーターに進むアンドー氏でした。
送迎デッキに出ると、既に5機ほどの戦闘機が上空を飛行しているのが見えました。
「おい、あれだ、あれを撮ってくれ」
「自分のスマホで撮ったらいいじゃないですか」
「ズーム撮影が出来ねえんや、スマホじゃ。お前のは望遠レンズもついた一眼レフ仕様だから、あの飛んでるやつを拡大撮影出来るんやろ」
「高速で動いて旋廻してる飛行機をズーム撮影なんて、めちゃ難しいですよ・・・」
「うるさい、ガタガタ言わずに撮影してくれ、これは命令である」
やたらに背中や肩をたたいて催促されつつ、とりあえず一枚を撮りました。
「次はあれ、あれや、3時方向から低空に入ってタッチアンドゴーするやつ、あれを撮ってくれ、ほら、10時方向へ行って上昇したぞ」
「耳元で騒がないで下さい。帝国海軍の対空射撃管制じゃないんですから」
「左上方ハチマル、数目標、左舷三機銃群指向射撃、来た、グラマンだ」
「グラマンじゃないです、マクダネルダグラスのF15ですよ・・・」
「うるさい、さっさと撃墜しろ」
「自衛隊機を撃墜してどうするんですか・・・」
次の飛行機には、なぜかやたらに興奮しまくるアンドー氏でした。
「おおっ、ドルフィンや、ジャジャンジャンジャジャンジャーン、ガガギギグゲ・・・ゴーン」
「何の効果音ですか、それは」
「いいから撮ってくれ、ほら、タッチアンドゴーやった、離陸上昇する手前で拡大撮影しろ」
「スカイマークの尾翼が邪魔になるんですが」
「そんなものはどかして撮影しろ」
「どうやってどかすんですか・・・」
かくして、何とか撮った一枚です。中等練習機のT-4ですが、純国産ジェット機であるというだけでなく、現在のブルーインパルスの使用機でもあるということで、アンドー氏はけっこう気に入っているようです。
「日本もああいうしっかりした飛行機を200機あまり量産出来るまでになったわけや、地道に技術を磨いて、開発生産のレベルも上げて、もっと優秀な軍用機を作る。いつの日か、そういう時代がやってくるはずや。烈風で果たせなかった夢を、これからも真剣に目指すべきなんや・・・」
両手の拳を握りしめて、熱くつぶやくアンドー氏でした。
自衛隊機の全機が滑走路に着陸し、訓練飛行が終わりました。それらの機影が消えていった百里基地の施設の方を長いこと見つめていたアンドー氏でしたが、やがて腕時計を見て「そろそろ引き上げるか」と言いました。私も、ウサギさんチームの記念POPを再度記念に撮っておきました。 (続く)