気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

初めての駆逐艦

2014年11月22日 | 過去の模型とか
 昨日、模型仲間のMさんと電話で長話をしていて、いつしか話題が軍艦キットのことになった。Mさんとは、私が奈良に住んでいた頃からの付き合いで、一緒に奈良の模型サークルの合同展示会に飛び入りで参加したり、尾道へ映画「男たちの大和」のセットを見学に行ったりしたことがある。割合に軍艦キットも多く作っている方なので、最近は時勢にもれず、艦隊これくしょんのブームにハマっておられるようである。それで何度か、艦これイベントへ行こう、というお誘いを受けたのだか、ずっと辞退している。

 そんなMさんが、こう問いかけてきた。
「星野さんが初めて作った軍艦って、何だったん?」
「吹雪ですよ、特Ⅰ型の一番艦の・・」


 その「吹雪」のキットは、上画像のとおり、いまも大切に保管している。記録によれば、建造は昭和54年3月21日とある。当時の私は小学六年生てあった。キットはウォーターラインシリーズのタミヤ製で、素組みの未塗装であった。
 これを、平成6年11月14日に「修理改装」して、主砲や機銃などをピットロードのパーツに交換したと記録にある。それから現在までに20年を経てきているわけである。大事にしまって保管しているのて、やつれや汚れもあまり見られない。今までに200隻余りにのぼる日本駆逐艦を作って「駆逐艦の男」のあだ名を頂戴した私の、ささやかな「原点」である。

 だがMさんは、吹雪の名を聞くと「ピッタリじゃんけえ、やっぱ星野さんは艦これにハマる素地を持ってると思うねえ」と笑っていた。何のことかよく分からないので、問い返すと、艦これのゲームでプレイヤーが最初に出会う初めての駆逐艦が、吹雪なのだという。なんだそれは、と思ってしまった。


 さっそくネットで検索して、吹雪の画像を見た。見たというより、茫然としたというのが実感に近い。まるっきり女子高校生ではないか。太平洋の王者と謳われた、帝国海軍水雷戦隊の一艦としての勇壮なるイメージがどこにも無いのであった。


 しかも驚いたことに、ゲーム中での声を上坂すみれさんが担当しているそうである。ガルパンのプラウダ高校のノンナの声を演じていた方である。しかも艦これファンの中ではかなり人気があるらしく、艦これグッズにも多く登場しているとMさんに教えられた。Mさんも吹雪の缶バッジを6種類も揃えているそうである。

「その吹雪ですが、艦これのゲームではどういうふうに活躍するんですか?」
「まず、新規にゲームを開始するとね、最初に選べる艦娘が何人かおりましてね、そのうちの一人が吹雪なんで、使いようによっては色々と頑張ってくれるんで、かなり愛着をもってる人も多いやろうね」
「はあ・・・」
「公式のコミックスでも主役だしねえ、僕も結構思い入れあるんやね、吹雪には」
「はあ・・・」

 実際の駆逐艦「吹雪」は、昭和17年10月11日夜、味方指揮官のミスにより発生したサボ島沖海戦にて敵重巡「サンフランシスコ」の接触照射を受け、集中砲火を受けて弾薬庫に被弾し爆沈するという、悲惨な最期をとげている。乗組員228名のうち、生存者は僅かに8名であった。
 それで海軍当局は、特Ⅰ型駆逐艦の呼称を「吹雪型」から「白雪型」に変更しているが、それほどに「吹雪」の戦没が残念がられたということであろう。そうした悲しい記憶というのも、どうやら現在の艦これブームのなかではあまり顧みられていないようである。
 現にMさんも、史実の吹雪の最期のことは知らなかったそうである。それよりも、艦これを開始する際の「初めての艦娘」が吹雪なので、「初めての駆逐艦」が吹雪であった星野さんならばこそ、早く艦これに参戦したらどうか、と誘ってくるのであった。

 それを軽く受け流しつつも、史実とのはざまで、複雑な思いを拭えなかった。サボ島沖に無念の思いを抱いて沈んだ艦のことを思うと、余計に手元にある初めての駆逐艦キットを大切にせねば、という気持ちになってくるのであった。
コメント (2)
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