快晴と思われたのが、次第に曇ってきました。天気予報では晴れ時々曇りと報じていましたが、大洗では予期せぬ雨に降られる事がこれまでにも度々あったので、いちおう傘も準備して朝食後すぐに出発しました。「月の井」さんの蝶野亜美パネルが移動したと聞いていたので確かめに寄ってみると、隣の事務所に移動していました。
水浜線跡の二日目の探索は、仲町停車場跡とされる民家敷地および駐車場からスタートしました。みだりに中に入るわけにはいかないので、昨日の杭の確認をもってこの範囲は完了とみなし、道を回って進みました。
「吉田屋」の辻から北に進み、民家の敷地ごしに線路跡を見ました。
丘陵先端を切り落として線路が通された所まで行くと、廃線跡は道路の横に細長いスペースとなって見られました。長年の土砂が堆積しているようです。
少し進むと、ガルパン巡礼の新スポットのひとつ「ぎらばり」の前に着きました。
カルバッチョのパネルも見えました。
お店の向かいの廃線跡スペースは来客用駐車場に転じていました。
このあたりにも、古そうなコンクリート材の残骸などがみられて、線路の側の擁壁などがあったものと推定されます。
そして「ぎらばり」の看板の斜め後ろにも、境界標杭が残っていました。この杭については江口さんの教示にもあったので、難なく見つけることが出来ました。
この杭も、額面をセメントで埋めて新たに「茨交」の字を入れたような感じでした。斜面上に立っているので斜めに傾いています。そのままほっておくと斜面の崩れとともに倒れてしまうのではないかと心配です。
さらに道を登ってゆくと右手に稲荷神の祠がありました。こうした神社は歴史的改変を受けにくいので、その付近には水浜線の遺物が残っている可能性が高いです。
探してみたら、祠の左側の草の間に杭がありました。
「水浜」と読めます。この二文字が読める杭は、今回の探索で二本目です。
少し行ったところの廃線跡スペースには、御覧のように古い加工石が集めて積み上げてありました。線路の敷石とかに使われていたものではないなかあ、と思いましたが、確証はありませんでした。
軌道跡は、「吉田屋」の工場の横を道路に沿って上に伸びています。
「吉田屋」の工場の横を過ぎると、草に覆われて地表面も見えなくなりました。
途中にまた神社がありました。参道階段も草に覆われていました。かつてはここに小さな踏切があったのでしょうか。杭とかが残っていそうな雰囲気ですが、草が深く茂っているところもありました。かきわけてまで探すよりも、冬枯れの時期を待った方が良さそうだ、と考えました。冬の間に来る機会があれば、改めて探してみましょう。
道で出会った80歳ぐらいの老人に挨拶し、水浜線のことを尋ねました。すると懐かしそうな表情になり、とうに昔のことだが電車が走ってた頃は忘れていないね、と微笑され、線路の位置を細かく教えて下さいました。お話によれば、線路は上画像のビニールハウスの向こう辺りから次第に右手に反れて曲がっていった、ということです。線路跡が道路に沿っているものと思っていた私にとっては、貴重な御教示となりました。
今回の探索範囲を地図上にまとめました。この区間はずっと登り坂であったので、電車もスピードが落ちたようです。「さかなや隠居」の大里さんの話によれば「子供の頃に悪童たちが走って電車に飛び乗って、坂を上り切って電車がスピードを上げる前に飛び降りる、という遊びをやってたねえ」ということでした。今では考えられないような遊びですね・・・。 (続く)