今日の散歩中の鼻歌は「枯葉」ではじまりました。イブ・モンタン風に歌っていたのですが、そのうち、マイルスデービス風になっていました。ところで、覚えているのは、ここまでです。この後は、意識して鼻歌を歌っていないのです。無意識のうちに鼻歌が切り替わっていたので、何を歌っていたか思い出せないのです。
というわけで、ブルトン達シュールレアリストが試みていた、無意識文学のことを思い出しました。鼻歌はこの無意識文学に似ていると思うのです。確かに、無意識の時に何が起こっているのかは気になることです。日常生活は無意識の時間が多いのです。散歩している時も無意識の時間が多い。もちろん寝ている時もそうです。退屈な会議の時も、ぼーっとして無意識になっています。こんな時は、後で何をしていたかを思い出すのは困難です。
まあ、私が散歩中に歌っていた歌を忘れるのは、認知症がはじまったせいかも知れないので、偉そうなことは言えないのかも知れません。でも、無意識の時はなにが’起こっているのか、とても気になります。こんど、このブログも無意識の状態でかいてみよう。
というわけで、ブルトン達シュールレアリストが試みていた、無意識文学のことを思い出しました。鼻歌はこの無意識文学に似ていると思うのです。確かに、無意識の時に何が起こっているのかは気になることです。日常生活は無意識の時間が多いのです。散歩している時も無意識の時間が多い。もちろん寝ている時もそうです。退屈な会議の時も、ぼーっとして無意識になっています。こんな時は、後で何をしていたかを思い出すのは困難です。
まあ、私が散歩中に歌っていた歌を忘れるのは、認知症がはじまったせいかも知れないので、偉そうなことは言えないのかも知れません。でも、無意識の時はなにが’起こっているのか、とても気になります。こんど、このブログも無意識の状態でかいてみよう。
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