『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

立体授業とは何か? ⑩

2015年01月24日 | 学ぶ

わたしたちは、この世界のことをほとんど何も知ろうとしない
 スティーブン・W・ホーキング博士の“A  BRIEF  HISTORY  OF TIME ”〈A Bantam Book ,引用部分はINTRODUCTION by Carl Sagan〉にこういう一節があります。拙訳で紹介します。

 わたしたちは、この世界のことをほとんど何も知ろうとしないまま、日常生活を送っている。生命の存在を可能にしている太陽が光を生み出すしくみや、回っている地球が振り飛ばさないように私たちをつなぎとめている引力、あるいはわたしたちをつくりあげている原子や、わたしたちが信頼を置いているそれら原子の安定性についても、ほとんど考えることをしない。
 
 引用では、主語は「わたしたち」になっていますが、これはもちろん『あなた方』にすれば顰蹙を買うので、謙遜していることは明らかです。これは1988年のコメントで、状況が多少変わっているかもしれませんが、それでもなお僕たちの一面をよく表している感想だと思います。その通りです。

 しかし、ほんとうの問題はここからです。なぜ、そうなのか? わからないことが、いかにも残念です。その原因と理由について、いちばんはっきり究明できるはずの一流の科学者から、まとまった考察を聞くことはできません。それがなければ、次世代も同じことの繰り返しが続きます
 「一流の科学者や優れた頭脳をもつ人たちは、多くの場合、その高い能力や鋭い感覚の故に、今のステージで躍動するようになったことが追究を重ねるほど不思議なことではない」のではないでしょうか。
 さらなる高みを目指さなければならないが故に、また自ら考えることがおもしろくてしかたがないが故に、どこで、どうしてそういう能力が身についたか、凡人が指導の参考にできる小さいころの姿を分析する必要や時間がないのかもしれません。

 
優れた頭脳を発揮する前、「何をどうして」いたのか。抽象の科学を展開できる前、「何を見、何を感じて」いたのか。知りたいのはそこです。
 今子どもたちを育てているぼくたちは、その「どうして」を考えなければなりません。宇宙の不思議や自然・科学の課題の解明・考察をする前に、「ふつうのおとなは、なぜ考えなくなってしまったのか?」を見極めなくてはなりません。ぼくたちのように『考え(られ)なくなった』大人を再生産しないためにも、大きな可能性をもつ子どもたちの未来に夢を託すためにも。

 前回(先々週)は立体授業「土筆ハイク」の紹介で、「指導は朝教室を出た時から始まっている」ことをお伝えしました。その理由です。
 ぼくは、『考え(られ)なくなった』大きな原因は、「自らの周囲のSOMETHING」に向かう「環覚」の欠如にあると考えています。子どものときから「自らが生きている世界」に目を留め、不思議に気づいたり、考えることなく、「学習」として「受験勉強」としてしか「科学(!)」を消化してこなかった結果だと思います。

 つまり、「テストの点」にさえなれば満足で、「それ以上」を考えることがなかった・考えることを教えてもらえなかった人が多かったからではないでしょうか。そのころ、実際に「周囲のSOMETHING」に自ら目を留め、小さな不思議にでも気づいていれば、その後は大きく変わったのではないか。そう思えてなりません。
 課外学習の駅までの間、つまり何気なく通るふだんの道にこそ、子どもたちの興味をひき「環覚」を育てるためのテーマが「転がって」いるのではないか。それによって、「環境」に目を留めるきっかけが生まれるのではないか、そう考えています。(なお、こうした指導法については、ブログ「ファインマンの父とエジソンの母」等を参照してください)

 引用のような疑問・考察に目が向く大人になるには、「偏差値」や「志望校」にがんじがらめにされた環境・「受験勉強の積み重ね」だけから手に入る知識や結論では望み薄でしょう。子どもたちには、それらの解明や考察に向かう、好奇心や興味の喚起をもたらしてくれる前提を用意しなければならない。「凡人」のぼくたちに課せられた「数少ない(?!)」使命だと思います。
 生きている『場』に自ら目を向けてほしい。自ら『考える』というきっかけを見つけてほしい。自然の生業や不思議に興味をかきたてられ、その道理を考え、「しくみ」や「過程」を考察していくような「現場感覚」がないと奥行きが狭く、興味や関心・考察も長続きしないのではないでしょうか。また、このように指導をつづけることで、「理科離れ」の解消も進むと思います。

立体授業は「通り」から始まる(続)
 さて、前回、立体授業の一例として、駅へ抜ける道横の空き地に生えているコケは「方位を考える手がかり」になるし、「プラスチックの植木鉢を突き破っているたくましい根は、植物等による岩石の風化・変遷の学習」になることをお伝えしました。その後の展開です。

 この「コケ」と「植物の根による岩石の崩壊」等の指導は、「それだけ、その場所だけ、そのときだけ」では終わりません。団の立体授業は、田舎へ出かける課外学習が年間十数回、それ以外に教室での関連指導や生育作業など、同じく年間十回程度の補助授業があります。その中では同一の対象に何度も出会います
 川岸に同居する岩とコケ、苔むす樹木、切り立った断崖・・・。実見と指導で、子どもたちの中で、それぞれの対象は存在感を増していきます。もちろん、これらに限らず、体験や観察の機会が増えるごとに、さまざまなテーマが子どもたちの中で、居場所を占め、「立体的に」組みあげられていきます。

 ここで「土筆ハイク」のスライド紹介をちょっと思い出してください。土筆は「生きている化石」である「トクサ」の仲間でした。トクサやスギナはシダ植物でした。そこにコケが現れます。両者を比較することで、植物の進化におけるからだのしくみの大きな変化、「維管束」の成立と存在が、子どもたちの眼前にはっきり意味をもって現れます

 立体授業では、この後タケノコ掘りやクワガタ探しで竹やクヌギやナラが現れてきます。コメ作りの稲も仲間に加わります。植物の進化や生態が被子植物までたどれます。植物の総体が身近な存在として立体的に立ち上がってくるしくみがわかっていただけたでしょうか。もちろん、一方では、蛍狩りや渓流教室での折々の動物との遭遇と指導で、動物の「総合」学習も進んでいきます。

 ちなみに、もう一方の「岩」の方では「でっかいナマズ釣り」での河原や「もち鉄探し」「トレジャーハンティング」「土器づくりの粘土」などの取り組みを通じて「石ころ」の成り立ちやしくみ、その「一生」の転変も理解していくことになります。「道」で出会った「コケ」と「岩石と根」の学習は、こうして、その都度「仲」や「親せき」を集めながら立体的に関連し、子どもたちの頭に収まっていくことになります

 しかし、こうした指導は一年間・ワンクールだけですべての子に大きな効果があらわれるとは限りません。はじめる時期が大切です。特に、「4年生半ば以降まで『今風に』甘やかされ、時間があればゲーム三昧」というような、けじめのない状況では、自然や野外でのおもしろさに目覚めることはむずかしくなります。「他にもこんなにおもしろいことがある」という意識にはなかなか至りません。残念なことです。
 4年生以降特に5年生以上になると、このように、「おもしろいけど、ゲームがいい」という程度の子が増えます。「外に出るよりゲーム」というわけです。これでは環覚の発達は期待できません。

 左のOB諸君の在籍年と進学先を参照していただければ、こうした指導を始めるのには3年生ぐらい(まで)がよい」ということもよく理解できるのではないでしょうか。

 立体授業と日々の学習を進めながら、子どもたちは、団で、さらに「やらなければならないことはやらなければならない」「やってはいけないことはやってはいけない」という、ごく当たり前のこと・社会で生きていくための基本も覚えていきます。(ブログ『米作りで学ぶこと』ほか参照)
哲学と科学を成立させたもの
 最後に先ほどのホーキング博士の著書のカール・セーガンの序文、後半部分を紹介します。
 
 これらのたいせつな質問をしなければ、十分わからないという子どもたちをのぞけば、わたしたち大人はほとんど、なぜ自然界がそうなっているか、宇宙はどこから生まれたのか、それともずっとここにあったのか、いつか時が逆転し原因の前に結果が来ることはないのか、人間が知りうることに究極の限界はあるのか、などを不思議に思って多くの時間を費やすことなどない。(中略) わたしたちの社会では今なお、親や先生たちは大抵、これらの質問に首をすくめたり、おぼつかない宗教の教義を思い起こして答えることが慣例である。中には、人間の知識の限界がはっきり露見するのが嫌だという理由でこうした議論を不快に思う人もいる。しかし哲学にしろ科学にしろ、その多くが、こうした疑問によって進歩を遂げてきたのだ。(前掲書 拙訳)
 
 こうした『環覚』の育成によって子どもたちの関心や興味が向かうところは、決して『理系』のみには限りません。引用にあるように、団のOBたちの進路も、阪大の「哲学」専攻をはじめとする文系にも開きました。幅広い『環覚』がそれを可能にしたと僕は信じています。
 なお、学習探偵団では2月度新入生を募集しています。
 腕白ゼミ(特進2年生・3年生)・基礎課程・充実課程・発展課程(それぞれ若干名)。
 卒業生のようす・クラス編成・指導法は、ブログ各編・ホームページをごらんください。


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