『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

夢へのワープ⑨

2015年06月06日 | 学ぶ

M君への理科・社会指導(続) 
 ゲームセンターから京都大学へ。M君の二年間。理科・社会の学習指導のつづきです。

 先週「考えることをはじめよう」の中で、宇宙は137億年前に誕生し、地球が46億年前に誕生したこと、それだけを知っていてもおもしろくはない。(たとえば小学生ならば)、「少し偉そうにできる(誰かに少し自慢できる)だけだ・・・」とお話ししました。(それを、いかにも「頭が良い」ように脚色するテレビのクイズ番組の多発も、ある意味大きな問題ですが。)
 理科と社会の学習指導の目指すところは、何よりもそうした現状からの脱却でなければならないと思います。学ぶおもしろさの「発掘」です。子どもたちの学ぶおもしろさが、その後の進学や日常生活を大きく左右する「学体力」養成の大きな柱の1つになります。またM君の場合で言えば、「学ぶおもしろさ」が身につく指導法であれば、彼が登校拒否する歯止めにもなってくれたはずです。
 難関一貫校を二年で登校拒否し中学中退する前、M君も近県の中学受験エリート養成塾(!)に通っていました。やはり今も踏襲されている学習指導法、難関校受験塾にありがちの方法―難関中学の受験問題を研究(?!)し、傾向を見極め(?!)、少し中学内容を盛り込んだ(?!)テキストを使った指導―の積み重ねだったようです。

 子どもたちの「知りたい欲求」は蚊帳の外、「好奇心の掘り起こし」とは無縁のフォアグラ授業です。登校拒否の原因の一端は家庭の事情や進学した中学校にもあったにしろ、「学習すること」が子どもたちにとって意味を持ちえなかった指導、今でも多くの小学生を『勉強嫌い』にし、「受験だけの勉強を超える、たいせつな勉強には導かない(!)」勉強です
 そうした指導しか知らなかったM君にとっては、団の指導は想定外で、とても新鮮だったようです。課外にしろ、立体授業にしろ、ふだんの学習指導にしろ、目をキラキラさせて聞いていることがよくありました。今週の化石採集から始まる指導も、M君がいればそうだったかもしれません。

化石採集の立体授業
 今週は化石採集の課外学習でした。目的地は電車やバスを乗り継いで2時間弱、赤目や飛鳥とはまたちがった山間です。約1500万年前といわれている地層では、小さな巻貝や二枚貝、広葉樹の葉の化石が採集できます。
 目的地への道すがら、いつものように様々な動植物の生態に目を留め観察を続けながら、子どもたちの日ごろの学習内容の奥行を紹介し、裏付けを指導します。難関受験塾(!)の指導しか知らない(経験がない)お父さん・お母さんたちは、おそらくこうした姿を見ても、受験勉強の邪魔・時間の無駄・遠足(!)としか見られないかもしれません。
 しかし、団の子どもたちは、こうした体験の積み重ねを通じて、自らの学習内容や学習対象になじみをもち、勉強の奥行や広がりを探ることができるのですそれによって学習する意味を認識し、好奇心が頭をもたげます。小さい子の学習姿勢の根幹になる「環覚」と「学体力」の大切な基盤です。今回も写真のように、子どもたちは実感を伴いながらたくさんのことを学びました。

 団近くの家の溝のシダ植物。枯れ始めたコケ。これは地球環境の変遷や植物の上陸の歴史と進化(化石採集の奥行)のテキスト指導の裏付けになります。
 少し歩いた信号の中央分離帯のチガヤやコバンソウ・ノビルはその歴史の単子葉植物の広がりです。これは『でっかいタケノコ堀り』の『竹の子』の学習にもリンクします。

また、もうすぐ始まる『米づくり』の稲、そして渓流教室で遊ぶ弓矢や釣竿の材料のササも、スライドやテキストをもとに、作業・工作で、その実物を「体感」していきます
 次の道脇の空き地にはマンション脇でススキやヨシが、他の場所に比べ恐ろしいほど勢いよく繁茂している一角があります。子どもたちにその理由を考えさせます。便槽や排水溝の仕業です。(これらも単子葉植物です。)

 この知識はやがて、「田植え」に向かう道沿いで、山から田んぼへ下る水が果たしている大切な役割、それが原因で時には戦が始まったことなどにつながります。子どもたちはそれらの学習内容を「ただの知識の羅列・暗記」に終わらず、成り立ちとしくみとともに立体的に組みあげていきます。
 
こういう指導の積み重ねの大切さは、世の難関塾の先生方には理解していただけないかもしれません。しかし団の子どもたちのすばらしい成長の理由の半分は、こうした指導にあります。理科と社会。知識の獲得だけではおもしろさは手に入りません

 ちなみに化石採集の事前の立体授業では、算数にも今回こういう展開がありました。
 先ほどの137億年や46億年という、気の遠くなるような時間の「重さ」を計算させます。「一年を1cmの長さにすると、137億年はどんな長さになるか、計算しなさい」というものです。

 137億年だから137に0が8つ。mに直すと0が6つ。㎞に直すと0が3つ。つまり13万7000kmになります。この位取りをそれぞれ考えさせます。
 これはどれぐらいの長さか? 地球にたとえます。赤道の周回が約4万77㎞ですから、約3.42周分。つまり137億年はおよそ地球3周半にもなる長さです。その気の遠くなるような長さも少しだけ実感できました。
 
1500万年前の蟹爪(?)発見から
 今回化石採集では、素晴らしい獲物が手に入りました(写真)。おそらくカニの爪ではないかと想像しているのですが、大阪市自然史博物館にお願いし、レクチュアを受けることになります。

 
   課外学習や立体授業で野外に出ると、毎回様々なハプニングに遭遇します。こうしたワクワク感は日頃の学習指導のためにも欠かせません。

 印象深い想い出からのイメージの応援は日頃の学習を身近にしてくれます。またハプニングに対する期待感は、子どもたちの好奇心に変わって、「環覚」の鋭さを育ててくれます。おもしろさや変化に目ざとい眼を育ててくれるのです
 化石採集では今まで同地で、次のような化石が採集できました。当時近辺は浅い海だったというのですが、広葉樹の葉が出て、アサリやシジミのような二枚貝の化石・丸く削られたチャートの小石、そして今回の「カニの爪」(?)・・・。

 教科書で通り一遍の知識を身につけ、記憶の棚にしまい込んでも、それらは二度と引き出されることなく、いつの間にか忘れ去られることがほとんどではないでしょうか。それが「受験勉強」の「なれの果て」です。
 かつてのブログ「ファインマンの父とエジソンの母」等でも展開しましたが、学習対象や学習内容がテキストとは別に、日ごろの自らの環境の中で自己を主張し始めることで、子どもたちの学習の「疎外感」は緩和され、学ぶおもしろさが見つかる可能性が高くなります

 ぼくたちが学校で学んでいること(学ばなければならないこと)は、それぞれどんな意味においても、僕たちの人生や生活に欠かせないことであるはずです。学生時代、長い年月をかけて学んだ内容が、単に受験の手段のまま終わることは、たいせつな一生で、時間の浪費にしかなりません。できうれば、それが人生を豊かにする存在に変わってほしい。そう願うのは僕だけではないと思います。

 今回の「カニの爪」が、子どもたちの心に1500万年前の海辺の光景を鮮やかに描き出す存在に変わることを願いながら、今日子どもたちと大阪市自然史博物館に向かいます。どんな答えが返ってくるでしょうか? とても楽しみです。
 そして、明日は久しぶりのカメラマンです。今シリーズ紹介のM君とA君の記念写真を撮りに京大に向かいます。彼らの夢と自信にあふれた写真が撮れればよいのですが。


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