『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

教育ママゴン脱出作戦 ③

2013年05月04日 | 学ぶ

森の音は賢母の声
 ぼくたちにやすらぎと心の潤いを届けてくれる木々。花々。
 都心でも緑が多い公園は、昼休みや休日になるとみんなが集まってくる憩いの場になります。四季折々の自然の変化で人生の彩りはより鮮やかに、味わいはより深くなります。

 ・・・知的空間というものを考えるときに、私がどうしても「自然」ということに関心が向いてしまうのは、自分が東京生まれだからかもしれません。こういう殺風景なところに生まれ育つと、自然の中にいることでどれだけ心が癒されるかということを、豊かな自然の中で生まれ育った人たちよりも、かえって強く感じます・・・
(「知的生活・楽しみのヒント」渡部昇一・林望著 PHPより)

自然に癒される感覚は、ぼくたちの多くが共通してもっています。森や自然と僕たちとの近しい関係は、恐竜をおそれて森に逃げ込んだ小動物の時代から五千万年以上続いています。その間庇護してくれた森への敬慕の思いも身体の奥深くでしっかり根付いていることでしょう。
 生命の維持や感情の動きに関わる脳の古い部位には、全身の感覚器官から受けとった情報を集積し、生きるための反応や行動を繰り返してきた歴史があります。遺伝子には森での生活体験や生命の維持に関わる歴史も刻印されているはずです
 そう考えれば、心が落ち着いたり、癒される感覚は当然かも知れません。自然は気の遠くなるほど長い間私たちの生命を養い、魂を育んでくれた、心とからだの故郷ですから。
 そして、自然は僕たちを癒してくれるだけではありません。子どもたちの健やかな成長にも大きく寄与してくれます。たくさんのことを教えてくれるのです。

 「森はコミュニケーションの基本を教えてくれる」。森に分け入った経験のない人には、想像もつかないことかもしれません

 お互いの理解を深めるためのコミュニケーションでたいせつなことは、まず相手の意見を聴く姿勢です。夫婦げんかが好例ですが、相手の言うことを聴くようにしないと、聴ける状態にないと会話は正しく成立しません。
 また、「人が前に立って話をしたら、きちんと話を聴く」というのは、社会生活を送る上でも、たいせつなエチケットのひとつです。森や自然はこれらの姿勢を育てるのにも大きなはたらきをしてくれます。体験学習を重ねて成長していく子どもたちを見て、毎年そう感じます。
 夏、渓流教室の散歩で森に踏み込むと、森は子どもたちを「大聖堂」のように迎えてくれます。身体に深く染みいるように香りが漂い、みんなその静寂に圧倒されます。
 歩を進めるとともに自然の力の豊かさや深さ・その包容力に気づき始め、子どもたちの心は敬虔な思いにさえ満たされていくようです。そのとき聞こえてくる森の音は、ひかえめな中にもそれぞれの主張がきちんとあり、心と身体に深く響いてきます。

 せせらぎの音は朝靄の森を抜け、驚くほど遠くまで涼やかさを運んでくれます。音にも透明感や儚さがあることを夕暮れのヒグラシが伝えてくれます。
 森の音は子どもたちに、ぼくたちが生命あることを見届ける心も準備してくれるのです。生命の有り様を子どもたちに示してくれるのは喧噪ではなく、森の静寂です
 人の話を聞くとき、田舎の子は都会の子に比べてうるさく騒いだり、話の邪魔をする子が少ないような気がするのは、気のせいでしょうか。
 自動車の音を始め、見境もなく無遠慮にがなり立てるようなさまざまな音に毒され、聴くという態度の成立そのものさえ困難になるような都会の日常。そのうえ、いやなものは聞かなくていい、見たいものだけ見ればいいと、音や画像を一方的にスイッチで遮断することがふつうになってしまった生活習慣。田舎の子は、未だそういう習慣に染まっている子が少ないからかもしれません。
 日々の静寂の中で小さくとも千変万化に主張する響きが子どもたちを育てているのでしょう。自然の静寂は、「向かい合うものに対する」子どもたちの態度を変え、きちんと「聴く姿勢」を育ててくれるのでしょう

 ちゃんと話を聴けない習慣や態度はコミュニーケーションのエチケットに違反するだけではあり
ません。話が聴けるかどうかは、さらに大きな意味ももっています。学習をスムーズに進めるために欠かせない条件が「話を聴くという姿勢ができていること」です。勉強できるようになるための原則です。
 できる子というのは、たいてい「他人や先生の話を聴くことのできる子」です。「集中して聴く」という姿勢がないと、「考えること」は始まりません。考える段階までは進めないからです。頭の中に入らないものを考えることはできません。きちんと聴くことができなければ学力の伸長など望むべくもありません
 また、聴くことができる子は、問題に向かったときにも「答えなければならないこと」をきちんと読みとれます。相手を理解しようとする態度がともなわなければ聴くことができないからです。
 もちろん問題を読める漢字力や読解力も必要ですが、話を聴ける子とそうでない子の注意力や集中力には大きな差ができています。さらに「しっかり聴くという経験を積み重ねること」によって「理解する速さ」もどんどん増していきます。

 螢狩りや渓流教室で森や里山の静けさと親しむ経験を経た子どもたちは、翌年、うららかな春の野辺、土筆ハイクでウグイスと出会うことになります。一生懸命「鳴きまね」をしているのがほほえましく、理由を聞く子どもたちから笑顔がこぼれます。
 でっかい筍掘り、田植えと春から夏の課外学習を重ねる間に、次第にウグイスらしく整っていく声は、子どもたちに自らの成長の姿もかいま見せてくれます。自らを振り返り、少しずつ自信が生まれ、その自信にともなって、さらなる目標が生まれてきます。成長しているという自覚があればこそ、責任の自覚も生まれます。優しさと他人に対する気遣いはそこから生まれます。
 「人の話をきちんと聞きなさい」という注意があまり聞かれなくなってしまった今、子どもたちにとって森の音は、実に、やさしい賢母の声なのです

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   立体学習を実践 学習探偵団 http://www.gakutan.com/
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