今週は「できる先生」の欄に、佳作の映画を写真紹介しています。それにしても受賞やレビューは、まったく参考になりません。アカデミー賞も同じです。
シーパップから思うこと
以前睡眠時無呼吸症候群のことをお話ししました。小さいころ、夜中によく目が覚めたことがありました。自らの経験から振り返ると、おそらく子どもたちの潜在的な患者数は、かなりの数になるのではないでしょうか。経験が少なく日々のからだの調子も比較できないし、身体をきちんと気にする習慣もないので、こちらからようすを見てよく注意してあげることが必要です。
こんな具合です。ぼくの場合はよく「水中にいる夢」を見ました。「苦しいので、何とか水面に浮かび上がろうと努力するのですが、どうにもならなくて、もがいていると、ギリギリの苦しさと動悸の激しさで目が覚める」というものです。
子どもですし、そのころにはまだ「睡眠時無呼吸症候群」の知識が一般的だったわけもなく、また「嫌な夢」を見てしまった、という思いだけでした。田舎から離れた市内の小学校に越境していたころ、たまたま乗り合わせた友人のお母さんがぼくの顔を見て、「南淵君、顔色が悪いね、疲れてるの。目の周りにクマができてるよ」。「隈」がよくできる子どもでした。
若いときから、居眠りや就寝時、「大きな鼾をかき、途中で長い間とまって、また大きな鼾が出る」という周囲の観察があった時も、いびきのことを調べたわけではありません。そのころはまだ、「いびき」が病気に関係があるのではないか、という意識をもっていた人はほとんどいなかったのではないでしょうか?
血圧が高くても、年をとってコレステロールがたまり、血管が細くなったのだろう、というごく常識的な認識しかありません。今のように病気に対する一般的な知識が広まっていたわけではなかったので、「止まるいびき」が睡眠時無呼吸症候群の代表的な症状だということもまったく知りませんでした。
ごく若い時から朝、目の周りにクマが出る、ということもしょっちゅうでした。その後成人してからも、朝起きづらい時には、「昨日酒飲んだしなあ」とか「年をとってきたので疲れやすくなったのだろう」という認識どまりです。
それらの症状の原因に、はっきり判断がついたのは、何十年もたってからです。仕事上の縁があって、病気のことや身体のこと・健康について調べる必要ができ、霧が晴れるように、からだの調子や症状の多くの疑問が明らかになってきました。それぞれの症状と学習したことがリンクして「判断が切れる(総合して判断できる)」ようになってきたのです。
睡眠時無呼吸症候群は寝てしまうと呼吸ができなくなってしまうことが、断続的に続く(最長で約74秒というような検査結果が出たこともありました)のですから、わかりやすく言えば、毎晩首を絞められながら寝ているのと同じです。
酸素が入ってきません。危機を感じた脳はできるだけ血液を送る作用(心拍数や血圧を上げるはたらき)を高めようとします。それでも改善しないので、限度がくると緊急反応で目覚めるのでしょう。ぼくの場合睡眠ステージのⅣ(熟睡状態)がまったくない状態でした。(データ写真参照)
毎晩そんな状態では心臓にも負担がかかるので不整脈等の異常も出やすくなります。また、細胞内の内呼吸にも支障が出て、新陳代謝が滞るので疲労物質の除去がうまくいかず疲労が回復しません。さらに、代謝が滞るのですから痩せにくくなります。疲れが取れず目の周りにもクマ、というわけです。
いびきをしている人は口呼吸ですから、のどが乾燥しイガイガして痛くなったり、よく咳が出る、またウィルスが入りやすいので風邪もひきやすくなります。こういう症状からこの病気の可能性を見きわめることも出来ます。
シーパップという睡眠時無呼吸症候群用補助装置をつけてからのすっきりすること。目覚めのよい朝。
何の躊躇もなく自然に身体が起きあがり、やるべき仕事に向かえます。血圧も「上下とも20以上」下がりました。この信じられないほどの変化と嬉しさは、経験者でないとわからないと思います。「よく眠ることができると、こんなに疲れが取れて身体と頭がすっきりするのか」とびっくりしました。
そういう経験から振り返ると、子どもたちのことが少し心配になります。性格形成の時期でもあるわけですから、朝の辛さや疲労回復の遅れが続くような子ども時代を送ると、行動パターンや、自主性・楽観的・悲観的などという性向の形成にも大きな影響があるのではないか。そういう判断もできます。
ぼくはガリガリにやせていた方で、子どものときに太っていないからといって、「睡眠時~ではない」という判断はできません。もしいびきが大きく、途中で止まるようなことがあれば、いろいろな点で余計な負荷がかからないように、ぜひ「ちゃんとした病院」で検査を受けさせて(受けて)ください。
でっかい鯰釣りのテキストと指導Ⅷ
41p~45p 鮎ー団の釣果の魚から、サケの仲間
さて、前回の指導紹介は「でっかい鯰釣り」の団の釣果の紹介でした。そして金魚や錦鯉の話に触れました。諸事情により残念ながら、団は海での立体授業ができません。日ごろよく目にする川の魚を主に取りあげます。生態や人との関係も含めて、「立体的に」経験を積みあげたいからです。また「日ごろよく見る」という身近さから切り込むことで、環境に対する好奇心やなぞ・不思議も芽生える可能性が高くなります。「環覚」です。
まず、かつて赤目でも結構とれたアユからです。アユは子どもたちの知識の『核』になりうる、さまざまな特徴をもった魚です。
キュウリウオ科で、仲間に氷上での穴釣りで有名なワカサギ、お父さんの晩酌の肴にもでてくるシシャモがいます。ちなみに安いシシャモは、同じキュウリウオ科の樺太シシャモで、よく比較して見れば決して似てはいません。
川で生まれたアユは一年で命を終える間に、海に下り、また川に上り産卵するという長い旅をします。稚アユを放流して友釣り客を集める川がたくさんありますが、天然アユと養殖アユ、そして琵琶湖産の小鮎がいます。
ちなみに琵琶湖産の小鮎は琵琶湖にそのままいればあまり大きくならないようです(琵琶湖から河川に遡上する鮎は大きくなる)。親魚になっても12~13cmと小さいままで卵をはらんでしまうといいます。これは、琵琶湖が止水域で、アユの好物の珪藻類・ラン藻類・プランクトンが少ないこと、アユの個体数が多すぎるたことによる栄養不足が、主な原因として考えられています。
最初は食用としてのみ捕獲されていた琵琶湖のアユを、明治40年代に他の河川に放流したところ、見事なアユに成長することを発見したのが、当時東京(帝国)大学教授であった石川千代松博士でした。「湖産アユ」の放流が盛んになったのはそれ以来です。《湖産アユ(琵琶湖産)と海産鮎(天然遡上)の混雑には生態学上も様々な問題もはらんでいます。病気の感染や湖育ちで海にうまく適応できない体質等です。》
これらのエピソードにも、スライドのように、「魚のすみわけ」のおもしろいテーマが含まれています。ふだんすみ分けられている川にアユが遡上してくることで、それらのバランスが微妙に変化するようすです。
さらに、琵琶湖のブラックバス等の外来魚の被害に触れることが出来ます。学習対象の関連を大きくとらえることで発想が広がると、次第に知識が知識を呼ぶようになります。
また、アユは「友釣り」で有名ですが、これは一定区域の縄張りを主張し、エサを独占しようとする習性を利用しているということを伝えます。自分の縄張りに他のアユが侵入しようとすると、体当たりして追い払う。それによっておとりアユに仕掛けられた針に引っかかってしまう、という釣りです。
アユは、8~9月ごろになると、群れをつくりながら川を下りはじめ、9~11月ごろに中下流域で砂礫底の、水通しのいいところを選んで産卵します。産卵数は数万といわれ、川底の石などに付着し、10~20日前後で孵化します。産卵すると親は死に、孵化した稚魚は5~6mmの大きさに成長すると、海へ下って越冬する。翌春3~5月ごろ、川の水温が10~12度くらいになると、稚アユたちがまた元気いっぱいに遡上を始めます。
海での約半年間は主に動物性のプランクトンを食べているので、遡上初期は水生昆虫など動物性の餌を食べますが、次第に川底が石に変わってくると、これらの石につく藻類を食べるようになり、「縄張り」をつくります。これが鮎の一生です。《これらのエピソードは『釣り入門』(西東社)が参考になりました》
これらの知識を身につけて、「友釣り」のお供をする機会があったり、家庭やレストランでアユの塩焼きが出てくると、子どもたちの『学習の視界』が開けます。「学習」と「生活」が近しくなります。総合することで子どもたちの『環覚育成』に欠かせない経験になります。『立体授業』です。
「縄張り」や「すみわけ」は高校生の時に習う生物の学習ですが、そのころになってこうした知識を手に入れても、自然体験に疎くあまり外遊びをしなかった子どもたちは、学習する意味を「受験用」にしか見いだせません。既に感性や好奇心の「行く先」も変わってしまっています。「年齢や知識欲とそぐわない」学習です。学習の多くが、こうしたアンバランスな状況で続いています。そして「昔からそうだから」と何の疑いもなくそのまま踏襲され、継承されていくのでしょう。
遊びや体験との連動で、知識がもっとスムーズに入り、生活(日常)と学習がいかに融合できるか。その方法を探ることで子どもたちの学習はおもしろく、もっと意味のあるものになる。そして13歳のハローワークでもふれましたが、仕事や未来に少しずつ「現実感」のある光が見える成長を手にできると、ぼくは考えています。
鮎の次の鮭のスライドも、それぞれの特色から、子どもたちに伝えることは山ほどあります。説明は長くなるので省略しますが、考える要領や視点は同じです。ただ、地理との関連をとれるように、「サケの回遊」の地図は入れておいた方がよいでしょう・
できる先生とできない先生
先週、(医師と)教師がおおきなやりがいのある職業ではないか、と伝えました。長い「人生散歩」のあと、指導経験が20年を超え、自らへの戒めもこめ、ぼくなりの先生の評価表を手にするようになりました。通知表に習って三段階評価です。
C評価
「できない先生」。力不足で責任感や指導能力もやる気もなく、言っていることもよくわからない先生。
B評価
「ふつうの先生」。教科書や指導書を見て書いてあることを書いているとおりに伝えられる先生。
A評価
「よくできる先生」。子どもたちの反応やようす・感覚からフィードバックした指導のノウハウを身につけ、理解させて次の(学習)ステージに結びつけることができる先生。
B評価を「ふつう」にしましたが、「指導書に書いてあることを伝えられる先生」というのは、果たして良い先生でしょうか? 「指導書に書いていないこと」ほど、子どもたちにとって、おもしろく興味のあることが多いのではないかとぼくは思っています。
先ほどの「すみわけ」や「縄張り」のエピソードもそうですが、小学生に言ってもわからない話でしょうか? 決してわからない話ではありません。半分居眠りをして聞いている高校生より、小学生に一生懸命話してあげた方が、眼をキラキラ輝かせおもしろがってくれるはずです。 そして、その結果勉強をおもしろがってくれ、子どもたちの「その後」に結びつくこと。先生の役目として、それがもっともたいせつなことではないですか?
そういう経験を積めば積むほど、子どもたちは自ら学習に向かうはずです。「知りたい心」が芽生えてきます。ぼくの経験では、子どもはその次を知りたくなれば、そういう進め方をすれば、自ら集中力を発揮し、理解しようと努める存在です(その陰にはきちんとした躾や家庭環境の知育・知的環境がそれなりに必要であることは言うまでもありません)。
年齢や学年に制限を設けて、「えらい人たち」が学習内容や学習方法を策定(決定)していくのでしょうが、それらのさまざまな制約のおかげで、おもしろいものや好奇心や興味をひくものもわからないもの・必要ないものになってはいないか。そして結局、記憶材料としてのエッセンスの知識やまとめの羅列に終始する指導要領になってはいないか?
何でも「わからないもの」と決めてかかるのは、子どもたちに対して「失礼で理不尽な仕打ち」ではないですか? まず、そうした年齢制限や学年別というバリアをある程度取り払ってしまい、指導内容を組み立ててしまえば、きっとおもしろい授業ができると思います。そうした指導によって学習内容にある必須事項も自然と身についていくでしょう。個別に工夫することはできます。
先生方の忙しさ・たいへんさはいろいろ聞き及び、わかっているつもりですが、何よりも子どもたちが学習のおもしろさをわかってくれることが先決です。「よくできる先生」とは、「子どもたちの反応や感覚からフィードバックした指導のノウハウを身につけ、理解させて次の(学習)ステージに結びつけることができる先生」だと思うのです。
なんですか? 親がたいへん(!)な時はどうするか!? どうもできませんよ、もはや。放っておきましょう(笑)。ほうっときなさい。
先生にもそんな人がいると、どうするかって? 「シカト!」(笑い)。
冗談はともかく、まず、子どものことだけ考えましょう。そうでないと、素晴らしい子どもがいない世の中になります。相手はひとりひとり、未来を担っていくたいせつな子どもたちなのですから。夏です。機会はいくらでもあります。