見晴らしのきかない山道・・・見通しの悪い樹間・・・時々背伸びをしても、自分の居場所さえつかめないときが続きました。たくさん回り道もしました。時には麓に戻り、暗くなってから別のルートを探したこともありました。
過ごしている「やっかいな時間」に腹を立てている間に、いつの間にか少し遠くを見渡せる尾根を登っていました・・・尾根から見える景色をat randomに紹介します。
他者依存型子育ての登場
課外学習や立体授業は野外活動です。子どもたちが元気よく野外で遊んだり、戸外指導するわけです。気配り・目配りがきちんとできていなければなりません。 開設以来、保護者のみなさんにサポーターとして手伝っていただき、二十年近く事故は一件もありませんでした。
つまり、その頃お母さん・お父さんたちは「場所や状況に対する危険度の予測と備えが十分できていた」ということです。
ところが近年は様相が大きく変わってきました。十数年子どもたちが喜んで遊んでいたコンクリート製の「流れる滑り台」が、数年前突然閉鎖されたことを以前お話しました。
渓流遊びの危険度や注意事項に対する保護者の認識不足で起きた事故がその原因です。監視をせずに、経験不足の子どもたちを岩場の多い渓流で遊ばせていたようです。
夏休みです。気持ちが高揚している子どもたちが走り回るところは学校の運動場ではありません。
惹句が器用に、そしてカラフルに踊る情報の氾濫のなか、若いお父さん・お母さんの受験や学習指導に対する興味や知識は膨らむばかりです。
しかし一方で、それらと比べものにならないくらいたいせつなことに目が届いているか? 子どもの身辺・置かれた状況に対しては注意が届かず、危険度の察知ができない人がどんどん増えているような気がします。
生活環境・学習環境・社会生活の変化によって、本来なら親が守るべき子どもの生命が、いつの間にか「誰かが守ってくれるだろう」と、「他者依存型!」になりつつあるのではないでしょうか?
たとえば、話に聞くモンスターペアレンツもその一例です。クレーム内容を冷静に振り返れば、「親としての責任能力の欠如」・「あなた任せの子育て感覚」からくるものが大半です。親としての自覚が「家出」してしまっています。
そうした感覚が行き着く先は、「子どもの将来と生命を守るべく、状況を的確に判断できる」親力(おやりょく)の喪失です。守るべきがわからず、危険を知らないほど危ないことはありません。
幸いにも大きな事故にならなかった事例を紹介しておきます。どう状況判断をしたらよいか。みなさんの「考える種」にしてください。健やかに子どもを育てるために、心の中で育ててみてください。
きちんと日ごろから子どもを見ることができているか?
渓流教室では朝、家族で散歩する時間があります。思い思いに草むらで虫を探したり、生きものを観察しながら谷沿いを行き来する姿も見られます。
渓谷ですから切り立った崖が随所にあります。土産物店がとぎれるあたり、四十八滝へ続く道の入り口もそんなところです。下まで草が生い茂った急な崖で「マムシに注意」の立て札。渓谷周辺は特にマムシが多く、団員たちも毎年遭遇します。
坂の上にある宿舎近くの草むらで、子どもたちの虫捕りの様子を見守っていました。下の谷の方から一人のお母さんが息せき切って階段を上ってきます。「男の子が落ちた」というのです。「自らの鼓動」が聞こえたのは久しぶりです。
あわてて谷の入り口まで降りていくと、男の子は同行していた団員のお父さんに引き上げてもらっていました。幸いなことにマムシにかまれることもなく、かすり傷一つなく元気でした。下の谷までは十メートル以上。草や木にひっかかって運良く途中で止まったようですが、命に関わる大けがであってもおかしくない状況です。
彼は二年生。お母さんとの三人で参加していました。団の課外学習への参加はそのときが始めてではありません。何度も参加していましたが、わがまま極まりなく、いつも小さなトラブルの原因になってしまいます。
珍しい動植物が見つかり、子どもたちに観察させようとすると横取りしてしまう、何ごとによらず順番を無視して割り込んでくるなど、傍若無人・自分勝手な行動で、側にいるときは目をはなすことができません。ハプニングのようすを聞いてみると、原因はやはりその性向でした。
顛末です。参加していた三人のお母さんがそれぞれ子どもを連れて朝の散歩をしていました。
先述の崖の前、草の葉についていたカエルの卵を一人の子が見つけ取ろうとしたところ、いつものように強引に横から手を伸ばし、バランスを崩して落ちました。お母さんは真横で屈んでいたようです(蛙の写真はイメージです)。つまり、子どもはお母さんの目の前で落ちたことになります。
こういう事故の防止はむずかしくありません。「今いる場所でどういうことが起きる可能性があるか」は、よく注意してさえいれば想像の範囲内だからです。
自分の子どもの性行を日ごろからよく観察し、状況を把握をしていれば、「ベルトをもっておく」なり、「手を引いておく」なり、「襟首をつかんでおく」なり、防ぐ手だてはいくらでもあります。親は守るべき当事者なのです。
受験や進学に関してさまざまに思いをめぐらしていても、子どもの生命を守るという、いちばんたいせつな行動に手落ちがあれば、他のことは意味をもちません。
ほんとうに守るべきものは何か。目を向けるべきは何処か。「危険度を予測できない」という、この状況が意味することは何か。もうひとつ紹介します。
子どもが置かれている状況が判断できているか?
年間活動の第一回は土筆ハイクです。土筆ハイクは、春の色が顔を見せ始めた飛鳥路を文字通りぶらぶら、ツクシや蕗の薹を摘みながら進みます。ハプニングはその土筆ハイクで起きました。
飛鳥駅から道すがら、動植物・地勢を説明しながら、上平田の集落、アスカルビーの温室の間を通り、朝風峠を越え、二上山や大和三山・金剛・葛城の峰々を振り返りながら稲渕の棚田方面に向かいます。 朝風峠の手前まで登ると、急坂になっている道端で毎年ツクシの群生が見られます。
時には小さい子を連れたお父さん・お母さんの参加もありますが、往復八キロの山道ですからバギー車持参がほとんどです。お兄ちゃん・小さい弟とお父さん・お母さんの四人の参加でした。
バギーで眠ってしまった弟に安心したのか、お兄ちゃんと「ツクシ」に夢中になったお母さんの後ろで突然バギーがバックし始めました。ストッパーがかかっていなかったのです。
十度近い急坂です。五十メートルほど先を進んでいたぼくは、悲鳴に振り返るのがやっとでした。すぐ側にいたお父さんが追いかけても間に合わず、深さ1メートルはあろうかと思われるコンクリート製の側溝に落ちてしまいました・・・元気な泣き声、よかった。
すごい勢いでしたが、からだが固定されていたことが幸いしました。しかし、子どもの事故は結果オーライでは済みません。
守るべきは何でしょう? 受験や学習指導? 日ごろから、まず真っ先に目を配るべきは何なのか? 目を向けるべきは何処なのか?
「親力」はバランスよく身についているでしょうか? 二つの例から学べるものは何か?
たいせつな子どもたちの「学習指導」の真の成果とすばらしい成長は、その先に輝いています。