ども。昨日の東北地方太平洋沖地震に被災された方には心からお見舞い申し上げます
特に仙台&福島はBUCK-TICKになじみの深いコンサート会場があるだけに(Zepp sendai、仙台イズミティ21、郡山文化センター)特に知人はいなくともFISH TANKerさんが被害を受けていないか同じ仲間として心配です
B-Tのメンバーも無事だった様で今回の状況を考え、今週末の大阪2Daysを延期したとの事ですがそれは正解だったと思うな。いくら被災したのが西日本では無いとは言え、メンバーの心境を考えると・・・・何よりもB-Tの内4人は守るべき人たちのそばから離れてはいけないと思うのです(小さい彼はお兄ちゃん達と行動を共にすると思うのですが)
正直、地震が起きた瞬間職場周辺は今まで体験した事が無い気味の悪い横揺れが1分以上に渡って続き、私は昔そこが海だった事を知っていただけにいつ建物が倒壊するのかの恐怖で(ちなみに職場はマンションの1階)自分だけヤバクなっていました
パニくる私をよそに社長や先輩達は目の前のビルのガラスがいつ落ちてくるかばかりを心配していましたのが印象的でしたが
その後も余震が4~5回続いたのだけど、何とか月曜日収めの仕事は続行して完遂し、全て終った夜7時に職場の人から新幹線のみ運行しているのを知った私は徒歩で東京駅に向かい、こだまで新横浜へ
新横のホームについた際、丁度友人からケータイに電話がかかってきたにはビックリ!
今週は丁度彼女の誕生日で私が宅配便で出したプレゼントを受け取ったお礼を言いたくてTELしたとの事ですが、私の事を心配してTELして来てくれた事には深く感動しました。
こういう時に友人から連絡を受け取ると、本当に励まされましたね
さて、新横浜について家にTELした私は母から横浜アリーナが帰宅難民を受け入れているとの事を知り、アリーナに向かったのはいいがアリーナは満杯だと路上の係の方に言われ(コンサートホールではなく、会場のロビーのみの開放だったみたいです)、1キロ近く誘導されて小さなコンサートホールのある公共の建物へ向かいました
コンサートホールの中は小規模ながら自分がB-Tのライブを見に行く会場とほぼ同じつくりになっていて、ほとんどの方がコンサートホールの座席と同じ作りの座席に座って休んでいるのを見た時はとても不思議な感じがしました
眠れない間はロビーのソファーに座っていたおじさんのワンセグでニュースを見せてもらったり自分の携帯プレーヤーでニュースを聞いたりしていたのですが、やがてホールにて横になっていた所に私は係の方から毛布を受け取り、それをマット代わりに敷いてダウンのロングコートを引っかぶって(フードの部分が丁度アイマスク代わりになった)目薬を頻繁に点眼してコンタクトの乾燥を気にしながら眠り(下手すると取れるから)、朝5時ごろ係の方が「昨日全線不通だったJRが7時ごろに運転再開する」との連絡があったので6時半過ぎに近くの私鉄の駅に向かって横浜にでました。上記の写真は避難所で受け取った非常食のクラッカーです。
しかし、いざ横浜に着いたのはいいが自分の使うJRの路線は不通だったのでまた私鉄を使ってJRの最寄り駅に向かい、今朝8時半近くに帰宅しました
自宅で1人待っていた母の話によると、父も昨日は会社に泊まって無事だったと知りこの時ほど家族が無事だった事を喜んだ事はありません。ちなみに兄夫婦も姪も無事でした。あと、連絡をくれと言った会社の先輩も会社から自宅まで10時間近くかけて車で帰ったとの事です。
改めて両親、兄、義姉、姪、伯母(ずっと心配していてくれていたとの事)、友人、職場の人達、そして一晩中寝ずに私達をお世話して下さった市の係の方達に感謝します
特に仙台&福島はBUCK-TICKになじみの深いコンサート会場があるだけに(Zepp sendai、仙台イズミティ21、郡山文化センター)特に知人はいなくともFISH TANKerさんが被害を受けていないか同じ仲間として心配です
B-Tのメンバーも無事だった様で今回の状況を考え、今週末の大阪2Daysを延期したとの事ですがそれは正解だったと思うな。いくら被災したのが西日本では無いとは言え、メンバーの心境を考えると・・・・何よりもB-Tの内4人は守るべき人たちのそばから離れてはいけないと思うのです(小さい彼はお兄ちゃん達と行動を共にすると思うのですが)
正直、地震が起きた瞬間職場周辺は今まで体験した事が無い気味の悪い横揺れが1分以上に渡って続き、私は昔そこが海だった事を知っていただけにいつ建物が倒壊するのかの恐怖で(ちなみに職場はマンションの1階)自分だけヤバクなっていました
パニくる私をよそに社長や先輩達は目の前のビルのガラスがいつ落ちてくるかばかりを心配していましたのが印象的でしたが
その後も余震が4~5回続いたのだけど、何とか月曜日収めの仕事は続行して完遂し、全て終った夜7時に職場の人から新幹線のみ運行しているのを知った私は徒歩で東京駅に向かい、こだまで新横浜へ
新横のホームについた際、丁度友人からケータイに電話がかかってきたにはビックリ!
今週は丁度彼女の誕生日で私が宅配便で出したプレゼントを受け取ったお礼を言いたくてTELしたとの事ですが、私の事を心配してTELして来てくれた事には深く感動しました。
こういう時に友人から連絡を受け取ると、本当に励まされましたね
さて、新横浜について家にTELした私は母から横浜アリーナが帰宅難民を受け入れているとの事を知り、アリーナに向かったのはいいがアリーナは満杯だと路上の係の方に言われ(コンサートホールではなく、会場のロビーのみの開放だったみたいです)、1キロ近く誘導されて小さなコンサートホールのある公共の建物へ向かいました
コンサートホールの中は小規模ながら自分がB-Tのライブを見に行く会場とほぼ同じつくりになっていて、ほとんどの方がコンサートホールの座席と同じ作りの座席に座って休んでいるのを見た時はとても不思議な感じがしました
眠れない間はロビーのソファーに座っていたおじさんのワンセグでニュースを見せてもらったり自分の携帯プレーヤーでニュースを聞いたりしていたのですが、やがてホールにて横になっていた所に私は係の方から毛布を受け取り、それをマット代わりに敷いてダウンのロングコートを引っかぶって(フードの部分が丁度アイマスク代わりになった)目薬を頻繁に点眼してコンタクトの乾燥を気にしながら眠り(下手すると取れるから)、朝5時ごろ係の方が「昨日全線不通だったJRが7時ごろに運転再開する」との連絡があったので6時半過ぎに近くの私鉄の駅に向かって横浜にでました。上記の写真は避難所で受け取った非常食のクラッカーです。
しかし、いざ横浜に着いたのはいいが自分の使うJRの路線は不通だったのでまた私鉄を使ってJRの最寄り駅に向かい、今朝8時半近くに帰宅しました
自宅で1人待っていた母の話によると、父も昨日は会社に泊まって無事だったと知りこの時ほど家族が無事だった事を喜んだ事はありません。ちなみに兄夫婦も姪も無事でした。あと、連絡をくれと言った会社の先輩も会社から自宅まで10時間近くかけて車で帰ったとの事です。
改めて両親、兄、義姉、姪、伯母(ずっと心配していてくれていたとの事)、友人、職場の人達、そして一晩中寝ずに私達をお世話して下さった市の係の方達に感謝します
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