奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

野焼き

2010-02-07 17:20:03 | Weblog
今日は、私の地元の行事で、お昼から近所の人達と野焼きをしていました。
まず12時30分に公民館に集合です。
近くに住んでいるとは言え、普段は近所の人と滅多に顔を合わせる事がないので、久しぶりの再会にちょっぴり嬉しくなりました。
二言三言、周りの人と会話を交わしてるうち、組合長が、出席を取りだし、その後、野焼きをするたんぼや畑に、みんなと向かいました。
と、歩いていると、今は空き家になっている、お家の庭に生えている金柑の実が道路にはみ出していて、何人か実を取っているではありませんか。
そして、おいしい!と言って、何個も、もいだりなんかしています。
ほかの人も、持ち主がいないのだからと言って、次々にもいでいます。
その言葉に勇気を得て、私ももいで、食べてみました。
すると、噛んだ瞬間、じゅっと口の中に広がる果汁が、とってもおいしかったです。
そんなこんなで、幸先の良いスタートをして、たんぼに着きました。(笑)
そこで、私は枯れた竹を二本束ねて、松明とし、たんぼの畦の枯れ草に火をつけました。
今日は、ちょっと風が強かったので、簡単に燃え広がります。
一緒にいた人が、普段は火をつけると放火魔みたいだけど、今日はじゃんじゃん燃やしても何にも言われないからと言って、大喜びで、どんどん火をつけます。
大丈夫、この人?
と思ううち、後ろの川の堤防にある枯れ草がものすごい勢いで、燃え出しました。
かなり、離れているのに、熱風で、熱い事。
気をつけないと、火にまかれて焼け死にしないとも限りません。
現に、大分の由布院では野焼きの最中に、逃げ場を失って、何人か亡くなってるというニュースもあったのです。
そこで、私はちょっと恐々、周りに気をつけて、火をつけて回りました。
そうして、その辺りの畦がほとんど焼けたら、山の近くのそばの畑の畦を焼こうという話になって、何人かとそちらに移動しました。
だけど、山の木に燃え移るのは避けなければなりません。
その畦は斜面になっていて、下から火をつけたのですが、私はほかの人と、上の畑にいて、枯れ草が燃えるのを見守っています。
そのうちの山に近い方の燃えている枯れ草だけ、持っていたスコップで、土をかけて、山に燃え広がるのを阻止しました。
だけど、ただ燃えてるだけでも熱いのに、煙りがもうもうと出ていて、目を開けてるのが、やっとで、涙さえ出てきました。
それが終わった後、川の近くの畦を焼いたのですが、その間に、地元の人といろいろな会話をしました。
近所の人のウワサ話から、大昔、ここは湖で、水の底に沈んでいた事など・・・
みんな、私が子供の頃から知っている気心の知れた人ばかりで、おまけに野山に久しぶりに行けて、とても懐かしかったです。

なんだか、宮沢賢治の「風の又三郎」みたいだなぁと思いながら、野焼きを楽しんだ私でした。




映画「南極物語」1983年制作

2010-02-07 09:50:10 | 映画・テレビ
昭和33年、南極に昭和基地が設けられた。
厳冬の南極を乗り切るのに15匹の犬が選抜された。
吹き荒れるブリザードの中の探険は犬に頼るのがすべてであった。
隊員の潮田と越智は第二次越冬隊中止の為、犬を南極に置き去りにせざるを得なかった。
取り残された犬達。
一年後に降り立った隊員達が見たものは・・・。

ビデオジャケットより


この作品、大ヒットしました!
それまでの映画の興行収入を塗り替え、あの宮崎駿監督の「もののけ姫」に抜かれるまでの14年間、どの映画も「南極物語」の記録を破る事は出来なかったそうです。

最近では、洋画でもリメイクされたので若い方もご存知なのではないでしょうか?

これは私の推測なのですが、この映画がヒットした一つの要因は、暑い夏に封切られたのもあったのではと思います。

夏真っ盛りで暑いから、南極を舞台にした映画を観れば、少しは涼しくなるだろうと思って、映画館に足を運んだ人が多かったのではないでしょうか?(笑)
それに、犬のタロとジロは有名ですから、安心して泣けると、映画館に行った人も多かったのではと思います。

ですけど、それを差し引いたとしても、この映画の魅力は決して劣るものではないでしょう。

ところで、みなさんは、この映画の何処で泣きましたか?

やっぱり、タロとジロが生きていて、一年後に隊員と再会した場面でしょうか?
私はですね、その場面も、もちろん感動しましたけど、ほかの犬達が、食料が尽き餓死したり、病気になったり、氷の海に落ちて凍死したりと、次々に死ぬ場面がかわいそうでなりませんでした。
こんな目に会わなくてはならなくなったのも、地質調査の最中に物凄いブリザードに襲われ、食料や、宗谷丸の燃料が底をつき、遠く離れた地質調査の場所に犬達を置き去りにせざるを得なかったのが原因だったんですけど、そうでなければ隊員達は、犬達を助けに行くはずだったのです。
隊員達にとって、犬は仕事のよき協力者というだけではなく、家族同様に愛情を持ち、なくてはならない存在だったのです。
隊員が氷上で、遭難した時、その優れた嗅覚で、見つけだしたのは、タロとジロの二匹の兄弟の犬だったのです。

そんな自責の念から潮田隊員を演じる高倉健は、日本に帰ってから、大学講師の職を辞し、犬達を南極探険に惜しみなく提供してくれた元の飼い主達にお詫びをするべく、全国行脚の旅に出るのです。
だからこそ、一年後に再び南極に降り立った隊員が、タロとジロを見つけた時は、涙なくしては観られない感動的なラストになったのだと思います。


ところで、「南極物語」制作にまつわるエピソードで忘れてはならないのは、蔵原監督が全財産を注ぎ込み、さらに借金までして、この映画を作った事です。
だから、もし「南極物語」がヒットしなければ、蔵原監督には借金しか残らず、家庭崩壊の危機さえあり、まったく予断を許さない状況だったのです。

そのエピソードに、私は、この映画の登場人物のひたむきな姿と、蔵原監督の映画にかけた男のロマンを重ね合わせずにはいられないのです。

この映画は、明日をも知れぬ運命に敢然と立ち向かった男のロマンが胸を打つのかも知れませんね。