ここ最近、色々と思うことが、ふと頭の中で発酵し始めることがあり、
それをちょっとまとめてみようかと思って書き出してみる。
損得について。
損すること、得すること、生きていくうえで、こういう機会はよくあります。
損得とは何か?
損のイメージをしてみると、保身という言葉が浮かんできます。
まあ、自分を守るということですが、守るといっても何を守るのか?
目に見えるものとしては、お金や物でしょうか。
目に見えないものとしては、地位・名誉、プライドなどでしょうか。
実際には、この二つが絡み合って損ということが多いかもしれません。
損したーと、強く感情的になるときは、そのモノへの執着が強ければ強いほど、
損感情が増すようで、個々人の価値観に大きく左右され、
実状から見ると、たいしたこと無いのに騒いでいたり、
逆に、たいしたことなのにケロリとしている人もいるから様々と思われます。
一方、得とは?
勝手に分類しますと、得には二種類あります。
受動的得と能動的得です。
受動的というのは、意図せず偶然から結果として得となったことで、
バーゲンセールでお買い得であった、お礼で金品を頂いたなど。
能動的得というのは、値引きするのをはじめ、
巧みに説得して自分の都合の良いようにする。
本来は、自分で完結できる、現状で本当は足りている、
または自己努力でまかなうことができるであろうに、
ついつい甘えてとか、得することはいいことだ、
得するのが勝ち、得することが出来るのも才能の一つなどと
思い込んでいることがあります。
このように他所から物を得るという発想は、
詐欺、窃盗、強盗、さらには戦争まで行き着くこともあります。
怖いですねー。
そもそも損得なるもの、いつの頃から当たり前になってしまったのか?
集団生活をして、皆で支え合わないと生きていけない状況、
つまり、個人を尊重するとか、自己主張するとか、オンリーワン(意味はわかりません)
という発想とは全く逆な生きていくためには皆の協力と調和が必要な中では、
損得による行動は出来ないと思うのです。
ということは、利権(モノが集中=権力により余分に集める)というものが出てきた頃から、
または、損得という感情が利権を生んだのかどっちが先かはわかりませんが、
要は、他を利用し搾取するというズルイことを考えついた人から始まったとも考えられます。
いまだに、このズルイという発想が世の中蔓延しています。
このように知ったかぶり、偉そうなことを書く私もズルイという所が多々あると思います。
こんな私ですら、最近、損得ばかりを重視(基準に)して生きる人たち(おじさん)が
目に付いてしまうのですから、どうしましょう・・・と思っているのです。
まあ、どうするもこうするもないのですが、勝手に一言二言三言いわせていただきます。
世の中がバブリーな頃、
株・不動産売買、右肩上がりの業績、分不相応な報酬、
実相を見ずにこれも実力と勘違いして調子に乗って、
バリバリ、イケイケガンガン、お金の上で踊っていた大人たち!
いまだに痛い思いをしないでひょーひょーとしている人たち!
いつまで損得勘定で生きているのですか?
(この場合の損得は能動的意味でして、健全な生活上の損得とは違います)
世の中激動しています。
昔の栄光(虚)の時代はとっくに終わっています。
基準が大きく変わってきているのです。
得をする=人から物を得るということは、その分を相手が肩代わりしているのです。
得をするのがいいことではないのです。
勝ったと思っていても、必ず後でその分の帳尻が合わせられるということを忘れないでください。
こう考えますと、得することは恥ずべきことです。
ましてや、これだけ得したとか、いくら稼いだとかなんて口が裂けてもいえないことです。
もし、不相応に得をしてしまったら、形を変えてもいいから何かに還元しておくことが無難です。
勝ち逃げはあってはいけません。
自分(良心)を一生懸命誤魔化していると心当たりある方!
周りの空気をよーく感じ取ってください。
誰にも相手にされない、寂しい老後となってしまってからは遅いです。
どうかご自愛ください。
自戒を込めて。
苦言、失礼致しました。