何だか、みーちゃんと亜呼ちゃんの素敵場面の語りばかりしてる気分になってきた。
しかも、場面そのものの話ではないのが、却って、執着を表してる(笑)。
男爵の話。
お茶会で、蘭ちゃんは、舞台に上がる頃に、男爵を掴めてきた…
というようなことを言っておられたと思うんだけど、
なるほど、確かに、GWに観たときよりも、更に大きく見えた。
それが、千秋楽にむかって、続いていったご様子。
何が違うっていう違いは、はっきりみつけられないんだけど、
間のテンポのいい位置とか、力の入る位置とかを、より精密に掴めている、とか、そういうことかもしれない。
掴み所のない感じが、実は男爵のキャラクターの濃いところで、
すり抜け方、留まり方の濃淡の付け方と柔軟性、次第。
よく未沙のえるさんがされるような感じの役だよね、と言われた。
未沙さんは、本当に曲線でお芝居をされて、その絶妙さがいつ観ても、実に面白い、巧みな役者さんですが、
考えたら、蘭ちゃんは、コパカバーナの時も、
設定は、少しいじってあったけれど、星組さんで未沙さんがされていた役を、宙であてられていた。
演出家に見えることっていうのが、あるのかなとも思った。
芝居のタイプは、決して同系列ではないんだけど、
何だろう、根幹にある基礎部分みたいなものだろうか。
演出家目線で、担わせたい役割がそこに見えるのかな。
私は、実は、
蘭ちゃんに、ユウガさんの役の恋を邪魔するような役をやって欲しいと思っていた。
対立の図式の方が、はまるんじゃないかと。
「雨に唄えば」の時には、
どうも、親友というのが、なかなか噛み合いきれず、、、
翻訳の台詞の言葉を生かすところから難しかったのかもしれないけれど、
結局、やっと二人が向き合ってる距離感が見えた感じがしたのは、
ほとんど千秋楽の頃だった。
この後の、楽園王子が、まさに対立のお芝居だったので、
大変にホッとしたし、その図式は、かなり面白かった。
ユウガさんが、怒り芝居になっても…それはまぁ、スチュワートが、アンソニーに対して怒るのもごもっともだし、
それにしても、ちょいとヒステリックで、アンソニーが大きく見えちゃうよなぁ…
という感じではあれど、辻褄はあっていた。
なので、
今回は、どうやら、ユウガさんのお友達役であるらしいと、おぼろげに見えてきたときに、
本気で、心配した。
何ていうか…そうね、友達というフレーズに、「マリポーサの花」の時の、ミズちゃんとゆみちゃんを想像したのです。
ああいう感じの、魂で結ばれあった、みたいな親友を表現することを、要求されたら?
役者さんなんだから、
そういう脚本ならば、それなりにこなさなければならないし、
出来なくはないでしょう…それなりには。
だけど、組んだ肩の間に、目に見えない隙間を感じたりするんじゃないだろうか…。
外から作れることと、作りきれないこととがあるだろう。
ユウガさんの最後の公演に、
そんな歯がゆさが残るのもなぁ…
友情を表現するはずが、むしろ孤独感が後に残ってしまうのでは、台無しだよなぁ。
そんな、全く余計なお世話なことを、私は考えていたんだけど、
観てみたら、「友情」の距離設定が、違っていた。
多分、蘭ちゃんは、その感覚を掴むのも、相当苦労されただろうし、
きっと、初日近辺は、観ている方も、何かがうやむやに進んでいって、
何を根拠に、そんなに仲良くなっちゃってるのさ?
って、思うようなお芝居だったんじゃないか…と、想像する。
観てないから、あくまでも、想像(笑)。
昔、ファジーという言葉が流行ったことがあるけれど、
男爵は、まさにファジーであることが求められていて…
或いは、その振れ幅を与えることで、先生は、男爵が場面のバランスを取っていくように、仕向けているのだ。
GWの時には、そこまでは思わなかったんだけど、
こないだの、THちゃんの言葉「蘭ちゃんが出てくると、ホッとする」の一言で、
ああ、そうかと気が付いた。
ユウガさんが、張りつめて行きすぎないように…
ユウガさんの、いい部分が、保たれるように…
蘭ちゃんは、そう考えて芝居はしていないだろうけれど、
いい間を探って行くと、そうなっているんだろうな。
先生が狙ったのは、そういうことだったのか。
はじめから計画していたのかは、わからない。
様子を見ていくにつれ、そっちに傾いていったのかもしれない。
演出家の嗜好とか、理想のバランスなんていうのも、当然存在して、
お友だちには、「ホテルステラマリス」と同じパターンだ、とも言われたけど…
私は、新人公演映像を、中途半端に観ただけだから、よくわかんない。
大事なのは、ストーリーの新鮮さばかりでもないから、
ま、ええん、ちゃう?
つづく。
しかも、場面そのものの話ではないのが、却って、執着を表してる(笑)。
男爵の話。
お茶会で、蘭ちゃんは、舞台に上がる頃に、男爵を掴めてきた…
というようなことを言っておられたと思うんだけど、
なるほど、確かに、GWに観たときよりも、更に大きく見えた。
それが、千秋楽にむかって、続いていったご様子。
何が違うっていう違いは、はっきりみつけられないんだけど、
間のテンポのいい位置とか、力の入る位置とかを、より精密に掴めている、とか、そういうことかもしれない。
掴み所のない感じが、実は男爵のキャラクターの濃いところで、
すり抜け方、留まり方の濃淡の付け方と柔軟性、次第。
よく未沙のえるさんがされるような感じの役だよね、と言われた。
未沙さんは、本当に曲線でお芝居をされて、その絶妙さがいつ観ても、実に面白い、巧みな役者さんですが、
考えたら、蘭ちゃんは、コパカバーナの時も、
設定は、少しいじってあったけれど、星組さんで未沙さんがされていた役を、宙であてられていた。
演出家に見えることっていうのが、あるのかなとも思った。
芝居のタイプは、決して同系列ではないんだけど、
何だろう、根幹にある基礎部分みたいなものだろうか。
演出家目線で、担わせたい役割がそこに見えるのかな。
私は、実は、
蘭ちゃんに、ユウガさんの役の恋を邪魔するような役をやって欲しいと思っていた。
対立の図式の方が、はまるんじゃないかと。
「雨に唄えば」の時には、
どうも、親友というのが、なかなか噛み合いきれず、、、
翻訳の台詞の言葉を生かすところから難しかったのかもしれないけれど、
結局、やっと二人が向き合ってる距離感が見えた感じがしたのは、
ほとんど千秋楽の頃だった。
この後の、楽園王子が、まさに対立のお芝居だったので、
大変にホッとしたし、その図式は、かなり面白かった。
ユウガさんが、怒り芝居になっても…それはまぁ、スチュワートが、アンソニーに対して怒るのもごもっともだし、
それにしても、ちょいとヒステリックで、アンソニーが大きく見えちゃうよなぁ…
という感じではあれど、辻褄はあっていた。
なので、
今回は、どうやら、ユウガさんのお友達役であるらしいと、おぼろげに見えてきたときに、
本気で、心配した。
何ていうか…そうね、友達というフレーズに、「マリポーサの花」の時の、ミズちゃんとゆみちゃんを想像したのです。
ああいう感じの、魂で結ばれあった、みたいな親友を表現することを、要求されたら?
役者さんなんだから、
そういう脚本ならば、それなりにこなさなければならないし、
出来なくはないでしょう…それなりには。
だけど、組んだ肩の間に、目に見えない隙間を感じたりするんじゃないだろうか…。
外から作れることと、作りきれないこととがあるだろう。
ユウガさんの最後の公演に、
そんな歯がゆさが残るのもなぁ…
友情を表現するはずが、むしろ孤独感が後に残ってしまうのでは、台無しだよなぁ。
そんな、全く余計なお世話なことを、私は考えていたんだけど、
観てみたら、「友情」の距離設定が、違っていた。
多分、蘭ちゃんは、その感覚を掴むのも、相当苦労されただろうし、
きっと、初日近辺は、観ている方も、何かがうやむやに進んでいって、
何を根拠に、そんなに仲良くなっちゃってるのさ?
って、思うようなお芝居だったんじゃないか…と、想像する。
観てないから、あくまでも、想像(笑)。
昔、ファジーという言葉が流行ったことがあるけれど、
男爵は、まさにファジーであることが求められていて…
或いは、その振れ幅を与えることで、先生は、男爵が場面のバランスを取っていくように、仕向けているのだ。
GWの時には、そこまでは思わなかったんだけど、
こないだの、THちゃんの言葉「蘭ちゃんが出てくると、ホッとする」の一言で、
ああ、そうかと気が付いた。
ユウガさんが、張りつめて行きすぎないように…
ユウガさんの、いい部分が、保たれるように…
蘭ちゃんは、そう考えて芝居はしていないだろうけれど、
いい間を探って行くと、そうなっているんだろうな。
先生が狙ったのは、そういうことだったのか。
はじめから計画していたのかは、わからない。
様子を見ていくにつれ、そっちに傾いていったのかもしれない。
演出家の嗜好とか、理想のバランスなんていうのも、当然存在して、
お友だちには、「ホテルステラマリス」と同じパターンだ、とも言われたけど…
私は、新人公演映像を、中途半端に観ただけだから、よくわかんない。
大事なのは、ストーリーの新鮮さばかりでもないから、
ま、ええん、ちゃう?
つづく。