はなうたまじりにひとりごと

私視線で、観て聴いて♪素直に気ままに我儘に。主に宝塚の舞台のこと、その他諸々?についてお喋りを。

薔薇に降る雨☆3

2009-05-09 20:18:50 | Weblog
ヘレン。あさひちゃん。
ジャスティンの婚約者です。

なんとなく、成り行きを判っていて観たのだけど、
思っていたよりも、普通の女の子でした。

もっと、いろんなことを察知して、ヤキモチを妬いたり、
変に、いい子だったりするのかな、と、想像していた。
観ている方が、もっとイヴェットに共感するような部分なんかが、あるんじゃないかと思っていた。

だけども、
ヘレンは、普通に悩んで、普通に彼に気を遣い、
普通に、お母さんを大事にし、大事にばかりしきれない想いも抱え…
噛み合いきれない歯車を、普通にみつめ続けて来たんだろうな、と思われる。
さらりと、リアルだ。

あさひちゃんのお芝居も、ちょっと違っている。
正塚先生らしく、低めの声を使わせているのだ。
あさひちゃんの、台詞が節になってしまう癖が、だいぶ緩和されているような気がする。
もう少し…もう一息なんだけどな。

ジャスティンは、イヴェットもヘレンも、間違いなく愛している。
二又掛けてるなんて意識は、全く無さそう…
そんなパターンとしては、「バレンシアの熱い花」を思い出すんだけど、
ジャスティンの気持ちに、後ろめたさも、己の気持ちに対する迷いや混乱もない感じが、全く違っている。
こちらの方が、却って清々しいくらいで…
価値の住み分けみたいなものが、面白い。

二人の女が存在することが、
彼女たちを傷つけることがない…
ちょっとムシのよい話だとも思うけど、
でも、観ていて、私はホッとする。

いちいち、ヘレンの台詞は鋭くて、
ヘレンは直接、イヴェットを見ているわけではないけれど、
イヴェットの登場で、別のスイッチが入って行くのを、みつめている。
そういう、空気の流れによって、動いていく、人の行動や思考の噛み合わせを、
気持ちのひだを捉えて描いていくやり方は、見事だと思う。

ヘレンは、悲劇のヒロインでもないし、
都合のよい女でもない。
結果論としては、ともかく…
さて、芝居の幕切れが、物語の総てでもないし…?

私は、あの後の、
ヘレンとお母さんの会話を観てみたかったりも、する。
ヘレンにせよ、イヴェットにせよ、
女性の観客の中に、誰もがある、母親との関係、というものを、
先生は上手に捉えて、描き出しているなぁ。
もしかすると、正塚先生は、ときどきこういう描き方をしてるのかもしれないけど、
人間やっぱり、恋愛だけに突っ走れるものでもないわけで…
その周りとの関わり方が、取って付けたふうにならないのが、描き方の美しさだと、思う。


フランシス。みっちゃん。
イヴェットの弟。

弟であろうとしすぎてるかなぁ…と、少し思う。
もう、その部分は出来てるから、幼く作るのをやめても大丈夫じゃないかと、少し気になる。

弟だからこそ、姉を護ろうとする部分があったり、
若いからこそ、時代の流れに敏感な部分もあり…
でも、やっぱり育ってきた素地というのは、もう少し覗くのではないかとも思ったり…

フランシスは、貴族の子息というよりも、
裕福な家の坊っちゃん…というふうに見えてしまっているように感じるのだ。

確かに、表面の思考は、家名のことよりも、今の自分たちの人生のことだろうけど、
あの両親に育てられ、刷り込まれてきた立ち居振舞い、無意識の思考は、必ずあるはずで、
その両面性を表現できるようになったら、
多分、フランシスはもっと面白くなる役だろうし…
結構、深い役だと思う。

今はまだ、
苦悩する弟くんで、終わってしまっているのが、非常に勿体無いし、
茶目っ気の方が、印象に残りすぎる。(注:シーンは短いのに)
最後には、伯爵家を継いでいく決意と共に、
もっと頼もしく、イヴェットが安心できる存在になって行けるはず…

案外、弟というのも、中身は大人ですよ?
ね?

…我が家が、姉である私が、しっかりしなさすぎるのかもしれないけど。


つづく。