ヘレン。あさひちゃん。
ジャスティンの婚約者です。
なんとなく、成り行きを判っていて観たのだけど、
思っていたよりも、普通の女の子でした。
もっと、いろんなことを察知して、ヤキモチを妬いたり、
変に、いい子だったりするのかな、と、想像していた。
観ている方が、もっとイヴェットに共感するような部分なんかが、あるんじゃないかと思っていた。
だけども、
ヘレンは、普通に悩んで、普通に彼に気を遣い、
普通に、お母さんを大事にし、大事にばかりしきれない想いも抱え…
噛み合いきれない歯車を、普通にみつめ続けて来たんだろうな、と思われる。
さらりと、リアルだ。
あさひちゃんのお芝居も、ちょっと違っている。
正塚先生らしく、低めの声を使わせているのだ。
あさひちゃんの、台詞が節になってしまう癖が、だいぶ緩和されているような気がする。
もう少し…もう一息なんだけどな。
ジャスティンは、イヴェットもヘレンも、間違いなく愛している。
二又掛けてるなんて意識は、全く無さそう…
そんなパターンとしては、「バレンシアの熱い花」を思い出すんだけど、
ジャスティンの気持ちに、後ろめたさも、己の気持ちに対する迷いや混乱もない感じが、全く違っている。
こちらの方が、却って清々しいくらいで…
価値の住み分けみたいなものが、面白い。
二人の女が存在することが、
彼女たちを傷つけることがない…
ちょっとムシのよい話だとも思うけど、
でも、観ていて、私はホッとする。
いちいち、ヘレンの台詞は鋭くて、
ヘレンは直接、イヴェットを見ているわけではないけれど、
イヴェットの登場で、別のスイッチが入って行くのを、みつめている。
そういう、空気の流れによって、動いていく、人の行動や思考の噛み合わせを、
気持ちのひだを捉えて描いていくやり方は、見事だと思う。
ヘレンは、悲劇のヒロインでもないし、
都合のよい女でもない。
結果論としては、ともかく…
さて、芝居の幕切れが、物語の総てでもないし…?
私は、あの後の、
ヘレンとお母さんの会話を観てみたかったりも、する。
ヘレンにせよ、イヴェットにせよ、
女性の観客の中に、誰もがある、母親との関係、というものを、
先生は上手に捉えて、描き出しているなぁ。
もしかすると、正塚先生は、ときどきこういう描き方をしてるのかもしれないけど、
人間やっぱり、恋愛だけに突っ走れるものでもないわけで…
その周りとの関わり方が、取って付けたふうにならないのが、描き方の美しさだと、思う。
フランシス。みっちゃん。
イヴェットの弟。
弟であろうとしすぎてるかなぁ…と、少し思う。
もう、その部分は出来てるから、幼く作るのをやめても大丈夫じゃないかと、少し気になる。
弟だからこそ、姉を護ろうとする部分があったり、
若いからこそ、時代の流れに敏感な部分もあり…
でも、やっぱり育ってきた素地というのは、もう少し覗くのではないかとも思ったり…
フランシスは、貴族の子息というよりも、
裕福な家の坊っちゃん…というふうに見えてしまっているように感じるのだ。
確かに、表面の思考は、家名のことよりも、今の自分たちの人生のことだろうけど、
あの両親に育てられ、刷り込まれてきた立ち居振舞い、無意識の思考は、必ずあるはずで、
その両面性を表現できるようになったら、
多分、フランシスはもっと面白くなる役だろうし…
結構、深い役だと思う。
今はまだ、
苦悩する弟くんで、終わってしまっているのが、非常に勿体無いし、
茶目っ気の方が、印象に残りすぎる。(注:シーンは短いのに)
最後には、伯爵家を継いでいく決意と共に、
もっと頼もしく、イヴェットが安心できる存在になって行けるはず…
案外、弟というのも、中身は大人ですよ?
ね?
…我が家が、姉である私が、しっかりしなさすぎるのかもしれないけど。
つづく。
ジャスティンの婚約者です。
なんとなく、成り行きを判っていて観たのだけど、
思っていたよりも、普通の女の子でした。
もっと、いろんなことを察知して、ヤキモチを妬いたり、
変に、いい子だったりするのかな、と、想像していた。
観ている方が、もっとイヴェットに共感するような部分なんかが、あるんじゃないかと思っていた。
だけども、
ヘレンは、普通に悩んで、普通に彼に気を遣い、
普通に、お母さんを大事にし、大事にばかりしきれない想いも抱え…
噛み合いきれない歯車を、普通にみつめ続けて来たんだろうな、と思われる。
さらりと、リアルだ。
あさひちゃんのお芝居も、ちょっと違っている。
正塚先生らしく、低めの声を使わせているのだ。
あさひちゃんの、台詞が節になってしまう癖が、だいぶ緩和されているような気がする。
もう少し…もう一息なんだけどな。
ジャスティンは、イヴェットもヘレンも、間違いなく愛している。
二又掛けてるなんて意識は、全く無さそう…
そんなパターンとしては、「バレンシアの熱い花」を思い出すんだけど、
ジャスティンの気持ちに、後ろめたさも、己の気持ちに対する迷いや混乱もない感じが、全く違っている。
こちらの方が、却って清々しいくらいで…
価値の住み分けみたいなものが、面白い。
二人の女が存在することが、
彼女たちを傷つけることがない…
ちょっとムシのよい話だとも思うけど、
でも、観ていて、私はホッとする。
いちいち、ヘレンの台詞は鋭くて、
ヘレンは直接、イヴェットを見ているわけではないけれど、
イヴェットの登場で、別のスイッチが入って行くのを、みつめている。
そういう、空気の流れによって、動いていく、人の行動や思考の噛み合わせを、
気持ちのひだを捉えて描いていくやり方は、見事だと思う。
ヘレンは、悲劇のヒロインでもないし、
都合のよい女でもない。
結果論としては、ともかく…
さて、芝居の幕切れが、物語の総てでもないし…?
私は、あの後の、
ヘレンとお母さんの会話を観てみたかったりも、する。
ヘレンにせよ、イヴェットにせよ、
女性の観客の中に、誰もがある、母親との関係、というものを、
先生は上手に捉えて、描き出しているなぁ。
もしかすると、正塚先生は、ときどきこういう描き方をしてるのかもしれないけど、
人間やっぱり、恋愛だけに突っ走れるものでもないわけで…
その周りとの関わり方が、取って付けたふうにならないのが、描き方の美しさだと、思う。
フランシス。みっちゃん。
イヴェットの弟。
弟であろうとしすぎてるかなぁ…と、少し思う。
もう、その部分は出来てるから、幼く作るのをやめても大丈夫じゃないかと、少し気になる。
弟だからこそ、姉を護ろうとする部分があったり、
若いからこそ、時代の流れに敏感な部分もあり…
でも、やっぱり育ってきた素地というのは、もう少し覗くのではないかとも思ったり…
フランシスは、貴族の子息というよりも、
裕福な家の坊っちゃん…というふうに見えてしまっているように感じるのだ。
確かに、表面の思考は、家名のことよりも、今の自分たちの人生のことだろうけど、
あの両親に育てられ、刷り込まれてきた立ち居振舞い、無意識の思考は、必ずあるはずで、
その両面性を表現できるようになったら、
多分、フランシスはもっと面白くなる役だろうし…
結構、深い役だと思う。
今はまだ、
苦悩する弟くんで、終わってしまっているのが、非常に勿体無いし、
茶目っ気の方が、印象に残りすぎる。(注:シーンは短いのに)
最後には、伯爵家を継いでいく決意と共に、
もっと頼もしく、イヴェットが安心できる存在になって行けるはず…
案外、弟というのも、中身は大人ですよ?
ね?
…我が家が、姉である私が、しっかりしなさすぎるのかもしれないけど。
つづく。