岐阜に向かっております。
昨日の時点で、
「明日の現場は…」
と口走り、
「明日は、岐阜では?」
「あれま!」
と意識が飛んでいたことは内緒。
七月は応援三昧ですから、もうね、把握していないけれども事務局の齋藤くんらのお陰様で上手にブッキングされております。
最近強く思うことがありますよ。
先ずは、応援してくれ!と言えない雰囲気が蔓延してるってこと。
そもそも、他人に頼る力って大切なことなんです。
他人に頼る勇気とも言える。
自分の力だけでなんとかする事がスゲーとされる雰囲気ってあるけど、それは絶対に違う。
誰しも。
歴史上の誰しもが誰かの協力があってこそ。
特に僕たちは「自助」みたいなものが重視されて育ったように思います。
「誰からの力も借りずに、己の努力のみで物事を達成」
↓
スゲー
みたいな。
違うと思うんだ。
前に「自棄」の反対は「互助」だと書いた事がある。
自分の反対は他人ではない。
それじゃいつまでたっても平等にはならない。
人は全て「お互いさま」なのだから、互助であるべき。
つまり、自棄の反対は自助ではない。
例えば、仮想の相手と戦うことを奮闘という。
全力で戦うことです。
一方で、努力とは全力で取り組むことだから自分との戦いになる。
どちらも「自らの力」のニュアンスだけど、その辺りを混乱しちゃいけない。
でもね、努力にしたって奮闘にしたって誰かの協力や応援があれば強くいられる。
僕らは、余計な情報や勘違いのおバカさんに振り回されて生きていかなくちゃいけない時代に生きている。
嫌われたっていいのだ。
それでも好きになってくれる人がいるのだから。
世界中に嫌われるような政治家でも、その人には奥さんいたりするし支持者がいたりする。
世界中に愛され、世界中を愛で塗り潰そうとしたミュージシャンを嫌いな人もいるし、殺されたりもしている。
太陽と地球の距離は1億5000万キロ弱。
そんなに離れてるのに暑いってなに???
どんと祭で、あの大きな炎に近づくと熱いけど、その比じゃない。
1億5000万キロってあんた。
しかも少し距離が変わっただけで寒い地方や熱〜い地方がある。
すごーい。
太陽から出た光は、およそ8分で地球に届く。
今太陽になにか起きたら、僕らは8分後にそれを知り、アイヤー!となる。
綱渡りじゃないか。
僕らは、ずっと綱渡りみたいな人生です。
互助の精神で乗り切るのがよろしかろうね。
そして「みんなで」努力を続けるべきだろうね。
誰かひとりの努力では、すぐ限界が来らぁよ。
もう一つ。
それは包容力のなさ。
「昨日、ごめんな。」
と過去の精算が出来ない世の中は窮屈だ。
もちろん人生だからゲームのように「残り何機」みたいにはいかないし、過去は変えられないけれど包容力があれば幾らかマシなのは誰しもが実は知ってること。
バカや卑怯者が強いのは昔から。
なんでもありは強いのだ。
ルールもモラルもないから。
最近はバカや卑怯者に「発信力」が付加されました。
手に負えんわけ。
大衆監視という意識はとてもいいと思う。
みんなが見ている、お天道様は見ておるよ?という意識のこと。
でも、その目を「都合悪く」気にし過ぎて本来気にすべきことを蔑ろにしちゃいけねぇわけ。
「テレパシー」な世の中は地獄だと思う。
頭の中や行動、居処が全て分かっちゃうってヤバい。
SNSは実際、その一歩目だ。
発した言葉はいつまでも残り、変えられない過去の証拠となる。
最悪だ。
絶対に過去は変えられないけれど、今や未来はまた違う自分であったりする。
そこを見ずに人は人を決めつける。
SNSは使いよう。
便利なものは全てそう。
刃物も、道具も、言葉も。
正しいとか正義とかは知らんけども、優しさを誰かに与えられる人を増やすべきだ。
僕らは、今こそそうあるべきだ。
人の記憶に残る唯一の方法。
それは、互助の精神と包容力な気がしますよ。
なぁシルマ。
あれ、寝てる。
昨日の時点で、
「明日の現場は…」
と口走り、
「明日は、岐阜では?」
「あれま!」
と意識が飛んでいたことは内緒。
七月は応援三昧ですから、もうね、把握していないけれども事務局の齋藤くんらのお陰様で上手にブッキングされております。
最近強く思うことがありますよ。
先ずは、応援してくれ!と言えない雰囲気が蔓延してるってこと。
そもそも、他人に頼る力って大切なことなんです。
他人に頼る勇気とも言える。
自分の力だけでなんとかする事がスゲーとされる雰囲気ってあるけど、それは絶対に違う。
誰しも。
歴史上の誰しもが誰かの協力があってこそ。
特に僕たちは「自助」みたいなものが重視されて育ったように思います。
「誰からの力も借りずに、己の努力のみで物事を達成」
↓
スゲー
みたいな。
違うと思うんだ。
前に「自棄」の反対は「互助」だと書いた事がある。
自分の反対は他人ではない。
それじゃいつまでたっても平等にはならない。
人は全て「お互いさま」なのだから、互助であるべき。
つまり、自棄の反対は自助ではない。
例えば、仮想の相手と戦うことを奮闘という。
全力で戦うことです。
一方で、努力とは全力で取り組むことだから自分との戦いになる。
どちらも「自らの力」のニュアンスだけど、その辺りを混乱しちゃいけない。
でもね、努力にしたって奮闘にしたって誰かの協力や応援があれば強くいられる。
僕らは、余計な情報や勘違いのおバカさんに振り回されて生きていかなくちゃいけない時代に生きている。
嫌われたっていいのだ。
それでも好きになってくれる人がいるのだから。
世界中に嫌われるような政治家でも、その人には奥さんいたりするし支持者がいたりする。
世界中に愛され、世界中を愛で塗り潰そうとしたミュージシャンを嫌いな人もいるし、殺されたりもしている。
太陽と地球の距離は1億5000万キロ弱。
そんなに離れてるのに暑いってなに???
どんと祭で、あの大きな炎に近づくと熱いけど、その比じゃない。
1億5000万キロってあんた。
しかも少し距離が変わっただけで寒い地方や熱〜い地方がある。
すごーい。
太陽から出た光は、およそ8分で地球に届く。
今太陽になにか起きたら、僕らは8分後にそれを知り、アイヤー!となる。
綱渡りじゃないか。
僕らは、ずっと綱渡りみたいな人生です。
互助の精神で乗り切るのがよろしかろうね。
そして「みんなで」努力を続けるべきだろうね。
誰かひとりの努力では、すぐ限界が来らぁよ。
もう一つ。
それは包容力のなさ。
「昨日、ごめんな。」
と過去の精算が出来ない世の中は窮屈だ。
もちろん人生だからゲームのように「残り何機」みたいにはいかないし、過去は変えられないけれど包容力があれば幾らかマシなのは誰しもが実は知ってること。
バカや卑怯者が強いのは昔から。
なんでもありは強いのだ。
ルールもモラルもないから。
最近はバカや卑怯者に「発信力」が付加されました。
手に負えんわけ。
大衆監視という意識はとてもいいと思う。
みんなが見ている、お天道様は見ておるよ?という意識のこと。
でも、その目を「都合悪く」気にし過ぎて本来気にすべきことを蔑ろにしちゃいけねぇわけ。
「テレパシー」な世の中は地獄だと思う。
頭の中や行動、居処が全て分かっちゃうってヤバい。
SNSは実際、その一歩目だ。
発した言葉はいつまでも残り、変えられない過去の証拠となる。
最悪だ。
絶対に過去は変えられないけれど、今や未来はまた違う自分であったりする。
そこを見ずに人は人を決めつける。
SNSは使いよう。
便利なものは全てそう。
刃物も、道具も、言葉も。
正しいとか正義とかは知らんけども、優しさを誰かに与えられる人を増やすべきだ。
僕らは、今こそそうあるべきだ。
人の記憶に残る唯一の方法。
それは、互助の精神と包容力な気がしますよ。
なぁシルマ。
あれ、寝てる。
