先日。
エイジさんが亡くなって2年経った。
2年も経つ。その時の記事です。
何かにつけて、思い出す。
信頼を寄せていた。
そして、信頼してくれていた。
僕も、やはりいつか死ぬ。
誰もかれもが、やはりいつか死ぬ。
僕が僕の命を使い、何をしたいか。
エイジさん。
僕はね、ここ数年いろんなことがあったんだよ。
応援団をしばらく続けてみようと思っています。
学生だった頃は、主にスポーツや進学に向けた勉学などの応援をしていました。
そんな僕らも今は社会人です。
39歳です。
あらま。
僕らが会った頃は、僕は28歳ぐらいでした。
その時のエイジさんの歳も上回っちゃった!
僕たちはね、様々な経験を重ね家族を持ち、学生の頃とは違った気持ちで世界中に「エール」を送っています。
「がんばれ」
という言葉は日本語にしかないようです。
そして応援団という文化は、日本独特のものかもしれません。
ですが「応援」という「マインド」は世界共通だと私達は考えています。
応援するというマインド。
人は誰しも、誰かの応援があってこそ実力以上のチカラが出るものです。
「もうひと頑張り!」
それは、誰かの応援があってこそだと思います。
誰も応援してくれていなければ、きっと人は諦めてしまう。
けなしたり、足を引っ張り合うのではなく互いに互いを讃え合い、エールを送ることで世界は少しずつでも暖かで豊かな心に満たされていくのではないかと信じて活動を続けてきました。
自分が勝ったその時に、負けた相手も必ずそこにいる。
誰かが喜びの絶頂の時、その同じ時に誰かは悔しさや悲しみのドン底にいる。
だからこそ応援団は試合の途中と後に交換エールをします。
「フェアプレーでよろしくお願いします。」
「素晴らしい試合をありがとうございました。」
人を支えられるのは人だけです。
勝っても負けてもです。
人をやる気にさせられるのも人ならば、やる気を失わせてしまうのも、それもまた人だけです。
頑張ることがいつからか「かっこ悪い」時代になってしまいました。
本当は頑張ることはかっこいいことなのに、熱苦しいと笑われる時代のような気がします。
僕らは、全国の学校を巡っていますが子ども達があまり夢を語らなくなってきたように感じます。
「どうせ無理だ」と笑われることを恐れているのだと思います。
「何言ってんのアイツ」とバカにされることを恐れているのだと思います。
「全ての原動力」である夢や目標が笑われてしまうのであれば、子ども達はなにを支えに頑張ればいいのでしょうか?
クールなのと冷めているのは違います。
無気力で無関心なのと、冷静沈着は違います。
やりもしないで限界を自分で決めるのではなく、やりながら限界を突破すればいい。
「頑張るということはかっこいい。」
かっこいいという言葉を、元あった場所に戻してあげなければ子ども達がかわいそうです。
言葉の雨は心を冷やす。
今の子ども達のためにも、未来の子ども達のためにも。
僕らはそんな周りのノイズが聞こえなくなるぐらいの大声でエールをし、彼らをなにかから守る傘になりたい。
そんな風に思っています。
明日は東北みやぎ復興マラソンの応援です。
長丁場です。
エイジさんの好きだった街を、皆が走り僕らで応援します。
みやぎ復興応援団の子達も来ます。
そんな日です。
そんな日なのに、僕はギターをいじり倒しています。