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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

同じぐらい

2016-09-12 21:14:48 | 日記
なによりも。
ドナーの方へのご冥福と敬意を、それとご家族のお気持ちに心を寄せたい。

僕らに同様のことが起きた時。
僕らはどのようにすべきなのか。

手放しで「良かった良かった」と喜ぶ前に。
僕らは一度、真剣に話し合いをしておくべきです。

批判や非難なんて気にしなくてもいいけれど、どうだっていいってことではない。

ゆうとの時もそうでした。
みんな、そうでした。
そんな大雨の降る中、何かに耐えて、みんな今日の晴れの日を笑いあって生きています。

脳死とは人の死なのか。

普段はそんなことを考える時間を僕らは取らない。
もし、自分や家族にそのような判定が下された時にはどうしようか。
どちらが正解という議題ではなく、その考え方や移植手術に対する理解を「なんでもない」時に考えておかねばならない。
防災だって同じことでした。

僕が思う、それは絶対に違いますということだけ述べておきたいです。
「人の命を奪ってまで生きたいのか」
そうではないことを知っていて、その上で発言されてるのだと信じています。
もし、悪ふざけでシニカルな目線で世にモノを言うのがカッコいいとでも思ってんなら、別なことでやんなさいよ。
面と向かって言ってこい。
俺が相手だボケ。
それでも、僕は依頼があればあなたの応援をするだろう。

「他国に乗り込んで、命を何億って金で買うのか」
国内で手術が出来れば、渡航手術に比べたら驚くほど費用はかからずに手術が出来るし、リスクも極端に少なくなる。
問題は、普段から「臓器提供」に対して話し合いがなされていないために「待ち望む」人たちとマッチ出来ていないことだ。
それは骨髄バンクも同じこと。

もちろん、
「俺は絶対に提供はしない。」
という考えも大切なことです。

話し合いがなされ、行動をし、時間をつかって登録をすればこそ「もしかして誰かの役に立てるかもしれない土俵」に立つ。

「誰が頑張った、あいつは頑張ってない。」
そんなのも、なくていいです。
書かなくていいです。
ちっぽけな奴に思われますから。
こうあるべきだと他人に求める前に、自分が変わった方が幾分早いように思います。

そんなところよの。

乾杯の前に。
献杯が先だと、そのように思ったのです。

喜ぶのと同じぐらい。
喜ぶのと同じぐらい、悲しむことが出来ればいいんだけど。
同じぐらいに。

その上で、口を開こうかと思うのです。

ファンキーのマエカケでやんす。


マエカケ。
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たまちゃん

2016-09-12 06:36:52 | 日記
たまちゃん、手術成功したって。

そのように連絡があって、スポーンと飛び起きた。
「嬉しくて泣ける。」
ヨコシンから、そのようなメッセージが届いていた。

9月11日とアメリカ。
そんな組合せの日。

9月11日とアメリカ。
この日。
僕らにとって印象がガラリと変わった。

イヌネコなかまフェスに行ってきた。
朗読を聴いて泣いてしまった。

命を考える日。

9月11日は、そんな日でした。
仙台はすっかり秋のようです。

ひとつひとつ。
そんな気分で行きたい。

この写真が好きだ。
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