エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

ホームページ上の主張と批判

2005-04-29 | 思考
「マジック」と「タネ」をキーワードにググっておりましたら(何をしようとしていたか分かりますか?)、ジャパン・マジカル・アーツ・アソシエーションのページに「内容が偏ったホームページがある」としてマジェイアの魔法都市案内を名指しされておられるのを発見しました。


「マジェイアの~」は、以前宴会芸で急遽マジックをやる羽目になった際、慌ててサイトあさりをしていて偶然目にし、その造詣の深さに感心させられて記憶に残っていたサイトです。
タネあかしなどは載っていませんが、マジックの基本的な知識から実際の商品の紹介、コラムまで非常に充実しています。
Mr.マリック氏が好きな割にマジックの知識など皆無の自分は、ここで初めてマジックの何たるかを知ったと言っても過言ではありません。


で、今回見つけた名指し部分は、恐らく「マジェイア」のこのページに対するものですね。

正直それぞれの主張については、その世界に通じていないことにはどちらがどうとも判断できません。
自分など、どちらを読んでも「なるほどねぇ」の日和見主義以外に取れる態度がありません。

この手の、メディア上の批判の応酬(でもないか)は新聞・雑誌など他の媒体ではしばしば目にすることができます。
しかしサイトでそういうのを見たのはこれが初めてだったので、そこに妙な意外さ、新鮮さが感じられたのです。


単なる私的なイメージですけれども、紙の媒体は静的な印象があります。
そこに載っている話題がたとえプライベートな内容でも、何か一枚隔てた感じがするのです。
その上での批判の応酬というのは、紳士的な口論というか、またはお互い言いっ放しというか、両論併記に終わってしまうようなところがあります。

しかしwebサイトにはもっとアクティブなイメージを抱いていて、異論があればお互いに直接やり合うような、漠然とそんなメディアだと思っていたのです。

それが上記のそれぞれのページには互いの主張が変わらず何年もそのまま載っているのかと思うと、どこか微笑ましさすら覚えてしまいます。


似たようなことは「電車男」書籍化の時にも感じたのですが、web上で読むと匿名ながらいろんな人の文章が妙に生々しく、臨場感あふれて読めたのに対して、書籍になった途端に一歩引いたような醒めた調子に変わってしまったようでした。




今回の拾い物…遠藤大河のマニアックどんと来い!
この技は確かにマニアックです。
これは凄いの一言。
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1980年の風景(その15)

2005-04-25 | 大田区

公園の紹介ついでにもうひとつ。
中央5丁目公園です。


この写真では「今とどこが違うんだ?」と言われそうですが、今と違うところは実は写真に写っていないところにあります。


実を言うとこの当時は、写真の左側にはまだ何も存在していなかったのです。
今は隣にアスレチック広場が作られていて、トータルで冒険心を満たすことのできる楽しい公園になっていますが、かつては中央5丁目公園といえばこの写真がその全てでした。

しかしこれだけでつまらなかったかというと全くそんなことはなく、児童公園というとほとんどが平地に作られていた中で、このように高低差のある地形を生かして上下方向に大移動できた所は当時知る限り他になく、特に上方に見える滑り台は高い場所にある上に相当の急斜面で、段ボールを使って滑る迫力は特筆ものでした。

また晴れた日など頂上や円筒形のジャングルジムに登ってみると、眼下になだらかに広がる斜面に遠くまで立ち並んだ家々が白く輝き、住宅地ならではのやさしい雰囲気に包まれてしばし幸せな気分にひたる事もできました。


大森の生き生きと活気にあふれた空気とは明らかに違う、「日曜の朝」のようなそこはかとなく満ち足りた空気。
少し場所を変えただけでこんなにも違う風景を楽しめるのは、大田区のひとつの美点であろうと思います。
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幸せを…貯金…

2005-04-23 | TV・音楽
セキスイハイムCMで阿部寛氏が金融機関の窓口に来て言うセリフ。
うわこりゃ恐い、と確かな嫌悪感を覚えつつも「こんな気持ち悪いCMはすぐ消えるだろう」と思っていたのですがあに図らんや、最近また目にして気分を害しております。

いくらイイ男だろうといきなり

「幸せを…貯金…」

と訳のわからん事を目一杯タメて言われた日には、カラーボールのひとつも投げたくなるんじゃないでしょうか。
というかただでさえ最近、常識の枠外の動機で起こる事件があまりにも多いだけに、ああいう不気味な客は妙なリアリティがあって物凄く不快に感じるのですが、他の方々はそういう印象は受けないのでしょうか。

幸せを貯金する、というフレーズ自体は別にいいと思いますが、どうしてああいうシチュエーションを選んだのか…
「貯金」=金融機関というごく安直な連想かも知れませんけど、それにしてもねえ。
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ようやく、ADSL

2005-04-22 | PC・小物
これまでアナログ56kの遅さに喘ぎながら暮らしてまいりましたが、このほどやっと我が家にブロードバンド環境が整いました。


地域的に光はおろか、ADSLの40Mや47Mなど到底サポートされそうにないへんぴな場所、しかも損失がやたら大きく(56dB程度)ADSLにしたとてアナログモデムよりはなんぼかマシ?程度だろう、とのごくごく淡い期待感で契約してみたのです。

(どちらかといえばスピードというよりも、完全定額制に魅かれての契約でした)


そして待つこと約10日。
本日とうとう開通したわけですが、設定を済ましていざ接続してみたら…いやはや速いのなんの。
このブログの表示も、編集も、ほとんど瞬時に画面全体が描画される感じ。
ローカルのハードディスクに保存したページを開くのに匹敵する?ほどの充実した体感速度。


あの大森ダイシン百貨店のチラシさえ、今週の特大号がものの3秒で全て表示されてしまいました。
(もっと速く見られる方々よ、決して笑うことなかれ…)

速度測定サイトによると3Mbps弱といったところですが、とりあえずそれだけ出てくれていれば自分としては十分、御の字であります。
これほど違うんだったら、も少し早く契約しても良かったか。
ダテに技術は進歩してるんじゃないんだなぁ、とあまりにも遅れた感動にひたっている今日の自分でありました。
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1980年の風景(その14)

2005-04-20 | 大田区

ところ転じて、南馬込3丁目・平張児童公園。
場所はこのへんになります。

実は今までこの公園の名前を知らず、東京23区「公園」全データ・最新版というサイトでようやく判明しました。

当時は、写真中央あたりに見えるブルーの椅子と自動車のハンドルのセットになった遊具が楽しみでした。
写真を撮った頃にはすでにだいぶ破壊されていましたが、ハンドルにはコラムシフトが装備されていてちょっとした運転手気分が味わえたものです。



面積は狭いながらも急坂のすべり台などなかなかスリリングで、鬼ごっこの舞台としても面白かったですね。


ところで。
80年代に入ってほどなく、すぐ近所に大倉山公園ができました。
それまではただの野っ原だったのが結構立派な公園になりまして、自分がもし80年代に小学生時代を過ごしていたらそちらが(この方面での)メインの公園になっていたことでしょう。
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サラリーマンと消費者金融

2005-04-19 | 思考
ひと頃ほどの勢いはなくなったとはいえ、相変わらず宣伝攻勢をかけているのが消費者金融。
自分は車のローンを組むことすらためらわれてしまうケチなので、お金が足りない「あっとその時」にすぐ借りてしまう神経が理解できません。


そもそもサラリーマンに限らず、月々ある程度決まった収入で生活している個人が消費者金融やらクレジットのリボ払いやらを利用する必然性があるのでしょうか。

企業がカネを借りるのは、商売するにあたってまずは設備を整えなければいけない「設備投資」とか、掛売で代金回収が先になる一方で仕入れ物の支払いや従業員への給料等に充てるための「運転資金」がどうしても必要だからです。

しかし個人の立場なら、ふつうカネを借りる必要があるのは、例えば就職したてでとりあえずスーツが要るとか、通勤するのに車を買わなきゃ他にどうにも足がないとか、そういった設備投資的な場面に限られるのではないでしょうか。

それ以外で普通に(多寡はともかく)収入を得てその範囲で暮らす限り、一体いつ消費者金融に走る必要があるでしょう。
カネが足りないという時は、大抵何か消費行動をとろうとしている時です。
その時、自分の収入で足りない支出を、人に借りてまであえてしてみる意義は果たしてあるのか。
いま借りて不足を補っても、あとで利息まで付けて返したら余計にカネが足りなくなる、というところに思いは至らないのでしょうか。

消費者金融の利息は驚くほどの高利です。
合法とはいえ2割以上も余分に返さねばならないのですよ。
ちょっと3万円借りたら、返すのは3万6千円。(計算、これでいいのだろうか?※)
いま、高々3万円足りなかったという人が、さらに6千円もの余分を払う力を一体いつ持てるのでしょうか。

こんなことを繰り返せば、行く先は火を見るより明らかなのに…


想定内の収入を得て、その範囲内で支出する。
底が着く前に(あるいはギリギリ底がつく頃か…)次の収入がある。
そんな繰り返しを守ってさえいれば、想定外の苦境に陥る筈がない。


もっともそれができない性格ゆえの自己破産なんでしょうけどね。


※訂正です(2005-04-22)

利息計算、何となく怪しい気がして再確認したらこの20%とかは「年利」でしたね。
ということは例えば1ヶ月で返すなら、上の例でいえば

30,000×20%×(1/12)=500

で、返済額は30,500円となります。
500円ぐらいなら確かに、ひょいと借りちゃうかも知れませんね。
しかし、今そのお金が手当できないほどのギリギリの暮らしの人が、後で余分な利息を払えるゆとりが持てるとはどうしても思えないのですよね。

余計な世話だと言われればそれまでですが。
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PUFFYvsベンチャーズ

2005-04-16 | TV・音楽
この頃忙しさにかまけて「草稿中」のまま放置してしまい、結果あまりに日が経ちすぎて破棄せざるを得なくなる記事がちらほら発生。


「パフィー」の件もそれで、本当なら何を今更の話題ではあります…
でも「大田区」ネタも20年以上も前の話ばっかりだし、ま、あくまで個人の備忘録として。



21世紀の今となっては「あの人は今?」的な扱いの方がむしろ相応しい感すらある日本での「パフィー」ですが、米国では折からの日本ブームにうまく乗れた形でわりといい商売ができているらしい。

という話を知ったのが少し前の(今年の)「日経ビジネス」。
へぇ~と思ってネットで調べたら、上のリンクもそうですがもう昨年からの話題だったわけですね。
「全米デビュー」の看板欲しさに大都市でパッと大ライブを打ち、ファーストアルバムをばらまいて終わりという日本人"アーティスト"の少なくない中、地道な営業活動に徹した甲斐あって彼の地の業界人の目に留まり、新たな展開の契機をつかんだようです。


大変結構な話で、そういう商売の仕方なら何も異議はありません。
ただ彼女らを主人公にしたアニメで「日本のビッグアーティスト」としての役回りを演じている、と聞くと、本国での扱いとそれに反した外国での人気ぶり、というただ一点のみの連想ですがどうも「ベンチャーズ」が浮かんでしまうのですね。


まあ人気の検証はさておいて、ベンチャーズもかつて、日本において荒唐無稽な映画に出たことがありました。
ザ・ベンチャーズ 1966 スペシャル」がそれです。
(注:これ以降の話はパフィーのアニメと何の関係性もありません…)


これは当時の日本でのツアーの様子を中心に、各地での珍道中?をからめて日本の観光案内的な役割も持たせた映画です。

ところがこの吹き替えがエラいもので、「吹き替え」というよりももはやMr.BOO!シリーズでの広川太一郎氏の如く(というと大げさですが)、ベンチャーズの面々に好き勝手なことを言わせています。

中でも秀逸なのは、たまたま乗ってしまったカミカゼ・タクシーにすっかり懲りたベンチャーズの面々が、別の場所で偶然また同じタクシーに乗り込んでしまい「シェー!」と驚く場面。

今だったら、外国人タレントが「シェー」なんて言ったら当時とは全然違う角度で面白い気もしますが…
しかし当時の日本映画って結構な乱造ぶりというか、「その場しのぎでもただ面白ければいい」という安易な感覚がビンビン伝わってきます。


40年後、今のテレビ放送を見返してみるとまた似たような気分になれるかも知れません。
(何だか妙に夢遊病のような作文になってしまった…)
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名もなき毒

2005-04-13 | その他
東京新聞で連載されている小説「名もなき毒」(宮部みゆき氏著)。

ふだん新聞小説を読むことがないのですが、たまたまタイトルを「名もなき妻」と見間違え、どんな話だ?と読み始めた時の話が「トラブルメーカーのアルバイトに職場全員が振り回されている場面」だったため、つい面白く古新聞までひっくり返して読み込んでしまいました。

(いやー自分のとこにも迷惑な社員がいたもんで…と言ってもさすがにこれほど凄まじい人ではありませんでしたが)


古新聞の方は、残念ながら途中までしか遡れませんでしたので

・主人公が「逆玉」であること
・妻の父親が経営する大企業に転職
・その職場での出来事を中心に家庭環境も加えて描かれている

といった理解しかできず。
試しにネット検索してみるとすでに多くの方が触れておられまして、この宮部氏という方は結構有名な作家のようです。
しかもジャンル的にはミステリーに属するようです。
属したからどうだ、というわけではないのですが、今読んでいる限りではただの(失礼)私小説風と思えたので…


ところで新聞の連載小説といえば思い出すのが、ずうっと前の日本経済新聞「失楽園」(渡辺淳一氏著)。

その時も何とはなしに読み始めたものの、そちらは日経の紙面に全然そぐわないエロ小説、というインパクトがありました。
ただその描写があまりに優等生的でちっともいやらしくなく、そのへんがいかにも日経的、とも思われたのですが…
どちらかというと「少しも官能的じゃない」というネタ的な意味でつい読み続けてしまったので、当時あれほどウケて映画化までされたのにはかなり意外でした。


…それはともかく「名もなき毒」は、久し振りに(単行本で出たら)買ってみたいと思わせる小説でありました。
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迷惑メール対策:その後

2005-04-10 | PC・小物
以前に「Spam Mail Killer」により職場への迷惑メールを減らす方策について書きましたが、設定の追加で劇的な効果がみられたので(蛇足ながら)ご報告します。


このソフトの「削除設定」にある「テンプレートの使用」をONにして、「...」(テンプレートの選択)をクリックすると一覧が表示されます。

その中で900番台、例えば「中国(.cn)経由のメールを削除」といった類のリストに一通りチェックを入れておいたら、下らないメールがことごとく自動削除されるようになりました。

設定後2ヶ月ほど経ちますが、有効な禁止ワードをあれこれ考えていたのが嘘のよう。
ものの見事に、業務に必要なメール以外は(タイトルすら)一切見ずに済むようになりましたよ。

もっとも時には、アマゾンからの受注第一報メールが削除されてしまっていたりしますので、設定後はそれなりに追跡調査(と言っても削除ログを見るだけです)が必要ですが…

それでもこの効果は、多少の誤削除はやむを得ない、と思えるほど素晴らしいものです。
メールのやり取りが国内だけの事業所は、このソフトで100%の安らぎを得られること請け合い。
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1980年の風景(その13)

2005-04-06 | 大田区

前回の場所からそのまま蒲田方面に歩いていくと、こんな通りに出てきます。
地図上ではここになります。

正面右手に見えるのが当時国鉄だった東海道線の踏切。

ここの踏切が、少なくとも1977年頃はおじさんのオペレータが常駐して上げ下げしていた「手動式」の遮断機だったのです。
当時でも他の場所は大方自動式だったと思いますが、ここは普通の片腕式の遮断機でなく、遮断用の板がワイヤーにぶら下げられ、そのワイヤーが道路両側の滑車によって路面と平行のまま上下する動きが何とも面白く、遊びのついでによく見入ったものでした。

残念ながら、この写真を撮った時の遮断機がまだ手動式だったかどうかは忘れてしまいました。
肝心の部分があまり鮮明に写っておらず、元の写真でも判断できないので…
撮影範囲を必要以上に広げているのは、当時の撮影者がその場所の雰囲気を少しでも多く捉えようと苦心した結果です…


先日の東武鉄道の事故で、手動の遮断機なんてものが今だ現役であったことに驚かされたものですが、少なくともこの当時の踏切は「開かずの踏切を少しでも開けるための手動式」ではなかったでしょうね。
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1980年の風景(その12)

2005-04-03 | 大田区

※この記事は「その11」と「その13」の間に、後から挿入する形になったものです。



前回のガード下を撮った所が、今回の写真の手前に写っている橋です。
この道をまっすぐ歩くと、次回の写真の場所につながります。


この写真、あらかじめ用意してあったものの、見ているとどうも載せる価値もないような気がして。
しかしガード下(その11)と踏切(その13)を載せたらやはり、その間の道も自分にとっては懐かしいので…と思い直し載せることにしました。


環七付近に住んでいた自分が何でこんな所を懐かしむのか?といいますと。
わけあってごくわずかな期間でしたが、この近所の親戚の家に居候していたことがあるのです。
(転居に際して元の家をリフォームするのに必要な期間と、新居の完成期にズレが生じたためでした…)

幸いこのあたりも入二小の学区にあたっており、無駄に転校しなくて済んだというウラ話?もあります。

それはともかく、そのわずかな(3ヶ月ぐらい)期間が幸いにもとても楽しく過ごせ、どちらかというとその頃の思い出が強く作用してその後の懐古趣味に強く影響したように思えます。

また、環七の排ガス臭さもさることながら、このあたりの工場臭?というのか、金属切削油のような臭いやハンダのような臭いなど(素人なので何の臭いかよく判っていませんが…)いつも活気にあふれた空気に感じられ、その上騒音に関しても環七に劣らずうるさい環境で(電車もよく通るので)そういったこともまた、元気の元になっていた気がします。

静かな環境に耐えられない体質はどうもこの時代に形成されたようで、おかげで今も、一人でいる時はテレビか音楽か、常に何かが音を立てていないと寂しく感じてしまうのです。


(2005-06-19追記)
上の視界からちょっと左を向くとこうなります。
スキャナ取込の不具合で変な色具合になってしまい申し訳ありません。
手前のトラックと左の男性に、この付近の雰囲気を感じて頂ければ幸いです。
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計るだけダイエット(その14)

2005-04-02 | 減量
検診結果が出ました。
というかすでに出てはいたのですが、記事にするのが遅くなってしまいました(汗


昨年3月と本年3月の比較…

体重 80.0→76.0kg
体脂肪率 27.4→24.3%
BMI 23.9→22.7
肥満度 7→3

他にもいろんな検査結果がありますが、数値上は全体的に「ささやかな好転」という感じでした。

しかし、ダイエットを始める契機となった昨夏のピーク体重(85kg)から比べればなかなか満足できる結果だったかと。
「ビール止めただけ」でも割と成果が出るもんじゃん、と一人悦に入っております。


やっぱり「体重落とすだけじゃダメ、運動もしないと効果ナシ!」なんて脅しにはひるんじゃいけないんだなぁ。
それで気持ちが萎えて、何もせずに過ごしていたらそれが一番良くないわけですから。

確かに専門家の懸念することは分かります。
ただ体重を落とすだけではいろいろと弊害が多い、ということ。

しかしいくつもの課題(しかも嫌な事)を並行してこなすには、相当の信念と忍耐が必要です。
カロリー制限をするかたわら、歩く量を増やしなさい、いろんな体操も始めなさい、なんてのは、そもそもそういうことが好きな人でないと長く続けることは到底できないと思われます。


だから凡人としては、とりあえず体重落として、何か不具合が出たら次はそれに対処して。
と、いった感じの直列思考でやっていく方が、少なくともひとつずつは成果を出していけるではないですか、と思うのです。
(もちろんこれでビール再開などすれば何にもならないわけですが。
ひとつ遂行できたことはそのまま継続、というのが前提ですけれども)


そんな結論に至ったところで「計るだけダイエット」ひとまず最終回と致します。
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