エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

"firstletter"の由来

2018-09-25 | TV・音楽
ネタに困って昔話。


このブログでIDに使っている"firstletter"
そこにはどんな意味が込められていたのか?


…「あの」佐野量子さんのアイドルデビュー曲「ファースト・レター」から取りました。
…マイナーネタに走りすぎて、ほんとどうでもいい話なんですが。


佐野量子 ファースト・レター(1985)


(2019-04-29追記:最初載せたCD音源の動画が消されてしまったので、TV版に差し替えました。
佐野さんの曲は以下同様です。これに伴い本文も若干修正しました。
(アイドルの場合、ライブも良いですがレコード版の調整された音声の方が自分は好みです…異論は認めますw))


デビュー当時はまさにマイナーそのものでした…と思う。
自分は、当時所属なさっていた田中プロモーションのタレント募集の新聞広告でその存在に気づいたほどで。
ちょうどセカンドシングルが出ていた頃です。


佐野量子 蒼いピアニシモ (1985)

冒頭のモノローグはアルバムバージョンのものですね。

シングルといえば、当時はまだ45回転のドーナツ盤でしたし。
その後CDシングルが併売されるようになって…まさに昭和。
時代の証言的な。


その頃の自分はまだ高校生だもんで、勢いでファンクラブに入ったり。
その割に出不精でコンサートには行ったことがないというw


サードシングルが「雨のカテドラル」。
前曲に続いて妙に気の滅入る情況設定でしたが、暗い高校生にはどっぷり浸れて、これはこれで良かったりして。


佐野量子 - 雨のカテドラル (1985)

こちらもモノローグ入ってます。
(本当はシングルオリジナル版が好きですが、ジャケット写真がちゃんとしてるのでこちらをリンクしてます)



この次の曲「教科書のイニシャル」かその次「瞳にピアス」あたりの時期に、浅井企画に移籍になったような記憶が。(うろ覚え)
移籍した途端、会報が急に豪華になったのにちょっと驚きました。(少しして退会してしまいましたが)
ほどなくコサキンの番組によく出演されるようになり、天然キャラの方向付けがされて「ナマコ姫」(スキューバダイビング中にナマコを蝶々結びしようとしたら内蔵破裂したというエピソードから)など、バラドル路線でメジャーになられました。



9枚目のシングル「レタスの恋愛レポート」の頃、大森西友でのミニイベントを見に行ったことがあります。
1階の入口前広場で歌う姿を、雨模様の中で無心に見ていた覚えが。


佐野量子 - レタスの恋愛レポート (1987)



その後は1994年まで活躍され引退、武豊さんとご結婚されたわけですね。
(何か途中で記憶がごっちゃになって、将棋の羽生善治さんが配偶者だと勘違いしてた時期がありました)



ところで、彼女のシングル曲で自分が一番気に入っているのはこの曲です。


佐野量子 - 哀愁エクスプレス (1988)


♪重たい す・う・つ・け・え・すーは いらないー
ってところがもっとも哀愁が感じられて好きです。
(2019-04-29追記:これはレコード/CD音源での感想になります)


全く余談ですが。
続けてこのへん聴くと、とても当時の秋冬っぽい気分になります。


秋からも、そばにいて 南野陽子


芳本美代子/サカナ跳ねた-歌いました-

(2019-04-29追記:ご本人による歌が現在上がっていないため、hiromelody様のカラオケに差し替えました)

愛が止まらない ~Turn It Into Love~(M.V.) / Wink



この翌年(1989)になってすぐ、昭和天皇崩御→平成の世に変わったのでしたな。


…とりとめもなく思い出したことを書いてみましたが。
何というか時の経つのが早すぎて、なんというか。


上に書いた1985~1988年の話なんて全然遠い気がしないのに、実に30年以上も前の出来事なんですよね。
意識の上ではほんの10年前程度にしか感じられない、といっても過言ではない。

だいたい20歳前後以降から最近数年前までの記憶が一律でギュッと圧縮されてしまって、いまや過去を語ろうとすると
「2~3年前」
「10年くらい前」
「子供の頃」
ぐらい雑な区分になってしまってます。


人生なんて、ほんとあっという間に終焉を迎えてしまいそうですねぇ。





参考:
佐野量子(さのりょうこ)シングルディスコグラフィ
佐野量子 - Wikipedia
コメント
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