エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

道交法改正です

2006-05-28 | 
6月から路駐の取り締まりが厳しくなるそうで。

都内に出向くときは基本的にデパート等の駐車場に入って、それからあちこち動き回るのを常としています。
でもやっぱりそれだけでは足りなくて、そのあと車で移動中にもちょいと止めといて買い物…とかは良くあること。

取り締まり強化は繁華街を中心に、ということなのですが、果たしてどのあたりまでが「繁華街」になるのか。
たとえば大森だったら対象になるのは駅周辺とか商店街だけなのか。

……

実際の取り締まり状況にもよりますが、今後はなるべく電車で出掛けることになりそうです。
まあ近頃は買い物といっても必ずしも大物を抱えて帰る訳でもないし。
昔は重たいビデオデッキなんか持って帰ることもありましたが、その手の物は今はネット通販の方が明らかに安価だったりするし。

確かにもともと都内などは平日の日中、車で移動するのには適さない場所ではありました。
だから大森に住んでた頃、自家用車はあっても月に何回か、ドライブがてら買出しとかせいぜい運転の練習とか、そんな程度にしか使ってなかったですな。

それでなくとも税金等維持費が高いのに、車を離れた途端に取り締まりに会うようになったら。
どうしたって車を持つこと自体に疑念が生じてもおかしくありません。

公共交通機関の乏しい地方は別として、これでますます一般人の車離れが進むことでしょう。
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ドコモ「ムーバ」来年販売終了

2006-05-26 | PC・小物
端末販売はFOMAに一本化、だそうです。

前にP505iSを買っていまだmovaでありますが、とりあえず現状では不満なし。
壊れるまで使ってれば、その頃には田舎にもFOMAの電波が行き渡るでしょうから買い換えのタイミングはそれで良しと。
近頃ようやく、中年男が持っててもみっともなくないデザインが増えてきたようなので、今度買い換えるときはなんぼか選択肢が増えてるかと思うと楽しみです。


話それますが松下製品って何だか丈夫だと思いませんか?
さほど惚れ込んでいるわけでもなく、特に大事に扱うでもなく。
日々過ごすうちに気が付くと思いのほか長い年月が流れていて、ついつい情が移ってしまうという。

もともとアイワやソニーが好きなのに、それらはそそくさと先立ってしまう…


movaと共にアナログ地上波もあと5年で終わるわけですが。
地デジの方はもしかしたら導入しないでやり過ごすかな…と、そんなムードも漂う今日この頃。
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逃亡者

2006-05-05 | TV・音楽
TVドラマ「逃亡者」がNHK-BS2で先月から始まっております。


自分は高校3年の頃、テレビ東京の深夜帯で見たのが最初です。
アメリカ人と言えば陽気に大騒ぎの人種、というステレオタイプな思い込みがあった当時、あれほど無口な男を主人公に据えてその生活を丁寧に追っている点が妙に新鮮でした。
白黒で始まり、しばらくして途中からカラー版に変わったのも昔っぽくて良かった。


ちなみに映画版逃亡者とは全く別物で。
例えて言えば昔の007と今の007の違い、でしょうか。
共通するのは後のほうが「物静かな紳士のシブさ」をバッサリ切り捨ててアクション中心に変わっているところ。

ということは映画版を先に観た人にとっては、TV版は地味すぎて迫力に欠けるかも知れません。


さてこの「逃亡者」、テレビ東京の頃はあいにくまだビデオデッキを持っておりませんで…
その後デッキを入手したら、有難いことに1988年11月からTBSで放送されまして無事録画保存。

ところがこの「逃亡者」、全120話のはずがTBSでは89年9月、39話で何故か中断されてしまいました。
翌90年10月、再開したと思ったらいきなり91話から。
(最終回を120話として逆算してますので、実際は違うかも)
白黒放送がうっとうしくてカラー時代に一挙に飛ばしてしまったのでしょうか。
(もしくは時間帯を変えて放送されていたのを見落とした可能性もあります)


そんなわけで、その脱落した部分が心残りだったのですがようやく今回観ることができそうで嬉しがっているわけです。

しかし毎週1話ずつの放送ではおよそ2年半もかかってしまうわけで、そこまできっちりやってくれるかどうかが心配といえば心配…
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葬儀の行方

2006-05-03 | 思考
最近続けて葬式に参列する機会がありました。

田舎では自宅から葬式を出すのが当たり前で、葬祭センターなどを使うのは例外(むしろ非常識)という風潮でしたが、高齢化が進んで人手が頼めなくなったためかこのところ自宅から出す方が少数派となってきているようです。

まあ親戚にしても組合にしてもお別れ以外の部分において手間が省けるのは大いに有り難いことで、結構なことだと喜んでおりました。


ところが単に手が省けるだけなら良かったのですが、どうも演出が目に余るように思えたのです。

まずBGMがうるさい。
もう少し抑え目ならいい雰囲気なのに、音楽聴きに来てんじゃねえんだぞって感じ。
まあ故人の好きだった音楽を流すというのはなかなか良い趣向だと思うのですが。

でも自分の時なら何が流れるかな?
♪ヤッバイヤバイヤバイヤ~バイって、ムネオハウスなんか流してくれるかい子供達よ。

遺言に書いても却下されそうですな。


そして随分と司会者がでしゃばる。
粛々と式を進行してくれるだけでよいものを、まるで結婚式か何かのように不必要に感情を煽るようなナレーション。

人が死ぬだけで普通悲しいんだから、それ以上無理に泣かせようとしなくたっていいんじゃないの?

多分ちゃんとした台本があって、名前やプロフィールをはめ込むだけで済むようになっているのでしょう。
でもどう見ても業者の自己陶酔のような気が。
一回もトチらないのは大したものですが、それならいっそ機械に喋らせた方がコストが安くて済むんじゃないかと。

要所要所でリモコンを押すだけで次のセリフを出力するようにしてですね。
自動出棺ロボット、お返し引換ロボットとか一式も付属して「ひとり葬儀屋セット」みたいなのでやってくれた方がサイバー気分が楽しめる分だけまだ嬉しい。


葬式の多様化が進むのは良いことですが、それは本来故人や親族の意向に沿ったものというのが前提条件であるはずで、ただ「今までのスタイルじゃ古いですよ、これからはこうですよ」みたいな提案は単なるお節介で、業者主導という点で従来と何ら変わるところがありません。


ひょっとして田舎が遅れに遅れていた反動でかえって演出過剰になってしまったのか?とも思えたりして。
このごろ東京の葬式にはとんと出てないのでただの想像なんですが。
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