電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその2

2006-09-23 16:29:59 | Weblog
『倩女幽魂』は値段の問題でどこも手が出ない。それに会社の某部長が「これ、たいしたことない」なんて言うので、ますます何とかしたいと思い、国際部の担当部長の世良田さんに「どうなんでしょうか?」とお話をしてみると、私の熱心さが伝わったのか気にかけてくださり、なにかとこの作品の買い付け情報を教えていただくようになりました。
そんなある日、世良田さんからちょっと来て、と社長室に行くと、そこに香港からお客さんが来ておりました。紹介されたのがシネマシティの海外販売の担当部長をしていたウェリントン・ファンという方でした。世良田さんは「彼がすごくこの作品を気に入っているんです。」といって私のことを紹介してくれ、「今度香港に来た時は会社に来て下さい。」と言われたのでした。
私はちょうどこの頃、『スーパーマン4』『ジミー』『ラスト・エンペラー』と3本の作品のパブリシティを担当しており、毎日が戦場のようにいそがしく、心の余裕があまりない頃でした。そしてこの作品の公開の初日が終わった頃あたりから、仕事に対しての意欲が失いかけていた時期でもありました。そんなときに、仕事の部分で憤ることがあり、やめようという気持ちが高まっていったのです。
そして『倩女幽魂』の買い付け話もある程度の値段まで落ちたのですが、結局この作品を買ったのがベストロン映画なのでした。そんないろいろなことが起こった3月、転職話などが起こるのですが、自分の気持ちを確かめるために休みをとって、香港に行くことにしました。ちょうど香港国際映画祭をやっている時期に合わせ、私はマスコミの親しい人間と一緒に香港へ旅立ったのです。
1988年の香港国際映画祭は、まだ日本ではそんなに知られていなくて、前年、映画祭に行ったマスコミの方から「面白いよ」と聞いていたので、行ってみようということになったのですが、国際部にお願いしてパスを申請してもらい、また、松竹の窓口となる香港の方を紹介してもらい、香港に旅立ちました。
映画祭では『秋天的童話(誰かがあなたを愛してる)』『人民英雄(野獣たちの掟)』『地獄無門』などを見て、これらの作品の面白さに興奮、コーズウェイベイの映画館で見た『老虎出更(タイガー・オン・ザ・ビート) 』では、初めて香港の観客のうるささ?を体験し、楽しいひとときを過ごしました。この時、松竹の香港窓口の方に連れられて、シネマシティに行き、ウェリントン・ファン氏に会い、フイルムワークショップやマグナムの部屋を案内してもらったのでした。
そしてこの香港旅行にはもうひとつの目的がありました。それは『倩女幽魂』を買い付けたベストロン映画の社長の井関さん、そして宣伝部長の寺尾さんと密談をすることでした。この密談で私は『倩女幽魂』をやるために、転職を決めたのでした。そして7月、松竹富士をやめ、2ヶ月、出版社でセルビデオの宣伝の手伝いをした後に、『倩女幽魂』の宣伝準備を始めるのでした。