電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

ラン・ラン・ショウ

2014-01-11 18:17:08 | Weblog
先日、ラン・ラン・ショウが107歳で大往生を遂げましたが、1世紀の時代を生きてきた映画人というのもまたすごいものがあります。
2006年にキングレコードのショウ・ブラザースのDVD特典映像をとるために香港へ行った時、ショウ・ブラザース・スタジオにある権利元のセレスティアル・ピクチャーズのビルの屋上で、リュー・チャ―フィーのインタビューを撮ってる時に、スタジオの隣にあるTVBのビルを見ながら、「あのビルのあそこの階にラン・ラン・ショウの部屋があって、2日に1回かならず顔を出すんだよ」とセレスティアルのスタッフから話を聞いたときは、その時ですでに99歳だから、本当に元気なじじぃだ、と思ったのですが、でもこうやって訃報を聞くと、映画人として一時代を築いた人の死はショックが大きい。
そのショウ・ブラにいて、ゴールデン・ハーベストを作ったレイモンド・チョウも87歳と高齢ですが、香港映画界の時代を知る重鎮もいつ鬼籍に入るかわからないわけで、そんな時代の香港映画を知る自分にとっては本当にさみしく、またあの時代のように作れなくなった今の香港映画の未来を考えると、香港映画人にとっても大きな出来事になったかもしれません。
ラン・ラン・ショウは、香港映画の現在のベースを作った映画会社でもありますが、前にジミー・ウォングが「女優を大事にしてて、男優のギャラは安かった。ガソリン代のほうが高くて困った」という話をしていて、それをきっかけに、会社の社長との調整役をしていたレイモンド・チョウとともにゴールデン・ハーベストの設立に動いた経緯があります。また70年代には、モナ・フォンを重要なポストにつかせたことで、現場との軋轢を生んだ出来事も多々ありました。
1930年~40年代、上海電影や中華電影で仕事をしていたことから、東宝東和の前身である東和商事の設立者である川喜多長政氏ともつながりがあったことから、日本映画界とも強い関係があったラン・ラン・ショウですが、2014年はじめの香港電影の巨星の死は、どんな影響を与えるのでしょうか?


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