電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

ファースト・ミッションその17

2006-09-11 14:15:39 | Weblog
ジャッキー・チェンのアテンドに最後まで付いていた私ですが、4日間ほんとうにまともな食事を取る時間もないくらい、忙しかったことを思い出します。
文化放送の出演や、フジテレビ『夕焼けニャンニャン』に生出演して、スタジオでおニャン子の面々が大騒ぎしていたのを思い出します。(おニャン子の中でも工藤静香はジャッキーの大ファンで、90年代に入ってマカオでジャッキーが主催していたカーレースの芸能人レースにも出場している)そして、銀座のガスホールで行われたファンの集いも場内満員ですごい熱気でした。(この時、司会進行の手伝いをしていただいたのが、現・JCのパーソナルマネージャーとなっている矢萩さん。JCのファンの集いでもいまだ司会を担当しているので、ファンクラブの面々にはおなじみですね)
取材が終わるとJCの面々は夜、日本の親しい面々と食事会、飲み会に行きました。前にもお伝えしたことがあると思いますが、日本の五福星と言われていた東宝東和の飯田さん、当時のファンクラブのツアーを仕切っていた旅行会社代表の北田さん、日本のレコード会社のディレクターの松林さん、集英社の牧野さん、そして「ロードショー」でジャッキーの写真を担当していたカメラマンの内山さんが、来日した時のジャッキーの面倒を見ていたのでした。ディスコを貸しきったり、来日スターが必ず行っていた田舎屋で食事したり、そしてホテルに戻ると朝方まで皆、ジャッキーの部屋で飲んでいました。
あっという間にキャンペーンが終わりました。ジャッキーは新作の撮影があったために、ユーゴスラビア行きの飛行機に乗らなければ行けません。私は成田まで見送りに行きました。そこでうれしかったことは、彼が私の仕事をねぎらうかのように、しっかり抱きしめてくれて「ありがとう」と言ってくれたことでした。そして私が着ていたファースト・ミッションのポロシャツの背中にサインをしてくれたことでした。そして笑顔でお別れをしたのでした。
でも、そこで元気だったジャッキーが、24時間後にあんな事故にあうなんて、そのときは誰も予想できなかったのでした。