電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

私が会った香港映画人その4

2006-07-30 00:50:52 | Weblog
私が最初に会った香港映画人、それはジャッキー・チェンです。ファンの間では謎の一本『ファースト・ミッション』の宣伝で、撮影現場、そして宣伝キャンペーンで、ジャッキーのそばにいたのでした。
1985年の夏、香港で初めて会ったジャッキーは、睡眠時間ほとんどなしの働きをしていました。夕方から朝方にかけて『ポリス・ストーリー』、午前中から昼過ぎまでが『ファースト・ミッション』、そして午後から夕方までが『七福星』の撮影と、睡眠時間が撮影の合間にとっているというのが現状でした。私たちがマスコミを連れて香港取材行ったときも、なかなか顔がすっきりしない感じでした。起きがけの顔といったらわかると思いますが、そんな状況のなかでジャッキーは撮影に入っていました。また、ジミー・ウォング主催の食事会にも来てくれて、一緒のテーブルでご飯を食べたり、一緒に写真撮ったりしてくれたりもしましたし、朝10時からの町中での取材撮影でも嫌な顔ひとつせず、いろんなポーズはとってくれるし、カメラマンが路上に出て撮っているのを見ると「危ないよ~」と声をかけるし、スターでありながらも回りにも気を使う人でした。
気を使うという部分で、私にとってうれしかったことは、日本でのキャンペーンの時です。私がジャッキー番として、3日間ほとんどまともに食事ができない、睡眠も毎日3時間あまりというなかで、最後の取材日の朝だったのですが、ホテルの部屋に行くとちょうどジャッキーが朝食をとっていたのですが、私を見るなり、「一緒に食べないか?」と声をかけてくれたのでした。
私はまだまだ新人の頃だったので、恐縮して「あ、ありがとうございます。」と言って、でも食べてきたのでと断ったのでした。
スターでありながら、いろんな人に気を使うというのは、なかなかできないことです。そんな気持ちを普段から持っているからこそ、今、ジャッキーが世界にむけて、子供たちやめぐまれない人たちにいろんな支援をしているんだなと思うのでした。

私が会った香港映画人その3

2006-07-29 01:38:01 | Weblog
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が、市の財政難によって中止となったという記事が、昨日の新聞に出ておりましたが、夕張には、いろんな香港映画人も行きました。そのなかにチャウ・シンチーがいます。
彼は『チャイニーズ・オデッセイ』の上映に合わせての来日で、当時私は、熊本にあるビデオ問屋誌のコラムを書いていたので、彼にインタビューすることになりました。ところが、星仔が夕張へ入るというその日、東京がすごい吹雪になっていて、飛行機が飛べない状況になってしまいました。昼には夕張に入るということになっていたのに、いつ入ってくるかわからない。さて、取材できるのだろうかとやきもきしていると、夕方には着くということになり、やっと彼に会うことができたのでした。夕張最初の取材が私だったのですが、会うとあまり機嫌うるわしくない。そりゃそうでしょう、羽田で待たされてやっと着いたら取材。疲れているから不機嫌なのもしょうがないでしょう。
とりあえず会うなり、当時、羽賀書店で出されていた「香港映画の貴公子」の本を渡しました。興味深そうにその本を見ながら彼はインタビューをうけたのですが、当初の予定時間より短めにすませました。で、取材が終わってからの彼の印象は、まず映画のキャラクターのイメージの人ではない、ということと、非常にクレバーな人だということがわかりました。当時は香港のマネーメーキングスターのトップだったので、インタビューできたことがすごく貴重だったのですが、日本では知名度がほとんどなかったということが残念でありませんでした。
ところで、この時、カメラマンになって手伝ってもらったのが、当時まだ映画監督になる前の中田圭仔だったのですが、彼はその夜、星仔とホテルの裏にある飲屋街で一緒に飲んで盛り上がったようでした。
そうそう、インタビューの内容は・・・・それが何聞いたか覚えていないんですねえ。どこかにテープが残っているとは思いますが。そのうち探してまた発表します。

私が会った香港映画人その2

2006-07-28 11:02:56 | Weblog
何回か前に書いた『妖獣都市香港魔界編』でふれました、ツイ・ハーク監督の食事会に出席していたのが、四大天王のひとりであるレオン・ライでした。実はそこで彼を紹介されるまでは、彼のことはあまり知らなくて、そのときに一緒にいた世良田のりこさんに教えていただいたほどでした。
食事会の状況を見ているかぎり、レオンはあんまり自分からしゃべるタイプではなかったような気がしてましたが、食事会後の世良田さんの言葉が印象的でした。曰く、「彼はちゃんとしゃべれるんだ。」
当時の香港では、レオンの口数が少なすぎて、マスコミの情報ではちょっと頭がよくない?みたいなことを言われていたようでした。世良田さんもそういったマスコミ情報の先入観があったために、実際に本人と会ったことで本人がどうゆう人かわかったようでした。
ただ、私がその時、あまりにも彼に興味がなかったせいか、その食事会での彼の印象は薄かった記憶があります。なにせ帰りがけに、同席していた彼のレコード会社の担当から、「コンサートに来ますか?」と言われ、翌日日本に帰ることになっていたので、「すいません、明日帰るので申し訳ない。」と断ってしまった私でした。当時レオンは、ニューワールドホテルの1Fでクリスマスライブをやっていたのですが、その後、漫画家の村田順子先生にこの話をしたら、「え~、もったいない。それ貴重でしたよ。」と言われたのでした。

私が会った香港映画人その1

2006-07-28 00:15:41 | Weblog
映画の宣伝をするようになってから、何人もの香港映画人に会いました。監督、男優、女優。いろんな思い出があります。まず、監督といえば、これまでもブログで取り上げているツイ・ハーク監督です。
『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の宣伝を始めた頃、当時のベストロン映画の社長だった井関さんから、「ツイ・ハークのことを香港では“クレージー”(日本訳はとてもできません)と言われてるそうだ。」と聞いたことがありました。それはどうゆう意味なのかよくわからなかったのですが、来日してその意味がよくわかりました。それは、話をしていても全て映画のことばかりだったのです。「いつもヒッチコックの作品を自分で再編集してみるのだが、やはり彼の作品は完璧だ!」とか、「どんな映画を見てるんだ?」とか聞かれ、ほんと映画のことばかりの話でした。離日の前日の夜、日比谷のビデオショップに一緒に行って、ツイさんから「どの日本映画が面白いんだ?」と質問され、あれ、これって選んでいたら、20万円ほどの買い物になったこともありました(当時はビデオ1本1万5千円とかしていました)。ほんと映画の虫だったツイ・ハーク監督。ツイさんにいろいろ映画のことを聞くと、いろんな話が帰ってくる。そこがツイさんのいいところなのかなあとも思うのですが、悪くいえば子供みたいな人で、映画の情熱がすぎてに、ときどきいろんなことを撮影現場で起こしていたようです。
ツイさんがプロデューサーで、他の監督が現場で俳優に指示出していると、いつの間にかツイさんがカメラを覗いていて、勝手に撮り始める、というようなこともあり、その作品の監督は誰?というようなこともあったそうです。それをきっかけに、いろんな監督がツイさんと喧嘩して離れていったこともあるようですし、現場のハードさは香港一とも言われていたようで、結局はツイさんの元を離れたスタッフは、皆、一人前になって香港映画界で活躍しているのでした。
そういえば、これもツイさんから聞いたのですが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地黎明』の時、カメラの取り方で撮影監督から「そんな言っているような撮り方はできない。」と言われたツイさんがキレて、自分でカメラを回したシーンがあったそうです。

劇団新感線

2006-07-26 20:34:43 | Weblog
1990年代の初めにツイ・ハーク監督と親しくしていた時のことです。関西に劇団新感線という人気の劇団があって、そこのメンバーがツイ・ハーク監督のファンだということを知りました。たまたまそこのルートと親しい人間がいて、いつの間にやら話が盛り上がり、それではツイ・ハーク監督で映画を作る企画をたてようという話になったのでした。
今でも劇団新感線は人気劇団ですが、当時所属していた劇団員は、その後、テレビや映画で活躍する俳優を輩出しています。とにかく、その舞台を観に行こうということになり、初めて観た舞台は「西遊記」でした。孫悟空役には、テレビドラマでもおなじみの渡辺いっけいが客演、そして、古田新太、羽野晶紀、高田聖子、といった、当時の新感線の人気俳優の面々が出演していました。舞台はとにかく大爆笑の連続で、その面白さはまさにエンタテインメントのてんこ盛り(個人的には羽野晶紀のキューティハニーねたにはまりましたが)。だからこそツイ・ハークという部分がはまったのかも知れません。その企画を何とか進めるために、あるとき、ツイ・ハークが日本に来ているときに新感線の人間を会わせようということとなり、その時は演出のいのうえひでひでのり氏が会ったのでした。それからどっかから映画の資金を出してもらわないと進まないので、アタリをつけていた某有名アーティストグループをかかえていた会社の会長に来ていただき、食事会をしたのでした。これがきっかけだったのかはわかりませんが、この会長の鶴の一声だったのか、その後そこの会社はGHと共同で香港映画を何本か作ったもののうまくいかず、数年で撤退したのでした。話は飛びましたが、とりあえず本を作ろうということで、新感線の作家である中島かずき氏が近未来SFものの台本を書いたのですが、ツイさんはあまり気に入らなくて、いつの間にか劇団新感線とツイ・ハーク監督とのコラボは消えてしまったのでした。

9月下旬~10月上旬発売作品

2006-07-25 20:27:11 | Weblog
9月下旬~10月上旬にかけてのアジア系DVD発売(レンタル)作品です。
                         (アダルトのぞく)

●中華圏(香港・台湾・大陸)
9月21日
サウンド・オブ・カラー地下鉄の恋(レンタルのみ)
監督:ジョー・マ 出演:トニー・レオン、ミリアム・ヨン
9月22日
F4バラエティABCDEF4ジャパニーズエディション・スペシャルBOX 出演:F4
死闘伝説ベスト・オブ・アクション 監督:トビー・ラッセル
推手        監督:アン・リー 出演:ラン・シャン、ワン・ライ
ウェディング・バンケット監督:アン・リー 出演:ウィンストン・チャオ
恋人たちの食卓   監督:アン・リー 出演:ラン・シャン、ヤン・クイメイ
9月29日
恋恋水園DVDーBOX2 監督:ファン・ジャアフー他 出演:TRRO、フィオナ・シュー
ピーチガール~蜜桃女孩 原作:上田美和 出演:アニー・ウー、ヴァネス・ウー
神[周鳥]侠侶DVDーBOX1
監督:ユー・ミン 出演:ホアン・シャオミン、リウ・イーフェイ
イルカ湾の恋人DVDーBOX1出演:アンブロワーズ・シュー、アンジェラ・チャン
10月6日
ラブ・イズ・マネー 監督:バリー・ウォン 出演:トニ-・レオン、スー・チー
アウトサイダー~闘魚~<ファーストシーズン>コレクターズボックス2
F4Real Film Collection「ヴィック・チョウ」
レディ・ウェポン リターンズ 監督:サム・ホ- 出演:チャン・ミンクァン
中華一番1~4(レンタルのみ)
監督:リー・リクチー出演:ピーター・ホ-、エドウィン・シウ
ビーチ(レンタルのみ)
監督:ワン・ティン 出演:リー・ヤーポン、ジョウ・シュン
●韓国
9月12日     
守護天使DVD-BOX監督:キム・ヨンソク 出演:ソン・ヘギョ、キム・ミンジョン
9月20日
砂時計DVD-BOX2監督:キム・ジョンハク 出演:チェ・ミンス、コ・ヒョンジョン
9月22日 
ウェディング1~4         出演:リュ・シウォン、チャン・ナラ
All Smiles-KSW           出演:クォン・サンウ
シンソッキ・ブルース
   監督:キム・ドヒョク 出演:イ・ソンジェ、キム・ヒョンジュ
9月27日
クライング・フィスト泣拳 デラックスコレクターズエディション
   監督:リュ・スンワン 出演:チェ・ミンシク、リュ・スンホム
9月28日 
ホジュン~宮廷医官への道~BOX1
   監督:イ・ビョンフン 出演:チョン・グァンリョル
9月29日
韓流スター/スペシャルトークDVD:パク・シニャン
韓流スター/スペシャルトークDVD:キム・レウォン
韓流愛の劇場DVDーBOX  出演:キム・ジョンファ、ソ・ドヨン
10月6日
ダンサーの純情特別版 監督:パク・ヨンフン 出演:ムン・グニョン、パク・コニュン
涙が見えないように1~4監督:チャン・ユギョン 出演:キム・ジホ、コ・ドゥシム
天国の樹DVD-BOX   監督:イ・ジャンス   出演:イ・ワン、パク・シネ
●タイ
9月22日
トム・ヤム・クン! 監督:プラッチャーヤー・ピンゲーオ 出演:トニー・ジャー
9月29日
パクチー学園トム・ヤム君 監督:タナ-コーン・パンタ-ウォンナ-イン 

妖獣都市香港魔界編その2

2006-07-24 23:17:40 | Weblog
『妖獣都市香港魔界編』でツイ・ハーク監督に紹介された人に、この作品のプロデューサーのビル・コンがいました。もうこの人の名前は、今では香港映画ファンだったらよく知っていると思います。『グリーン・デスティニー』『プロミス』などなど、ここ数年、日本でもメジャーの会社が配給している中国作品のプロデューサーです。今では大プロデューサーになっていますが、ツイ監督に紹介された頃は、今のようになっているなんてまったく想像していませんでした。
実はこの『妖獣都市香港魔界編』が日本では東宝が配給したのは、このビル・コンと東宝との関係にありました。ビルさんは香港で20数館もの映画館を経営しており、昔から『ゴジラ』などの東宝作品を買い付けて香港で上映していたことから、その縁で日本では東宝に話を持っていったのでした。
話がちょっと飛びましたが、ツイ監督たちと香港での会食会の後、次に会ったのは東京でした。ツイ監督は夕張国際ファンタスティック映画祭のゲストで来日し、その帰りに東京で女優のオーディションするというのです。女優に声をかけていたのが、当時、赤井英和さんが所属していた大阪の芸能事務所で、國村隼さんも所属していました。國村さんが『ハードボイルド』に出演したのも、この事務所の社長が香港とコンタクトをとって動いていた関係がありました。
さて、私がそのオーデション会場に行くと、すでに一人の女優さんがみえてました。千葉美加さんでした。千葉さんは歌手でしたが、当時は中華圏でも活躍しました。ちょっと挨拶していると20分遅れでツイ監督、レイモンド・リー監督がやってきました。で、さっそくオーディションをということになったのですが、な、なんと通訳がいない!どうもこの会場に来る前に東宝へ寄っていたということだったのですが、別々のタクシーで来てしまったために、監督一行が先に着いてしまったのでした。さて、困った。通訳は到着しない。それに千葉さんをすでに30分も待たせてある。するとツイ監督、私に向って「通訳をやってくれ。」というのです。え~、普通の会話でさえもブロークン英語なのに、そんな大役できるわけないじゃん、と思いつつ、やばい状況になっているので、やっちまえ~ということで、英語の辞書片手に5分あまり、通訳をやったのでした。
「あなたがこの映画に出た時、背中に傷がつくような演技とか求められても大丈夫ですか?」なんか、そんな質問だとかを覚えています。なにせ「傷」っていう単語がわからなくて、汗をかきかき辞書をめくっていたわけですから。そんなことをやっているうちに、通訳さん(たしか小坂さんだったか)にバトンタッチして、なんとかことなきを得たのでした。
この時、ツイ監督と会ったのは、松下由樹さん、青山知可子さん、赤井英和さん、でした。結局、この時点では、ツイさん、すでにヒロインはミシェル・リーに決めていたふしがありました。ミシェルは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2』でツイ監督に抜擢されていますが、映画出演に関しては複数契約していたので、『妖獣都市香港魔界編』のヒロインを続けて演じることになったのでした。
さて、監督が望んでいた沢田研二さんの件ですが、作品ではユエン・ウーピンが演じた加山隊長役をオファーしようとしていたみたいでしたが、結局、断念した経緯がありました。この作品で出演した日本人は、この映画に絶対必要といっていた仲代達矢さん、そして最初のホテルのシーンで怪物に変身する葉山レイコさんだけでした。
なにかよくわからない形でこの作品に関わっていましたが、非常に面白い体験でした。この作品は、その後、ツイ・ハーク映画祭でもう一度かかわることになるのですが、この話はまた今度。

妖獣都市香港魔界編その1

2006-07-23 23:57:38 | Weblog
『妖獣都市香港魔界編』は、ツイ・ハーク監督のプロデュース作品ですが、初の日本の原作小説を映画化したものでした。これをなぜ映画化しようとしたのか。当時、日本でビデオ用に製作されたアニメ映画『妖獣都市』が香港で公開されて話題となり、ヒットしたことから始まっています。私はちょうどこの頃、ツイ・ハーク監督とはいろいろとおつきあいがあったので、実はこれを製作する前に、アイディアとしていろいろ聞かれたり、いろんな出来事もありました。
この作品の映画化に関しては、ツイ・ハーク映画祭のことでツイ監督に会いに香港に行った時に知りました。食事会をしているので、ニューワールドホテルにあるレストランに来てくれと、そこへ行くと、ツイ監督だけではなく、『ドラゴンイン』の監督を手がけたレイモンド・リー、幾人かのスタッフ、そしてレオン・ライがいたのでした。私は言葉の問題もあるので、通訳兼お付きを香港在住の世良田のりこさんにお願いして来ていただきました。で、ナンなのだろうと思っていると、ツイさんから「『妖獣都市』を作るのだが、ヒロインは誰がいいと思う?」と、いきなり日本タレント名鑑を渡されました。「え、え~」驚きつつも、さて誰がいいのかああだこうだと言いながら、私は「宮崎ますみがいいのでは」などと話しながら、食事会が進んでいたのですが、実はその食事会は映画のミーティングもかねているものだったのでした。
ツイさんは日本の俳優をどうしても使いたいということで、仲代達矢さん、そして沢田研二さんの名前などをあげていました。その時は、ほんとうに日本の俳優を使って映画なんか作るのか、と???つきながら聞いていたのですが、その後、あることに巻き込まれていたのでした・・・・

101回目のブログ

2006-07-22 19:32:54 | Weblog
ブログを立ち上げて3ヶ月強、気がついてみたら、昨日で100回でした。よくもまあ、毎日更新しているもんだと、自分ながらびっくりしております。
1984年に映画の世界、配給会社の宣伝部に所属し、いろんなことを経験しながらも、いまだこの世界で仕事をやっているわけですが、まだまだわからないことだらけです。なにせどうやったら映画がヒットするのか、いまだ永遠のテーマになっていますしね。
それから、映画の宣伝ってかっこいい職業と思っている人もいますが、はっきりいってきつい世界です。休みなし、給料安い、人に気をつかう。よく、俳優さんとかにあえてうらやましい、と言われることがありますが、でも、俳優も人です。表の顔と裏の顔があったり、外ではニコニコ笑顔をふりまいてても、実は無愛想だったりと、宣伝をやっているとそんなことまで知ってしまうので、逆に興冷めしてしまうこともあります。
でも、素晴らしい映画や監督や俳優に出会ったときは、なんとしてでもこの人は、この作品は応援しようという気持ちになります。それがまだ新人だったり、世の中に知られてなかったりしたら、なんとか世に広めたい気持ちでいっぱいになります。
そういった意味において、自分が手がけた『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』はそんな1本でした。ジャッキー・チェンやキョンシーしか知られていないときに、この作品に出会ったこと、またこれをきっかけに香港映画のことを学んでいったということは、今の自分にとって、ほんと貴重な映画との出会いでした。
今ではビデオ、DVD、そしてインターネットが普及して、いろんなことを知ることが簡単になりましたが、20年も前は、香港映画のことなど、情報がなくてわからないことだらけでした。広東語の通訳は、香港の映画会社の日本語しゃべれる方かTVBの日本駐在所の方だったり、留学生だったり。
そんな自分が体験し、見て知ったことを忘れないためにも、このブログに書きとめようとはじめたのでした(最近はもの忘れがひどいので(笑))。少しでも長く続けられるように書いていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします。
また、映画に関しての質問等も答えていきたいと思いますので、レスしていただければ幸いです。
それから9月に大阪でレスリー・チャンの生誕映画祭が行われるというので、トークをしにうかがうことになりました。詳細が決まり次第、またご報告いたします。

明22日公開作品

2006-07-21 21:00:19 | Weblog
明日22日公開のアジア系作品です。

『姉御 ANEGO』中国(香港)作品
監督:ウォン・ジンポー 出演:アニー・リウ、エリック・ツァン、サイモン・ヤム
『ベルベットレイン』で注目されたウォン・ジンポー監督の最新作。アニー・リウはこの作品に大抜擢されて、香港電影金像奨の新人賞候補になりました。その後はつい最近公開された『BLACK NIGHT』の香港編に出演しておりましたね。今後、注目の女優です。それにしてもこの題名、日本の高島礼子主演であったんだけど、いいのかなあ?
東京:シアター・イメージフォーラムにてレイトロードショーです。

『我が心のオルガン』韓国作品
監督:イ・ヨンジェ 出演:イ・ビョンホン、チョン・ドヨン、イ・ミヨン
シネマート六本木で行われているイ・ビョンホン祭のなかで公開される1999年の作品。17歳で小学5年生に進級した少女のほのかな恋心を描いたラブストーリー。
東京:シネマート六本木にて1週間の限定ロードショーです。

それから、映画ではないのですが、
「Summer Digital Cinema F4 Music World」と題して、F4のレコーディングなどのアルバム制作などの様子が見れる「流星雨Meteor Rain TV SPECIAL」「煙火的季節 Fantasy 4ever TV SPECIAL」が上映されます。
東京:恵比寿ガーデン・プレイス内の東京都写真美術館ホールです。

ブルース・リー

2006-07-20 20:38:28 | Weblog
7月20日はブルース・リーの命日です。1973年だから、今から33年前のこと。私は当時中学1年生でしたが、まだこの時点ではブルース・リーの存在など知りませんでした。
『燃えよドラゴン』の登場は、香港映画を初めて知った衝撃的な作品であり、この作品がなければ、その後に日本で公開されることとなった数々の作品が見れなかったかもしれません。
実はこの作品が公開される前の、『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』のゴールデンハーベスト3作品も、日本の会社に売り込みがあったそうですが、「こんな中国人が出ている映画が日本で受けるわけがない」という冷たい反応だったそうでした。ところが『燃えよドラゴン』がマスコミ試写で回されて噂になっている時に、ある会社の宣伝マンが『燃えよドラゴン』を見せてよと、この作品を見て、あ、あの映画に出ていた俳優だと、会社に買うようにプッシュしたのでした。その会社とは東宝東和で、宣伝マンは「ひげの宣伝マン」といわれ、ジャッキー・チェンを日本でスターにした故・飯田格さん(つまり私の師匠)でした。

ところで、3年前にジミー・ウォング大先生にお会いした際に、「ブルース・リーは禁句だよな」といいつつ、あるときポロっと聞いたら、ちょっと話をしてくれました。また今年の4月にお会いした時も「『冷面虎』はブルース・リーが出る予定だったけど、ボクが代わりに出演した」と話すのでした。
今なお人気が高いブルース・リー。生きていたらどんな作品を世に送り出していたのでしょうか?そうなるとジャッキー・チェンや他のアクションスターも出てきていたのでしょうか。

日本語

2006-07-19 20:55:52 | Weblog
先だっての日本語が話せなければ、日本でなかなか人気がでないという話の続きですが、エディソン・チャンが日本の映画に出ているのも、日本語を勉強していたからというのもあります。日本で一時期人気を得ていたジョイ・ウォンの人気が一時的であったのも、この日本語の問題が大きかったのではないかな、と考えられます。
それで思い出したのですが、『ジェネックス・コップ』の来日キャンペーンのときに、フジテレビが金城武のドラマ「二千年の恋」で弟役を探しているという話を聞いていて、たしかニコラス・ツェーが少し日本語喋れるからいいのではないか、というような話を誰かにしたような記憶があります。この案は話だけで終わってしまいましたが、その後、ニコが日本レコードデビューで再来日したとき、帰国直前のホテルの部屋で、ニコちゃんを挟んで、通訳と私が、「日本語、勉強しろ~」と呪文のように話していたこともありました。
彼がもし本気になって日本語勉強して完璧にしゃべられるようになっていれば、もっと一般的に知られていたかもしれません。

それでいえば、韓国芸能人もそうなのかも知れませんが、ぺ・ヨンジュンが日本のファンミーティングで完璧に日本語を喋るということが、ファンにアピールできている大きなツボなのかもしれませんね。

ついに歌手デビュー

2006-07-18 16:07:17 | Weblog
昨晩、TBSをつけていたら、どこかで見た子が歌って踊っているなあと、そのCFをよく見たら、なんとリウ・イーフェイじゃあ~りませんか。名前もイーフェイとなって日本デビュー・ファーストシングル「真夜中のドア」7月19日発売のCFが流れているのですよ。あの武侠片のかっこうではなく、いかにも清純派アイドルって感じで日本語の歌を歌って踊っている彼女を見て、たぶん誰だろうと思う人もたくさんいるでしょう。それよりもTVスポットをうったソニーミュージックもかなり力を入れているのでは、と感じました。それだけ予算をとっているということになりますからね。TBSでスポットが流れたということは、またTBSで流れるかもしれませんね。昨晩は「月光音楽団」という番組が始まる直前でみたので、似たような時間帯で流れるかもしれないので、もう一度チェックしておこうと思います。
ところで、彼女が日本で一般的な人気になるためには、あることをしなければいけません。それは、日本語がしゃべれるようになれること。アジア系の方が日本で売れるにはこれは避けては通れません。
古くは、ジュディ・オング、アグネス・チャン、オーヤン・フィーフィー。そして最近では、ビビアン・スーがいますが、彼女たちが日本で人気を得た理由のひとつは、日本語がしゃべれたことにあります。あのジャッキー・チェンも、今はそんなに日本語を使うことはなくなりましたが、でも日本人の言っていることをある程度理解しているくらいだ、と言われています。
リウ・イーフェイがそれをクリアーにすれば、たぶん、あっという間に日本で人気を得ることができるでしょう。少なくとも、今の日本のアイドルにはいないタイプですからね。今月はどんな露出をされるのか、ちょっと楽しみです。SONY MUSIC

香港行きを断った夜その2

2006-07-17 12:06:01 | Weblog
昨日からの続きです。
ツイさんがなぜ私にアニメ版『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の仕事を頼もうとしたのか。ひとつには、日本とのやりとりに必要であったのと、香港映画界について詳しい人間であったから、ということが理由だったのではないか、と思われます。でも、こちらは“言葉の問題”が大きな障害でした。でも、ツイさんは一言「そんなの大丈夫だ」といい、そのうえ、「おまえは香港映画が好きなのだから、いろんな人と知り合うことができるぞ。」と言うのでした。それはそれでうれしいのですが、こちらとしてはもうひとつ、心配なことがありました。それは香港での生活とギャラという、根本的な問題です。それを聞いたら彼は、「住むところと食べることは問題ない。」と言うだけ。でも、ギャラの話はいっさいなし!「え、なにそれ。」と思っている私をはさんだ二人は、1時間あまり説得したのでした。
結局、この話はお断りしました。いくら好きなツイさんと仕事できても、3ヶ月だけの話であり、おまけにギャラも教えてくれないのは、ちょっと、ちょっと、って感じです。そして当時はK2エンタテインメントという会社の立ち上げスタッフとしてばたばたしていました。とりあえず社長に相談したのですが、「何、考えてんだ」の一言で終わり。
もしかすると、今とは違った人生を歩んでいたかも知れませんが、その後の香港映画界の状況を見ると、この選択は間違っていなかったかもしれません。

ちなみに、私はこの業界でいくつもの会社を渡り歩きましたが、恐いことに、所属した会社、また仕事で深く関わっていながら縁がなくなった会社は、ほとんどがなくなるか、他会社に吸収されているという、仕事運がいいのか悪いのかわかりませんが、そんな運を持っています。自分では「タイタニックのねずみ」と言っておりますが・・・・


香港行きを断った夜その1

2006-07-16 17:53:34 | Weblog
人生歩んでいるといろんなことが起こります。ツイ・ハーク監督との出会いが、香港映画に対しての情熱を燃え上がらせ、いつかは一緒に仕事をしたいと思っていましたが、冷静に考えると、熱意だけで動いていると、不確実な自分の人生を生んでしまう可能性があるのです。
その思っていたことが、一度実現しかかったことがありました。それは1996年4月28日のことでした。なぜこの日付まで覚えているかというと、この日の夜、私は横浜アリーナにいました。顎の関節の病気で療養していた森高千里の復活コンサートを見に行っていたのでした。コンサートが終わり、一緒に見ていた人間から「打ち上げに顔出しませんか?」と誘われたのですが、1本の電話が携帯にかかってきたことで、その誘いを断らずをえなくなってしまったのです。電話の主はベストロン映画時代の上司だった井関さんでした。「今、ツイ・ハークたちと六本木にいるんだけど、こっちにこれないかなあ?」ツイ・ハークと聞くとやはり会わなきゃと思う私は、早く行かなきゃと新幹線に乗って東京駅まで向かい、1時間もかからないうちに六本木に着いていたのでした。
店に着くと、井関さん、ツイさん、そしてツイさんの奥さんのシー・ナンサンがいました。で、いきなりツイさんとシーさんの間に座らされると、いきなりツイさんからこう言われたのでした。「3ヶ月だけ香港で仕事しないか?」
ツイ監督はこの頃、ハリウッド進出のために、ロサンゼルスと香港の間を行き来していたのですが、それと平行してアニメ版『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の製作を手がけてました。彼は私に、このアニメの進行確認の担当をやってほしいと、真顔で言うのです。このアニメは香港での製作ながら、アニメセル画の制作は、日本だけでなく、フィリピン、韓国、カナダなど、他国にわたって仕事が発注されていたのでした。その司令塔をやらないかというのです。話を聞いて思わず考え込みました。ツイ監督と仕事ができるのはうれしい。しかし、仕事をするにしても、自分自身に大きな問題があったからです。それは“言葉”の問題。基本的に香港の人たちと話す場合、ブロークンイングリッシュとボディランゲージでなんとかなってました。しかし、電話のやりとりとなると、相手が見えない分、ちょっとした聞き違いで何を言っているのかわからなくなってしまいます。そんな私になぜツイさんは頼もうとしたのか?(…続く)