悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

歩いて暮らせる街づくり、から考える

2012-04-05 22:06:48 | 雑記

街づくりの究極は「歩いて暮らせる」にあるのではないかと思う。
今日は、歩きだしてから昨日の疲れが残っていたためか、下半身が心許ない。
とくに、細い道の道路の傾斜がきつかった。
道路は、だいたい排水のために真ん中が高く端に行くに従って低くなっている。
この傾斜がきついと、体を支える力が要るので、足腰の弱い人には辛いと思う。
そんな道ばかりだと歩くのが億劫になるだろう。

歩いて暮らせるということを大事に考えた場合、突き詰めていくと、
車のための道路か、歩く人のための道路かということになる。
その中間には、自転車をどう扱うかという問題もある。

自動車産業の振興の問題や、人か車かという二者択一の問題ではないだろう。
人の健康や安全を度外視した話はそもそもあり得ない。
大きなくくりとして、人が健康を維持しつつ、自分の町で、自力でどこまで暮らせるか、
暮らせる方向で行政でも民間でも良いが、施策を進めるかどうかという問題だと思う。

娘がよく見ているドラえもんの映画に、足が弱体化し、空飛ぶ自動車で生活する人類?
の話がでてくる。

人は楽な方へ流れる傾向にある。その方向を牽引する企業活動がある。
そこに経済活動の目標をもつ企業があるかぎり、否応なく乗せられる層が存在し、
意図的に作られる。
これが「トレンド」と言われれば飛びつく層があるかぎり、企業活動は続く。
これを逆の方向に導く動きも人類は作り出すというが、いつも後追いになる。
歴史に学ばないのが世の常であることも、日々証明されている。

ドラえもんの世界は、笑ってみているうちはよいが、
死刑制度を86%もの国民が支持していることを考えると、
「流される」層がかなりの数いると思わざるを得ない。
なぜなら、死刑についての情報があまりに少ないにもかかわらず、
86%もの高い数字がでていることに危惧を感じるからである。
死刑制度に反対でなくても、
「わからない」層があまりに少ないことに違和感を持たざるを得ない。

話が飛んだが、少なくとも「トレンド」に流されたくはないと思う。

<本日の歩行9.5㎞+1.5㎞=11.0㎞>~130日目
①自宅~からきや~ほどほど~日赤9.5㎞(15:44~18:00)
※コーヒー豆を買い、ほどほどへ。日赤からは息子の車で家へ
②自宅~三小角信号往復1.5㎞(21:44~21:59)
※日中の不足分。